3-2 灰色幽霊

 勝ち残った学校による決勝トーナメントが始まり、皐月達は三階観覧席へと移動した。

 真下のコートでは既に一回戦が始まっている。それをギャラリーから観戦する唯衣や冬華を始めとする騎士道部面々。

 ふと、少し離れた最前席で一人試合を眺めている亜姫の後ろ姿が目に入る。

 薄暗いギャラリー内、普段異彩を放つ蒼銀色の髪はここでは他の観衆と馴染むような色合いをしている。


「久条君」


 振り返った亜姫は小さく笑みを作った。

 空けられた隣に並び立つ。


「負けちゃったね」

「相手が相手だったからな。仕方ないって」


 隣合いになった所で真下で行われている勝者たちの試合を眺めた。

 一番近いコートでは丁度今から試合が始まるようで、白銀に金装飾の神々しい甲冑姿が整列していた。皐月たち駒木野が属していたリーグを勝ち上がった聖ミカエル高校の騎士達だ。


「強豪聖ミカかあ。さっきの試合は惜しかったなあ」


 居並ぶフルメンバー十名の騎士達を見下ろしながら亜姫が言う。


「いろんなタイプの武器使いがいるってやっぱりアドバンテージだよね。うちももっと部員がいたらな」


 とは言うものの、亜姫の目に落胆は見られない。寧ろ、今回の敗戦から部をどんな方向に持っていくか、戦略を立てる事が楽しいというような顔だ。

 そんな風にコートを見下ろす横顔を見ながら、皐月は常日頃から思っていた疑問をぶつける。


「なあ。皆瀬さんは本当に、試合に出れなくても平気なの?」


 亜姫は沈黙したまま。薄暗い観客席で深紅の瞳が鈍い輝きを秘める。


「いくら俺達が勝っても、皆瀬さんが試合を楽しめないのは悪い気がする」

「そう?」

「俺は全力で戦って勝ちまくるけど、でも、本当にこのままでいいのかって。そんな風に考える時があるんだ――ごめん、自分でもよくわからない事を聞いてる」


 皐月は食い入るように見つめる亜姫から逃げるように口ごもった。

 この問いは自分で解決できない霞がかった物を亜姫に代わりに払って貰おうとしている。そんな風に思えたのだ。

 本来ならば頼られるべき存在の皐月が亜姫を頼っている。それが申し訳ない気がして。


「ありがとう。でも、私は大丈夫だよ」


 だが、迷い続ける皐月とは裏腹に、亜姫ははっきりとした口調で答えた。

 強い意志を感じる声音で続ける。


「公式戦に出れたら確かに嬉しいけど。私は皆が公式戦で勝ちまくればそれでいいし」


 そして、あの雨の中見せたような儚い笑みを作ってみせるのだ。


「――っ」


 皐月の喉奥が微かに疼く。


「私は駒木野のマネージャーとして優勝目指す。それで良い。ま、草試合はできるし。草試合のランク一桁行ければそれはそれで満足かなあって」

「皆瀬さんにはいつも言いくるめられている気がするよ」


「そうかなぁ⁉」


 からからと笑う亜姫。これまでの自分が馬鹿馬鹿しく思えてくる。


「皆瀬さんに俺はいろいろ教えられっぱなしだ」

「何よいきなり。そんな顔近づけてまじめに言われると照れるから」


 今度はあからさまに照れている。暗い会場内でうっすらと赤く染まった頬に気づいた所で、皐月は思わず距離を離した。


「ごめん。少し、近づきすぎた」

「あはは。そういう問題?」


 素っ気なく返す亜姫だが、何故かこれまで合わせていた視線が皐月から外れてしまう。


「何なのよ、もう……」


 皐月もまた亜姫から視線を外し、真下の試合を眺める。

 だが、意識は全く試合に向けられず、それは亜姫も同じようで。



「「…………」」



 暫くの間、二人の間に微妙な空気が流れた。

 喧騒と時折起こる拍手と歓声。まるで別世界の出来事に感じられてくる。

 その緊張感も束の間、



「皐月か?」



 背後から近づいてくる靴音と共に発せられた声。

 隣合った二人は更にもう一歩互いから身を遠ざけた。


「おお、やっぱ皐月じゃねえか。また会ったな」


 振り返った先に立っていたのは星見星司だった。

 帝徳時代の旧友は鎖帷子のフードを背中にじゃらつかせセンサーメイルが張り巡らされた銀色のアンダーウェア姿だった。

 左胸には高円寺という校名が楷書体とローマ字でそれぞれ小さく記されている。


「競技選手らしい格好してるな、星司」

「久条君の知り合い?」


 いずれ相対するプレイヤーかもしれない、推し測るような表情で亜姫が凝視する。

 一方の星司はいつもの人好きのする笑顔を向けたまま。慣れた様子で亜姫に手を振り返す。


「やあやあどうもお嬢さん。つーか皐月、レイピアの子とも知り合いだったのかよ」


 話しぶりからすると、唯衣と皐月が同じ高校という事まで既に知っているらしい。


「まさかお前、一回戦から見てたのか」

「情報収集班にばっちりと録画してもらったよ」


 皐月のすぐ横に堂々と腰かける星司。しばらく此処に居座るつもりらしい。


「随分と図々しいね、君。久条くんとどんな関係なの?」

「ああ、俺は皐月と同じ。元帝徳のしがない騎士だよ」


 そう返すと、亜姫が目を見開いたまま押し黙った。


「驚いたって顔してる? ま、今は高円寺高校ってとこにいるんだけどな」

「高円寺――」


 亜姫は露骨に考えこむ様子を見せた。

 合衆国アメリカから帰国したばかりの彼女は高校騎士道界の情勢に疎い。


「あれ。ご存じない? 一応予選リーグも突破したんだけどな」


 しかし、星司はそれが引っ掛かるのだろうか。飄々とした振る舞いの中に微かな反発が見えた。


「まあ、おたくらの無名っぷりには負けてるか」

「!」


 白い歯を見せて笑うが挑発しているのは亜姫にも伝わったようだ。


「すぐに頭角を表してそうじゃなくなる。首を洗って覚悟しておく事ね」


 合わせるように白い歯を見せ、亜姫もそらぞらしい笑顔で言い返した。

 思わぬ反撃にさしもの軟派男もたじろぐ。


「なあ皐月。何なのこの子⁉ 初対面なのにめっちゃ闘志むき出しにしてくるんだけど」


 初対面の亜姫がこうも食って掛かってくるとは思っていなかったらしい。皐月に泣きつくように声を裏返し叫ぶ。

 一方の皐月は冷静な物だった。

 いつもの茫洋とした表情のまま、


「星司だって失礼だよ。それに皆瀬さんは打倒帝徳掲げてるんだ」

「え、そうなんか」


 皆まで事情は言わないが亜姫の夢は帝徳を倒して全国に行くことだ。

 その為に勝つチームに仕上げようとしているのだが、星司は釈然としないらしい。駒木野では帝徳に勝てる訳が無いと、怪訝な表情が物語っていた。

 ふと、少し考えていた星司が、探るように亜姫を見た。


「つまり、君も『帝都の幽霊』頼みって事か?」

「なにそれ」

「こいつの中学時代の異名だよ」


 そう言って肩皐月に目配せをする星司。

 亜姫はしばらくの間、きょとんとしながらそのやり取りを見ていたのだが……


「へえ、それって久条君の二つ名?」


 すぐに察しがついたらしい。

「でも、残念。私は久条君には期待しているけど、別に全部頼んでるわけじゃないし」


 はっと息を呑む皐月の横で亜姫は続けた。


で帝徳に勝つの。団体戦は一人だけが怪物級でも他の四人がポイント取られまくったらダメだし――でも」


 亜姫は少しだけ気にしたように皐月をもう一度見る。


「中学時代に称号が付与されるのってやっぱすごい。久条君の中学時代って相当強かったの?」

「あまり聞きたくない話だ」


 話が自分に向いてきたのに気付いた皐月。いよいよそっぽを向く。

 それに反して、星司の方は興味を示しているようだ。


「俺は知ってるけどな。聞きたい?」 

「ぜひ!」


 食いついてくる亜姫。

 その反応に満足したように、星司はゆっくりと身体を起こした。そして、両手を口元で組みながら続ける。


「皐月は中学三年間、対外試合に一切出ずにU20のランク99まで行ったよな?」

「煽るなよ」


 余計な事を亜姫に吹き込むな。そう言わんばかりの皐月の仏頂面。


「全国99位って。中学で!?」


 それを聞いた亜姫はすっかり興奮した様子だ。皐月との温度差が凄まじい。


「ちょっと君。もっと、久条君の事教えなさい」

「はは、俺の事は全く興味ないんだな」


 星司は笑いつつ皐月を窺うが、反応は返ってこない。

 皐月は逃げるようにずっと向こう、観覧席から試合を見ている唯衣たち駒木野高校の方に視線を向けていた。

 まるで、この話には入りたくないという意思表示をしているかのような態度だった。

 それを把握した上で、星司は尚も続ける。


「帝徳は小中高一貫だ。高校生との試合もできるしOBなんかも大勢来るんだ。だから、学内で高位ランカーの環境みたいのが出来上がってて試合をするだけで順位は大きく変動する。そうだよな、皐月?」


 今度は直接会話を振る。それでも無視を決め込もうとする皐月の脇を肘で小突いてみせる。


「そうだったっけか。生憎俺は帝徳時代の事は殆ど覚えていないんだ」

「なにそれ、記憶喪失?」


 亜姫が冗談混じりに突っ込むも、皐月の表情は晴れない。


「ごめん。ちょっと向こう見てくる」

「え、ちょっと」


 あろうことか唯衣たちの方に行ってしまう。

 変な事を言ってしまったかもしれない。遠ざかる皐月の背を見ながら、亜姫は頬を掻いた。

 だが、そんな亜姫を見ても星司は顔色を変える事無く、


「知りたいって言ったのはあんただろ?」


 まだこの話を続けると星司の顔が主張していた。

 暫くの間、亜姫は逡巡し、


「うん」


 先ほどまでのやり取りが嘘のような真剣な眼差しで答えた。



「私は彼の根底をもっと知りたい――それが多分、駒木野の勝利に繋がる」



 亜姫は皐月の過去に強い興味を抱いていた。

 一見、面と向かって話せば分かり合えるようなお人好し。だが、亜姫はまだ皐月の事を何も知らない。

 騎士道の申し子のような生い立ちの皐月が何故こうも騎士道を毛嫌いしているのか。その秘密を目の前の星見星司は知っているのかもしれないのだ。


「99位って言ったけどさ。あいつが公式戦に出場したのは最後の秋の大会だけなんだよな」


 真剣な亜姫の眼差しに根負けしたように星司が肩を竦めた。


「百位内にもなれば全国でも有名な騎士だ。強さだけじゃなくプレイスタイルから選手の素性まで知り尽くされて対策される。でも帝徳――いや、久条の家は皐月の存在をひた隠しにした」

「久条君の家が?」


 亜姫の問いかけに星司ははっきり頷き返す。


「俺の知る限りだと、中学最後の一戦以外は他校との練習戦にも出してもらえなかったな。久条皐月という騎士の存在は帝徳の部外者は誰も知らなかったんだ」

「そんな、せっかく強いのに。練習試合にすら出してもらえないなんて」


 実力を持ちながら日の目を見る機会を与えられなかった。俄かには信じられない話だ。


「帝徳は部内に徹底して緘口令を敷いた。雑誌の編集者ですら存在を確認できない99番目の騎士。全国クラスの上級生相手に勝ちまくり、あいつのランクはどんどん上がった。それでも決して試合には現れない。素性不明なままのランク99はいつしか畏怖と憐憫と敬意を込められこう呼ばれた。『帝都の幽霊』ってな」


 星司の顔は飄々としたものだ。その横の亜姫は唖然とそれを聞いている。


「でも、何で。対外試合に出してもらえないなんて」

「久条の家が取り決めた方針だからだ。皐月は中等部では温存されて、本格的な競技選手としての運用は高等部からの予定だった」

「運用って」


 とても未成年の学生に使うような言葉じゃない。亜姫は思わず口ごもった。


「ほら、高校野球とかでもあるだろ? 学校のPR目的だよ」


 とにかく、と。星司は組んでいた手を解きながらゆっくりと立ち上がる。


「帝徳のOBには久条の家に関係する者や流派の重鎮が多くいるからな。中等部の首脳陣は皐月にひたすら部員同士の練習試合だけさせたんだ。教導騎士アグレッサー。そうだ。確か、そう呼ばれていた」


 掘り起こした記憶を自分に言い聞かせるように星司は頷く。


「教導騎士って?」


 初めて聞く言葉だ。騎士道競技のルール内にそのような名称は存在しない。恐らくは帝徳の部内でのみ使われている言葉だろう。

 星司は小さく頷きながら、その疑問に答える。


「要は中等部時代の皐月は、かたき役として部員の練習相手として運用されたんだ」


 敵という学生の部活には似つかわしくない言葉を亜姫は呆然と聞き入れる。


「帝徳は皐月を使って徹底的に他の部員達の動体視力と反応速度を鍛え上げたんだ。あいつの剣はとにかく速いからな。おまけに――」


 そう言って、頭からすっぽり何かを被るような仕草をする星司。それを見ていた亜姫はさっぱり意味がわからず首を傾げるばかりだ。


「練習中はずっと黒い兜を被ってさ。皐月が仲間に顔を見せる機会は殆ど無かったんだぜ」

「本当に?」

「闘争心を掻き立てるんだ。素性も分からない相手がただ攻撃して来たら敵意を覚えるだろ? そういう意図らしい」


 つまり、皐月は敢えて敵役として帝徳部員を鍛える役割を与えられたのだ。


「今思えば、皐月が騎士道部に所属しているのを知ってたのは同じ班の俺や当時のレギュラーくらいだったと思うぜ」


 けろりとした口調で星司は言うが、一方の亜姫は悲痛な面持ちだ。


「そんな事までさせられて……自分でやりたいプレイングも許されないなんて」


 亜姫自身健康面から公式戦に出るのは難しいが、草試合で騎士道に楽しみを見出してきた。

 だが、皐月は誰よりも何よりも持てる者の側にいる筈なのに、それら全てが許されなかった。

 自分の境遇はまだ恵まれている方かもしれない。そう思いながら亜姫は皐月の様子を窺う。

 相変わらず茫洋とした顔つきで唯衣たちの会話に相槌を打っている少年。

 星司から聞いた過酷な経験を本当に積んだのか疑いたくなるほどに間の抜けた優しい横顔だった。


「久条の家もいろいろあったみたいだからな。まあ、詳しい所は本人から聞いてくれ」


 軽い口調で締めくくる星司だが、亜姫はもう先程と同じ調子で返す事が出来ない。


「敵役ね。まるでチェスの駒みたいに役割が決まっていたんだね」


 取られる為に動かすポーンのようだ。皐月を贄にして帝徳は全国級の騎士を量産した。


「あいつはとにかく才能の塊だ。剣の速さだけじゃない天賦の才ってヤツを持ってる。色が見えるって聞いたことないか?」

「色?」


 訝しがる亜姫を見て、星司は薄く笑う。


「あいつには相手の心の色が見える。ARじゃねえ。嘘だと思うがそいつを覆ういろんな色がはっきりと分かるんだと」


 肩を竦めながら星司はオカルトめいた事を口にする。多分、言っている星司本人も信じきれていない。そんな表情で続ける。


「だから、相手が嘘つこうが不意打ち決めてようが色を見て直感で対応できる。その辺の図抜けた才能も教導騎士に抜擢された理由かもな」

「色が見える、か」 


 亜姫にも心当たりがある。

 初めて皐月と打ち合った日、初見殺しの亜姫のウィップブレードを皐月は全て捌いて見せた。何故亜姫のとっておきにああも容易く対応してみせたのか。

 今になって漸くその理由に合点がいった。


「でも、私――」 


 しかし、今はそんな事は亜姫にとって些事に等しい。

 久条皐月という騎士にかけられた重圧と苦難。才能と素質に溢れた彼の過酷な運命。そんな皐月を相手に騎士道を楽しいと思えるようにだなんて。

 軽い気持ちで声をかけた自分は果たして正しかったのか。亜姫は酷い葛藤に駆られた。


「もしかしたら、私。久条君にすごい呪いかけちゃったかも」

「俺はそうは思わないけどな」 


 その言葉に恐る恐る顔を見上げた。


「皐月もそれなりに何か目的を見出して騎士道に復帰した風に見えたぜ」


 かつての久条皐月を知る星司。そんな彼からついて出た言葉。


「それに、君が皐月をもう一度騎士道楽しいって思わせられるならさ。それはそれでいい事だと思うんだ」

「それはどういう意味かな。友達として? 競技選手として?」


 何も答えずただ笑みを作る色男に、亜姫は眉をひそめる。


「私、やっぱり君の事苦手かも」

「ええ⁉」


 声を失う星司を余所に亜姫は席を発つ。


「ま、いろいろ聞けて良かったわ」


 一応、礼を言う。

 皐月と違って信用のならない男だと思ったが、一応の筋は通しておこうと思った。


「そうだ。君、草試合やってるんだよな?」

「それが何かしたの?」


 踵を返そうとする亜姫に星司は今一度用件があるようだ。

 胸元からモノクル型のデバイスを取り出しながら、人好きのする顔で星司は続けた。


「それなら、とっておきの話があるんだ」

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