2-10 騎士達の庭園

 昼食を済ませた二人は腹ごなしに新宿にある都市公園へと向かった。  


「広いですね」


 唯衣がそう言って遠くまで見渡す仕草をした。

 青空の下には、都会の喧騒から隔絶された緑の英国式庭園が広がっている。

 色とりどりの植物やアーチ、ガゼボといった西洋式の建造物が並ぶ一画には、温室のような施設があって、透明の立方体で囲われた内部には騎士道競技用の機械化コートがいくつか見える。


「騎士たちの庭園だ」


 透過壁には内部のコートで戦うプレイヤー達のエフェクトが投影されており、近づくにつれて肉眼でも派手な火花や閃光を散らす剣戟がはっきりとデバイス無しでも目視できた。時折、中からくぐもった歓声が反響してくる。


「立体投影ですか。しかし、これは――」


 それを聞きながら、唯衣が関心を示したように首を動かす。

 内部で剣を振れば、そのエフェクトがコートの透過壁に投影される。目まぐるしい攻撃の応酬や不意の一撃も、剣跡は寸分も遅れる事なく、それはさながら本当に現実で起きている火花のように散っては消える。

 唯衣はその場に縫い付けられたように立ち止まり、透過壁の向こうで行われている試合に釘付けの様子だった。


「肉眼でもARを綻びなく、ここまで視認できるだなんて」

「映像処理能力が桁外れなんだ。国内でもここまで演算して投影できるプロジェクターは無いと思う」


 現代においてもなかなか見かけない最先端技術だ。

 何でも、合衆国の軍部が光学迷彩を開発する過程で生まれた副産物らしい。そんな事を皐月は教えてやるのだが、唯衣は聞いていない。


「凄い、本当に凄いですよ。先輩!」


 すっかり子供の顔ではしゃいでいる。

 そんな後輩の無邪気な姿を見ていたら、皐月の中である提案が浮かんだ。


「樫葉崎、試合していくか?」


 きょとんとしながら見上げる唯衣の表情。いつもの反発心や敵意はすっかり消えていた。

 純粋に、皐月から出てきた提案に驚いている。


「ごめん。いきなり変な事聞いたよな。まだ鎧も発注したばかりなのに」


 よくよく考えれば、自分から試合を申し出たのはいつ以来か。少なくとも帝徳の中等部にいた頃は他の部員との関わり合いも避けていた。

 それが今、自分は自然な流れで樫葉崎唯衣を試合に誘っていた。

 ともすれば、亜姫との一戦を経て自分の中での騎士道に対する考え方が変わってきたのかもしれない。


「いいですよ。私は」


 憎まれ口が返ってくると思いきや、唯衣は快諾。

 思いもしない返答に、今度は皐月の灰色の目が見開かれる。


「実際、貴方の腕前は相当ですし――それに」


 唯衣は本当に少しだけ、言うべきか逡巡しているようだった。


「久条の剣の使い手に勝つくらいでなければ、帝徳に勝てるとは思っていませんし」

「帝徳を倒すだって?」


 変な笑いが零れそうだ。

 帝徳は東京どころか、全国でここ数年不敗を誇っている絶対的な王者なのに。

 そんな、超級が頭に付くような強豪を『倒す』と言ってのけるとは。


「だって、そうじゃないですか? 帝徳は久条の家が面倒を見ているから強いって、アキちゃんが言ってました」

「樫葉崎も大概おかしな事を言うな」


 まるで、どこかの誰かさんとそっくりだ。そう思う。


「私の夢はアキちゃんの夢ですから。でも、その夢は最強の帝徳を倒さなければ叶える事は適わない夢なんですよね?」


 しかも、その誰かさんが掲げる与太話を唯衣は至極当然に語るのだ。


「そうだな。日本の高校騎士道界は帝徳と、数校の強豪の寡占状態だ。連中を倒せなければ日本一なんてあり得ない」

「それは……そうですけども」


 皐月の言っている言葉の意味を今更理解したのか、気前悪そうにレイピアの鞘を落ち着きなく撫でる唯衣。


「そう言えば、貴方は――帝徳の中等部で全国の大会を経験したんですよね?」


 思い出したように見上げたその眼は皐月に対する羨望、いや久条の騎士に対する期待か。 


「中学騎士道界も帝徳の独壇場と聞きました。つまり、貴方が在籍していた時も」

「そういうことになるね」


 皐月の前に現れては消えていった数多の騎士。全て一期一会で終わってしまった彼ら彼女たちの顔が不意に重なって見える。

 かつて、幾度となく目の当たりにしてきた久条皐月に対する期待、羨望と同種の眼差し。まっすぐな唯衣の視線を受けながら、皐月は少しだけ心に寂寞としたものを覚えた。


「でも、別に貴方を頼っている訳じゃありません」

「え」


 ついて出た唯衣の言葉。研ぎ澄まされたレイピアの切っ先のように、唯衣は鋭い視線を向けながら皐月に続ける。


「貴方を徹底的に倒して私は強くなる。そうなれば、帝徳だって敵じゃないです」


 その言葉に先ほどまで皐月の心を覆っていた哀愁は霧散した。


「そうか。そりゃすごい」

 ほろりと、皐月の口の端が緩やかに笑みを作った。


「じゃあ、入るぞ」

「あっ、待ってください。先輩っ」


 ARの蝶がひらひら舞う温室のような屋内コートへの扉が開いた。ふと、皐月は傍らをついてくる唯衣に一瞥くれる。


「樫葉崎。約束ちゃんと守れよ」

「はい?」


 脈絡も無く出た言葉。唯衣は可愛らしい口を開けたままだ。

 そっと皐月は口角が上がるのを感じながら進んだ。


 あれはいつだったか。

 自分がまだ騎士道を純粋に楽しめていて、勝ちたい相手がいた頃か。


 ふと、どこか懐かしい感覚が皐月に宿る。

 帝徳を倒そうという大志は素晴らしいと思う。少なくとも、唯衣や亜姫が持つ強い渇望は今の自分にはもう無い。

 唯衣にいつか帝徳を倒してほしい。そう願いたいものだと――

 自分はこの小さな後輩にそんな願いを託していい。分かっただけで何故か救われた気分になる。


「なに一人で楽しそうな顔してるんですか。変態……」


 首を傾げる唯衣を尻目に、皐月はいっそう強く、緑の芝生を踏みしめた。

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