2-13 旧知の騎士

「まさか、こんな所で帝徳に会うとは思いませんでした」

「私もだよ、久条」


 庭園の芝生にどっかりと腰を下ろしながら、皐月と紺衛は並んで談笑していた。

 空調の効いた屋内コートと打って変わり、真夏のような熱風が容赦なく吹き付けてくる。


「本当に久しいな」

「ええ。一年半くらいになりますね」


 後方を気にすると、白塗りのベンチに腰掛けた唯衣がこちらを注意深く観察していた。

 それよりも少しだけ離れた草地には紺衛に同行する帝徳の制服姿が三人。

 ベンチは他にもあるが、彼らは頑なに座ろうとしない。隊伍を組んで整列したままだ。

 肩先までの短い外套の裾は殆ど揺れる事がなく、常日頃から影のように、臣下のように紺衛に付き従っている姿が容易に想像できる。


「彼らは推薦入学組ですか」

「そうか、知らん顔か。お前が帝徳を抜けてから部の顔ぶれも大分変わったからな」


 少なくとも中等部では見なかった顔だ。

 興味深そうに後ろを気にしている皐月。それを横目で見ながら紺衛は問う。


「ところで――君は騎士道に復帰したのか?」

「まあ、そんなところです」


 皐月の言葉に反応したように、スクエアリムのレンズの奥底が輝きを帯びた。


「そうか。いよいよ『帝都の幽霊』の実力が高校騎士道界で発揮されるときがきたか」

「もう、その二つ名はありませんよ」 

 星司に言われた時と同じように、皐月の中でささくれ立つような感覚が湧く。

 ARのディスプレイを呼び出すと、程なくして紺衛にも情報が共有される。


「随分とランクが落ちたものだな。今はどこにいるんだ?」

「駒木野高校です」

「知らんな」

「無名校ですからね。あの人達に頼まれて、それで俺は騎士道に復帰したんです」


 皐月は唯衣の方を指さす。


、か」


 同じ学校の相手に対する呼び方では無い。紺衛はそう思った。

 帝徳時代から皐月の性格はよく知っている。

 一見、物腰穏やかでどんな相手にも寛容なお人好し。しかし、頑健な透明の壁を築いていてけして心の深層を開かない。


「君が誰かの求めに応じるなんてな」


 紺衛の肩先がくつくつと震え、笑っているのだと気づいた皐月が不思議そうに首を傾げた。


「そんなにおかしいですか?」

「君が騎士道に回帰するとは。余程彼女達に心を動かされる事があったか?」


 皐月はそれを穏やかな眼差しで見返していた。

 いつもこんな風に世話を焼いてくれた。紺衛は孤独だった皐月の数少ない理解者だった。

 だが、皐月はもう帝徳にはいない。二人はもうチームメイトとして騎士道のコートを踏む事は無い。

 そんな感傷に浸っていたら、皐月の中である疑問が生じる。


「ところで、紺衛さんは何故この公園に? 草試合なんて帝徳が一番したがらない事でしょう」

「それが色々とあるのだよ。お前が抜けてからな」


 紺衛は組んでいた胡坐を組み替えた。

 周囲に気を配ると、やはり後ろの帝徳騎士達は微動だにせず、皐月を監視するような視線だけ向けてくる。


「『黒騎士』という二つ名持ちに心覚えは?」

「名前だけは。そこそこ名の知れた騎士らしいですね」


 聞き覚えがある名前だ。草試合を賑わしている一人だと、星見星司も言っていた。


「ここ一年で台頭してきた剣使いだ。恐ろしく強いらしい。しかも、勝敗が決した後も執拗に攻撃を仕掛ける凶戦士と聞いた」

「マナーが悪い、という事ですか。強くてそれは確かに始末が悪い」


 騎士道競技には強さや結果以上に礼儀が重んじられる。それは日本の伝統的な剣道や弓道にも通ずるものがあると言えるだろう。

 だが、草試合は競技理念よりもスポーツ性が優先されているのもまた事実だった。

 競技騎士道に染まり切った皐月には到底理解できないが。


「だから、草試合だって蔑まれるんですよ」


 勿論、草試合には草試合の魅力がある。ストリートで活動している人気プレイヤーの中には大会で得た賞金で慈善事業を行っていたり、競技外での活動で尊敬される騎士もいる。

 それでも荒っぽい輩の数は公式競技のプレイヤーよりも遥かに多く、それが草試合をこの地位に貶めているのは確かだろう。


「草試合とはいえ、騎士道プレイヤーの不始末は我々騎士道部の不始末でもある。黙っている訳にはいかないだろう。だから、こうして警邏けいらを行っているのだ」


 紺衛は改まった口調で続けた。


「そのような狼藉をする輩を野放しにしては置けない。ましてこの界隈は帝徳が近い」

「うへえ」


 他の者たちの模範となるべき高潔な騎士を目指している訳でもない。そんな大層な思想は毛頭ない。皐月はたまらず声を漏らす。


「まあ、でも草試合というのも良い物だな」


 古い後輩の間抜けた声を聞いて気がまぎれたのか、紺衛は固かった表情を崩す。

 そして、晴れた五月の空を見上げながら清々しい口調で言いきった。


「枠にとらわれない戦い方をする者だけではない。尊敬すべき立派なプレイヤーもいたよ。我々は連覇こそしているが、そういう騎士に足元を掬われかけた事もあった。それを思い出した」


 そう言って背後に目を向けると、それまで皐月に敵意を向けていた部員達が急に居住まいを正す。どの部員も紺衛を慕っていて頭が上がらないらしい。


「だから、こうやって後輩に公式戦で出来ない経験を積ませるのも良いかもしれん」

「俺がいた頃より過ごしやすい騎士道部になったようで良かったです――」

「言うなよ久条」


 卑下する皐月を見て紺衛は強い口調になる。


「紺衛さん達が引退した後の全中決勝。俺は会場の雰囲気に押されてしまった。俺のせいでチームが負けたんです。先輩方が築き上げてきた全中連覇の記録も潰えた。全部俺のせいだ」

 全中決勝。大将を務めた皐月は、追い詰めた筈の相手校に思わぬ反撃にあった。

 それを応援する観衆の圧力。会場全体のムードに圧された皐月はその戦いで惨敗を喫したのだ。

 亜姫や唯衣にも言っていない皐月の心の中でずっと蟠っていた一つの汚点だ。


「まだ気にしているのか。会場内の雰囲気に慣れない選手がリズムを崩すのはよくある事だ」

 紺衛は労うように肩を叩くが、その優しさは同時に皐月の古傷も疼かせる。


「大会の話だけじゃない。久条の家と帝徳は強い繋がりがありますし――俺はたくさんの人達に迷惑をかけたんです。俺のせいで部員もたくさん辞めた」

「それは違うぞ、久条」


 肩を掴まれ、皐月が顔を上げると紺衛の真っすぐな眼差しがあった。


「君が久条や帝徳と袂を分かったのは逃げたからじゃない。新たな道を歩こうと決めたからではないのか?」

「それは――」

「現に今の君はまた騎士道をしている。それは自分なりに悩んだ上で、それでも前に進もうと決めた証ではないのか?」


 皐月は答えられないまま、レンズ越しに向けられる眼光から目を背けた。


「俺には……俺にはまだ何も分からないんです。紺衛さん」


 消え入りそうな灰色の瞳はまだ迷い続けている。

 ふと、紺衛が離れる。


「そうか。今はまだ道半ばか。それも良し。自分の未来は自分で切り拓く物だからな」

 そう言って、ふっと笑う。

 それを見て、皐月もぎこちなく口角を緩めた。


「ありがとうございます。紺衛さん。少し気が楽になりました」

「いいぞ、その顔だ。駒木野高校で騎士道をやると決めたのなら、君は君の騎士道を貫け」


 皐月の過去にある程度の区切りがついたのだと。紺衛はそう言いたげだった。


「さて、我々はそろそろ行くよ。邪魔したな。彼女とお楽しみの所」

「樫葉崎……あいつは違いますって!」


 大きすぎる声のせいで気づかれたのか。唯衣が露骨に嫌な顔をして皐月を見ている。


「そういえば。あと一つ良いですか?」


 気を取り直すように、皐月は紺衛の方に向き直った。


「優一は――玄部優一は壮健ですか?」

「ああ」 


 帰ろうと立ち上がった紺衛は瞑目し、ゆっくりと息を吐いた。


「そうだな、お前と同じように相変わらずだ」

「そうですか。良かった」


 余程思い入れがある旧友なのだろう。

 皐月はようやく落ち着きを取り戻す。


「じゃあまたな――おい、行くぞ二年!」


 その一声で軍服じみた黒のブレザーが動き出す。

 部員三人を引き連れて、紺衛は騎士の庭園を去っていった。


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