3-5 枯渇

 夜の公園の一画、僅かばかりの明かりの下で激しい銀の火花が散る。


「……ッ!」


 スパークした剣戟のエフェクト。その先にうっすらと黒兜の向こう側が見える。


「なるほど、強い」


 たった一合で亜姫は理解する。黒騎士の不動と言うべき体幹を。

 

「剣が重すぎる」


 帰国してから様々なスタイルの騎士と戦ってきた。

 その中には盾を用いた騎士もいたが、黒騎士は剣一本なのにこれまで組み合ったどんな相手よりも堅い。


「環境、それとも私自身が弱腰になってる? いいえ、きっと違う」


 挑発するように長剣を広げ構えて見せる黒騎士の間合いにもう一度踏み込んだ。

 

「前進あるのみ!」


 片手剣と両手剣。リーチの差はあれど、守勢に回った所で戦局は動かない。

 何よりも、待ちに徹して活路を期待する立ち回りは亜姫が最も嫌いな戦術だ。

 白い剣が夜に躍る。黒騎士の鎧の隙間を狙う執拗な攻め。軽やかなリズムで散らす剣戟。


「……意気込みは良し」


 亜姫が猛烈な攻めを見せる中、黒騎士は静謐を湛えたまま剣で対応する。

 無理に剣をかち合わせず、まるで何かを測るようにいなしていく。

 水に刃を突き立てるように亜姫の攻撃は空を切った。


「くっ」


 黒騎士は返す切っ先で亜姫の肩を薄く裂く。

 微小する視界の持ち点バーに歯噛みしながら、亜姫はそれでも攻めの姿勢を崩さない。


「やるじゃない。攻撃が読めないのはその兜のせいかしら」


 兜の先にあるのは本当に人か。そんな妄想を過ぎらせる程に黒騎士は機械的に剣を振っていた。

 焦り、欺瞞など、相手の秘めた思惑は表情からある程度読み解く事が出来るものだが、黒兜のスリットから見える筈の眼光は夜闇に溶け込み、それら全てを隠匿している。

 まるで、亡霊を相手にしているようだ――そんな雑念が一瞬亜姫の思考に芽吹いた頃合い。


「つまらん」


 一瞬の戦意の途切れを見透かしたかのように、黒騎士は攻撃を止めた。


「その制服、どこの所属かは知らんが無名校がでしゃばるな。ここは貴様らの立っていいフィールドではない」


 長剣の先をだらりと土につけ、独り言のように呟いている。


「どんだけ上から目線よ。素性もステータスまでこそこそ隠して、卑怯者はどっちなんだか」


 挑発には挑発で返すのが亜姫の性分だ。恣意的に情報を隠して草試合を行う黒騎士を詰る。


「ランキングに興味なさそうな風して、闇討ちばかりしてるのはストレス発散? その上、説教じみたマウントなんて片腹痛いわ」

「黙れ」

「ええ、ここから先は剣の鳴らす音以外要らないし――来い!」


 渾身の一撃をくれてやろう。

 亜姫の叫びが呼び水となって白き剣が覚醒する。ナノマシンが繋ぐ剣との神経接続に肘の先がぴりりと疼いた。


「ウィルム・形態全開放――いけ!」


 直後、変異した長く鞭打つ刀剣が黒兜を殴りつけていた。


「貴方はきっと、これだけ試合を重ねても素晴らしい騎士と出会った事はないのでしょうね!」


 火花照らす兜のバイザー。その先にある双眸へと、亜姫は叫んだ。


「貴様などに何が分かるか」


 手首にスナップを利かせながら伸びた刀身を呼び寄せる。そのまま、絡みついた黒騎士の身体も体勢を崩した。

 ぐっと近づいた黒甲冑に亜姫は声をぶつける。


「分かるわよ!」


 蹴りを入れると、はじめて重装鎧の塊が怯んだ。


「清冽な光り――私はあの『稲妻』に救われたんだ」


 この鉄壁のような相手には速さが必要だ。皐月の振るう稲妻のような剣技を今こそ。


 ――私にだってできるはず!


 雨中に見た彼の猛攻を贋物の蛇竜ウィルムで模倣する。

 手首を弾ませ神経を刀身の先にまで這わせ、自身がまるで蛇竜の刀身と一体化したような感覚。

 しなやかに振ると剣がそれに応える。地を巡る刃の鞭が夜の空気に戦慄く。


「久条君のように、もっと疾く。そういう気概でいかないとこいつには勝てない!」


 兜を掠り続ける七つの刃。火花がまるで白い稲妻のように数度瞬き、


「このまま弾き飛ばせ!」


 黒騎士の反撃は無い、攻め続ける。目に映る相手のゲージが徐々に減少。

 それと同時に、視界が赤く霞んだ。


「まだだッ! はああああああああああ!」


 身体は明らかに限界が近づいていた。それでも攻撃を続ける。

 真昼のような閃光が照らす中、黒騎士の持ち点が赤く変わり、戦いの潮目が変わろうとする。


 だが、しかし――



「……ああ」


 ――またかぁ。

 音が止んだ世界で聞こえたのは拍子抜けするような自身のか細い声。

 亜姫は自身の体がずんと沈むのを感じた。

 重力に引きずられる感覚の中、自分の身体の限界が来た事を悟る。血を巡っていたナノマシンの反応が途絶え、支配の及ばなくなった二本の脚とウィルムが地に堕ちていく。


「もっと早く、決められたらなあ」


 またこの有様か。

 ぼんやりとこの一戦を振り返る。

 それこそ皐月のように、初撃必殺で決めるくらいで無いとこの重装相手には通用しない。

 それ故に一気に勝負を掛けたのだが、身体が先に音を上げてしまった。


「でも……最強相手に、私結構やれたよね」


 結局負けているのに妥協点を探している自分がいた。

 敗北の悔しさは無い。そう思いたかった。

 だが、身体が重いのはナノマシンが枯渇したせいだけか。

 疲労さえどこかに置き去りにしてきたような昂揚感はきっと、死力を尽くした事でアドレナリンが分泌されているのだ。

 赤土を固めた公園の舗道に、少女は仰向けに横たわっていた。

 青くぼんやり光る三日月。


 「心の声、か」


 それを見ていたら、ふと頬を伝う涙に気づいた。

 いくら力を出し切ったと信じても、自分の何処かでやはり悔しいという感情があるのだ。

 それがたまらなく無力感を味わせてくる。


「悲しいなあ……でも」


 でも――きっとあいつなら、


「――皐月なら圧勝しちゃうんだろうなぁ」


 何故か脳裏に浮かぶ少年の面影をなぞっていた。

 苦痛を超えた先、夢心地のような意識の中で夜空に浮かぶ三日月はひたすらに綺麗だと思った。

 不意に、それを遮るように黒一色がぬっとあらわれる。


「今何と言った」


 初めて聞く感情の乗った黒騎士の声。


「答えろ、女!」


 亜姫がそれに気づくと同時に、萎えていた自分の意識も戻されていく。


「は、え?」


 一時的とは言え身体の自由が聞かない亜姫を黒騎士は掴み上げる。

 ひゅうひゅうと亜姫の胸元から吐息が激しく漏れる。黒騎士の兜の奥、血走った瞳が亜姫をじっと見ていた。


「貴様は知っているのか!? あの閃光を!」


 息ができない。答えられない亜姫を黒騎士は尚も追及する。 


「何なの――」


唸る獣グラウラー! 唸る獣グラウラーだ! 貴様を俺は――ッ!」


 最早、亜姫の返答など求めていないのかもしれない。正気を失った男の咆哮が木霊する。


「や……めて……」


 必死に黒騎士から逃れようとするがされるがまま。まるで深い水底に沈んだかのように息が出来ない。肺一杯に黒い水が詰まったような感覚だった。

 視界が回る。どうと倒れ、背骨が軋む感触がした。


「うぐっ」


 亜姫の身体は完全に自由に動ける限界点を越えていた。しかし、黒騎士は止めようとしない。黒兜の鼻先が月に向かって吼え続けている。


「おおおおお! 唸る獣グラウラー!  俺は、今度こそあいつをッ――!」

 





「うるさい」



 その時。一陣の風が亜姫の耳元を通り抜けた。


 がん、と音がして、亜姫を覆いつくしていた黒が消えていた。

 そこに浮かぶのは先程まで見ていた三日月。


「え」


 すぐ背後で鋼が弾ける音がする。地に横たえる亜姫の視界にかろうじて映った何か。


「何で……皐月?」


 それは、鋭く弧状を描く久条皐月の剣閃だった。





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