3-3 宿望と諦観
時刻は既に夕刻となっていた。亜姫や唯衣たちが帰った後も皐月は一人会場に残り続けていた。
中学時代の大会ではあるが――唯一、全国を経験した者として有力選手のマークを命じられ、皐月は嫌な顔一つせずに従った。
昏い観客席の下、競技コートはスポットライトの輝きに満ちていた。華やかな戦場では勝者と敗者がまた一つ、分かたれていく。
皆、今頃は母校に戻り埃だらけのプレハブ小屋の部室で反省会をしている頃合いだろう。
そんな事を考えていたら背後に気配を感じた。
「お前もここで残り試合の観戦か」
そこには星見星司が立っていた。デイパックを肩に掛け、試合を終えたばかりなのか、額には汗がうっすらと浮いている。
「負けちまったよ。せっかくベスト4行けそうだったのに、やっぱ帝徳はつえーな」
おどけたように自嘲する。星司の在籍する高円寺高校はリーグを突破したものの、トーナメント二回戦で帝徳にストレート負けを喫した。皐月はその戦いもここでずっと観戦していた。
「帝徳ぶっ倒すとかイキっといて団体の五人の内、一人も勝てなかった。完敗だよチクショウ」
「なあ、星司。さっき皆瀬さんと何話してたんだよ?」
静かな口調で問いかけると、星司は首の後ろを掻きながら笑う。
「自分から逃げといて、今更聞くのか」
言いながら、デイパックを下ろして試合を見下ろす。
「俺は聞かれた事に答えただけだ。ほら、女の子の頼みは断れない性分だし」
「よく言うよ」
言い終わらない内に二人の肩が愉快げに揺れる。
「皐月。帝徳の試合、気になるか?」
「ないって言えば嘘になる」
「その為の観戦なんだろ?」
笑みを消した星司の顔。薄暗い照明下でぼんやり灯った双眸に皐月自身が映り込んでいた。
「どうかな」
皐月は曖昧に答えた。
騎士道競技に復帰したものの、自分自身の考えは未だよく分かっていない。それが皐月の本音だ。
亜姫や唯衣は帝徳を倒す事に躍起になっているようだが、三年生の根岸達はもう諦めている節がある。
頼まれた以上皐月は全力を出すが、団体戦で一人だけが無敵を誇った所で他の四人が大差を付けられたら結局勝てない。
皐月自身の活躍よりも、先ずは部内の戦力の底上げこそが課題なのだ。
だが、曲がりなりにも帝徳で教導騎士を務めたのが皐月だ。
教導騎士の役目を負わされていた頃、いつだって皐月はこの暗い観客席にいた。
そして、ひたすら観察しながら数多の騎士達の挙動を網膜に焼き付けた。
彼らの得意とする立ち回りや癖、弱点。そして彼らの身体から湧き溢れ出る『色』
彼らの特性を皐月は推し測り、最適なプログラムを導き出して指導する。
彼の比類なき教導騎士としての知見――
過去を知る星司が真剣な表情で発せられる言葉を待っていた。
「とりあえず、久しぶりに大会を見ておきたかったんだ」
「おいおい、えらく牧歌的だな」
ゆっくりとした口調で答える皐月に思わず星司が体勢を崩す仕草をしてふざける。
「とてもじゃないが黒甲冑着て部員の心を幾つも挫いてきた教導騎士とは思えないよ」
「酷い事言うね」
きつい冗談だが、皐月は星司を責めようとはしなかった。
ただ有りのまま過去を受け入れる。後悔した所で辞めた彼らが騎士道に復帰するかどうかは彼ら自身が決める事だ。
亜姫ならそんな事を言うかなという推察が不意に過り、皐月の心を幾分か楽にさせる。
「俺は二年近くも学生の騎士道界から離れてたんだ。どんな騎士が台頭してきたか、どこが強いのかも全くの未知だ。だから、知っておく必要がある」
「今後の駒木野高校の為にも、ってやつか?」
黙って頷き返すと、星司もようやく肩の荷が下りたように表情を崩した。
「まあ、俺も似たようなもんさね。勝てるかどうかは夢みたいなものだよ。それくらい今の帝徳は絶対的だ」
「ああ」
「けど……」
言いながら、コートを一瞥する星司。
「あの子はその帝徳に本気で勝ちたいと思ってるぞ、皐月」
誰の事を言っているかは聞くまでもなく――
「知ってるよ」
迷わずそう答える皐月に、思わず星司は瞠目した。
「お、おう」
よもや、ここまではっきりした意思を見せるとは思わなかったのだ。
久条皐月という少年はコートに上がれば剛勇無双を発揮するが、それ以外の私生活では全く頓着しない性格だ。
いつもぼんやりとどこか遠くを見ていて、行動だけでなく言動でも剣の達人とは到底思えない振る舞いばかり。
だからこそ、皐月の意思が中学時代と打って変わった事実を見て星司は驚く。
「お前らは多分強くなるな」
そう言って、肩を竦める。それ以上この話題を言おうとはしない。
その時、真下の入場口に歓声が沸き起こる。
「お、始まるみたいだ」
どうやら帝徳の試合が始まるらしい。
会場内を割れんばかりの拍手が覆っていた。
相手は駒木野を負かし、そのままトーナメントも勝ち進んできた聖ミカエル学園。
帝都有数の強豪同士の一戦に客席はこれ以上無いほど盛況する。
「そう言えば、紺衛さんと会ったよ」
その喧騒の中で皐月が不意に口を開く。遠いコート上では他の帝徳騎士達と一緒に整列する紺衛雄麒の姿が見える。
「『黒騎士』の話を聞いた。帝徳でも一目置かれている草試合のプレイヤーらしい」
「なに、皐月も気になんの?」
「星司はそういう情報とか詳しい方だろ?」
手すりに顎を預ける星司の横顔は不敵に笑っていた。
「聞いた所じゃ黒騎士は、四ツ谷界隈によく出没するらしい。あとは御苑辺り。とにかく、新宿エリアのAR設備が多く整ってる所ばかりだ」
そして、聞いてもいないのに詠唱の如く滔々と語りだす。
「そうだ。こんなのもあるんだ。見るか?」
え、と皐月は思わず声を漏らした。
モノクル型のデバイスを手のひらに乗せると青く透き通るホロディスプレイがポップアップする。
「これは、動画か?」
映し出された映像は不鮮明だが、どこか野外で記録した試合のようだった。
ノイズ混じりの景色の中、全身を甲冑に包んだ騎士が剣を打ち合っている。一目でそれが黒騎士だと理解した。
「皐月。
画面に食い入る灰色の瞳に向けて星司が問う。
かつて帝徳で他の剣使いを指導する立場にあった皐月。誰よりも多くの試合を見せられ、選手たちの挙動と『色』から膨大な情報を取り込んだ。
その観察眼に星司は意見を乞うたのだ。
「カウンターが鋭いな。一見攻めているように見えるけど――明らかに待ってる」
「何を?」
「決定的な好機さ。これは本質的に守りの剣だ」
低い声で皐月は言った。そこまで交わした所で映像が途切れる。
「たった十数秒の動画だぜ? そこまで分かるのかよ。他には?」
端末を懐にしまい込みながら星司は尋ねる。
皐月の瞑想するように閉ざされていた瞳がすっと開かれる。
「そうだな――久条の剣に似てると思った」
「ほう」
「でも違う。久条流じゃない」
「そうなのか? 俺にはわからん。久条流の立ち回りだとして、こいつから感じた事はあるか」
暫く沈黙する。
試合の歓声が聞こえる中、皐月は重苦しい溜息を吐いた。
「一撃の間合いを決めに来るのは確かに久条の流派の特徴だよ。でも、この剣は闇討ちみたいで堂々としていない。すごく気に入らない戦い方だ」
言い終わらない内に星司が苦笑いを浮かべる。
「お前本当攻めるの大好きだったもんな。休み時間の将棋でもいつも負けてたっけ」
「え?」
「ほら。ロビーに置いてたやつだよ。昼休みに良く二人でやったじゃんか」
「そんな事もあったっけ」
二人して手すりに顎を預けた。注目の試合はどうやら帝徳の優勢らしい。
「将棋って相手を出し抜く為に捨て駒するけどさ、お前はそんなの関係無しに攻めてばっかで……だから勝てなかった」
そう言って、どうだと言わんばかりに口角を上げて見せる。
確かに皐月は星司には将棋で勝てた試しが無い。
「んで、将棋の勝ち方って卑怯者のする事だって最後に負け惜しみ言うんだ」
「そうだったっけ」
「そうだよ」
試合の趨勢などお構いなしに過去話に華を咲かせる。
その中で、ふと、皐月は星司がじっと凝視している事に気づいた。
「どうかした?」
「いや、実は俺。黒騎士の正体がお前だと思ってたんよ」
衝撃の一言が明かされる。
「それは、中学時代の俺と同じような黒の甲冑だったから?」
頷く星司。
「さっきの質問で真贋を確かめたかった。でも、お前の眼を見て一発で分かった」
「何が?」
くくと、喉奥からこらえきれない笑いを零しながら星司が顔を上げる。
「お前は昔から嘘をつけないからな。これじゃ、また最初から黒騎士探しのやり直しだ」
そう言って、鷹揚に手を広げてその場を後にしようとする。
「なあ、星司」
「ん?」
遠ざかろうとする旧友の背中を、皐月ははっきりした口調で呼び止める。
「その黒騎士の話、皆瀬さんには言ってないよな?」
しばしの沈黙。
「ああ。言ってないよ」
星司は眼をそらすことなく、デイパックを持ち上げる。
「そうか」
誰にともなく小声で皐月は呟いた。
彼の灰色の瞳には、はっきりと星司を包み込む色が映り込んで見えていた。
ハシバミ色の闘気を漂わせながら、負けても尚、帝徳に勝とうとする色を纏わせながら――旧友は去っていった。
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