3-4 夜露に濡れるやいば ――帝都四ツ谷界隈にて

 静謐に満ちた夜の公園。暗い小道を皆瀬亜姫は一人歩いていた。

 大会が終わり唯衣や他の部員が帰った中で、彼女だけがこのエリアに残りひたすらに夜を待ち続けた。その理由は唯一つ。


「あの人が教えてくれなければ、私はここに来ていなかったのかな」


 夜露よつゆに濡れた愛剣を見て、自然と吊り上がっている口許に気づいた。

 黒騎士――草試合で無類の強さを誇ると言う謎のプレイヤー。亜姫が探し求める相手はこの界隈に現れるという。


「時間的にそろそろ限界か」


 視界のARの時刻表示に目がいく。とてもじゃないが高校生が出歩くには相応しくない時間だ。もし、巡回中の警官にでも見つかれば声を掛けられるかもしれない。


『黒騎士は間違いなく現在の草試合最強のプレイヤーだ』


 元帝徳騎士、星見星司のシニカルな声が脳内で甦る。

 彼曰く、この新宿は四谷のこの一帯の夜間のみ、黒騎士は目撃されているらしい。

 夜更けのそれも人気が途絶えた界隈で活動するなんて夜盗か辻斬りの類いに思えてくる。

 だが、実際に日没後を狙って巡回してみたものの、それらしい騎士は全く見当たらなかった。


 それでも、亜姫は黒騎士を探し続けた。


 煉瓦色に舗装された固い道を踏みしめるローファーの音がこつこつと響く。両脇に屹立する古めかしいガス灯のような街灯は、英国の霧の町がいかにも似合う意匠をしている。

 しかし、それらLEDの光には羽虫が集る事もない。ここに吸い寄せられるのは、せいぜい自分くらいなのだと亜姫は思い知る。


「私は――黒騎士を倒して草試合で一番になる」


 夜の空に浮かぶ三日月に、自分の中で立てた目標を告げる。

 そうでもしなければ、自分を自分で肯定できなくなりそうだったから。

 今まで亜姫が信じた自分の生き様を否定してしまいたくなるほど、昼に赴いた公式戦は亜姫にとって辛い物だった。

 皐月が、唯衣が。駒木野高校の騎士道部員達がARで虚飾された競技コートで剣戟を散らす度、亜姫はあの場に自分が立つ事は無いのだろうという事実を突きつけられた。


「大丈夫だって思ってたのにな」


 実際に同世代の仲間がフィールドで戦っているのを遠くに見るのがこんなに辛い事だったなんて。そんなもやを晴らせるのは、草試合で誰にも到達できないほどの頂に上り詰める事。今の亜姫にはそれしか考えつかない。

 立ち止まり靴音が消えると、草むらの虫が遅れて小さく鳴き始めた。


「まあ、明日また探してみようかな」


 亜姫はそっと瞑目する。温かな夜風が頬を撫でつけ、湿った質感に春の終わりを感じる。

 その刹那の事だった――



「きゃあああああああああああッ!」



 聞こえてきたのは女の悲鳴だ。遊歩道の遥か先、まだ亜姫が踏み入れていない暗闇の向こう。

 反射的に剣の柄を掴み、亜姫は駆け出していた。


「助けて――ッ! 誰かぁッ!」


 狂乱状態の声がみるみる勢いを増していく。

 月明かりに艶めいた夜道の先に、へたり込む女の姿が見える。高校生ではなく、大学生くらいの女だ。派手な金髪に露出の高い服装をしている。普段の亜姫なら敬遠しているタイプだ。


「大丈夫ですか!?」


 だが、今は非常時。駆け寄って彼女の安否を気遣う。

 見ると、女のすぐ近くに競技用の贋剣が落ちている。

 草試合プレイヤーか。そんな考えが亜姫の脳内で瞬時に過ぎる。


「邪魔をするな」


 くぐもった金属質な呼吸音。一寸先、ちょうど街灯が途切れた暗がりに人影が浮いている。


「その女は騎士道にあるまじき行為をしていた」

「はい?」


 亜姫が尋ね返すと、がしゃりと靴音が響いた。

 闇に溶け込むような黒い甲冑のせいで気づかなかったが、紛れもない騎士道プレイヤーだ。


「ルールを軽視した立ち合い。酷く礼儀を欠いた女だ。そのような者は断じて騎士で在る筈が無い、贋剣使いだ」


 ――贋剣使い。その言葉に亜姫の肩がぴくりと動いた。


「だから、二度とそのような振る舞いなどできぬよう恐怖を教え込ませた。人を支配できるのは恐怖だけだ。綺麗事と許しなどでは愚か者は何も学ばない」


 手に持つ長剣をこちらに向け、男ははっきりとした声で言った。


「まるで、貴方自身は立派な騎士道を履行しているのだと、そういう言い回しをするんだね」


 それを見ながら、亜姫はゆっくりと立ち上がる。


「いきなり勝負仕掛けられて、あいつと打ち合ってたらあたし……あたし!」

「もう大丈夫。貴女は早くここから逃げて」


 元来た道の方を示すと、女はゆっくりとした足取りで遠ざかっていった。


「貴方が黒騎士ね」


 見送りを終えた所で、亜姫が黒い影に呼び掛ける。


「ずっと探していた相手が、こんな拗れた奴だったなんて、少しがっかり」


 何も言わない黒甲冑。亜姫は少しだけ鼓動が早くなるのを覚えた。


「でも貴方、強いんでしょう? それなら都合が良い。やってやろうじゃない」


 黒兜の向こうに存在する二つの眼が亜姫の剣をじっとりと見ていた。


「剣使い。貴様に尋ねる事がある」


 長剣を構え、黒騎士が問う。


「貴様は『唸る獣グラウラー』を知っているか?」


 唐突な問いに亜姫は首を傾げる。

 何か特別な意味を持つ言葉なのかもしれないが、全く心当たりがない。


「そうか。知らぬか」


 その沈黙を答えとして受けたのだろう、黒騎士はゆっくりと芝生を踏みしめる。

 街灯の光の下、夜の闇からまろび出た長剣は甲冑と同じ黒。


「んっ」


 ふと、亜姫が低い耳鳴りを感じ見渡した。

 羽音の正体は飛来して来た小型ドローンだった。付近のポッドに収納されていた草試合の審判装置。

 互いに向かい合った贋剣からの信号を感知したらしい。


『試合コードを認識しました』


 こめかみのデバイススピーカーから発せられる電子音声。

 それと同時に黒騎士の頭上にUNKNOWNの文字列が浮かび上がる。


UNKNWON正体不明、か。どんな小細工を弄したのかは知らないけど、舐めた真似してくれるじゃない」


 剣を構えたまま、ゆっくりと歩を詰める。周囲を蝙蝠のように巡回するドローンが赤く明滅、


『双方のタイミングで試合を自由開始してください――DRAW SWORD抜剣


「はあああああああッ!」

 淡々とした電子音声を呑みこむ鬨の声。試合開始の合図と共に、亜姫は先手を打って斬りこんだ。

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