2-9 予期せぬ逢瀬 ――新宿某所にて
週末の土曜日。
新宿駅の改札を出ると同時に、むわっとした暖気が皐月の顔面を撫でつけた。
視界に拡張表示された四月とは思えない異様な気温湿度に思わず目が行く。ついで表示されたのはおすすめの飲食店のキャンペーン告知。
昼時なので、街中を飛び交う情報送信システムに皐月の端末がマッチングしたのだろう。
駅中から外に出ても相変わらずの人の海だ。
すれ違う親子連れやカップルに混じり、時折スーツ姿のサラリーマンが急いだ足どりで追い抜いていく。
その背中を見ながら久々に新宿に来たのだと、皐月は人の多さと窮屈さを改めて実感した。
自宅のある武蔵野丘陵沿いのベッドタウンとも駒木野高校がある高尾の町とも違う大都会。
高層ビルの壁面には拡張現実の広告動画が投影され、ビルに匹敵する高さの商業施設の頭上にはホログラムのアドバルーンが浮かんでいる。いずれ来る
この周辺はそれら実証モデルとして都市運営されており、帝都と呼ばれる東京中枢部にもよく似ていた。
だが、皐月にとっては和洋と時代がまぜこぜになった帝都や新宿の景観は
まるで、騎士道などと綺麗事や理想ばかり追い求め、現実には蓋をしている人々と重なって見えてしまう。
程なくして、亜姫から聞いた集合地点の公園のマーカーが視界に灯った。
AR嫌いの皐月だが、この地図機能は便利だと認めざるを得ない。
定刻より少し早く到着したところで、皐月はベンチに腰かける。
亜姫も唯衣もまだ来る気配はないが、ここなら見落とされる事も無いだろう。
「もういいよなこれ」
スマホの通知機能だけを起動状態にしたまま、皐月はようやくデバイスのヘッドセットを外した。
展開されていたホログラムの青い帯がふっと消え視界が一気に見やすくなる。
ARの虚飾が取り払われた肉眼で見上げた空は紺碧と呼ぶに相応しかった。煩わしいアドバルーンや広告ディスプレイも一切存在しない青一色に目を細めた。
「ああ」
雲一つない空を背景に聳える摩天楼。その中に一際目を引く高層ビルがある。
時計塔を思わせるレトロな外観のビルは、古い洋画に登場する建物によく似ていた。
ゴリラの怪物がよじ登り戦闘機と格闘している光景を勝手に空想しながら、皐月はぼんやりとそのビルを眺めていた。
「いたんですね」
不意に発せられた声。
振り返った先には樫葉崎唯衣がいた。
腰に手を当てながら何処か不機嫌そうだ。身に纏っているのは上野で見た時とは違うペールレッドのオフショルダーニット。肩まではだけていて目のやり場に困る。
「皆瀬さんと一緒に来なかったの?」
「は? 先輩は私が亜姫ちゃんと同棲してるとでも思っているんですか?」
生々しい言葉を使うものだと思いながら、皐月は言い返すのを必死に堪えた。
眉根を寄せて相変わらずの気難しそうな顔をしていた唯衣。
「まあ、いいですよ」
ふっと顔を俯かせる。そして、何故か皐月の隣に座った。
「暑いですね。五月の始めとは思えません」
「同感だ」
――早く来てくれ。
そんな風に心の中で祈りながら亜姫を待つ。
その時、二人同時にスマホの通知音が鳴り響いた。
「えっ」「そんな」
反射的に取り出した画面を見る皐月。何故か隣の唯衣も驚きの顔をしていた。
「皆瀬さん、来れないって」「知ってますよ、そんな事」
まさか、唯衣と二人で街を周る事になるのか。その事実に皐月が途方に暮れたその瞬間。
ピコン、と。皐月のスマホにだけ、もう一通メッセージが届く。
『二人仲良くお願いね』
その下にはにやけ顔の絵文字スタンプ。皐月を煽っているとしか思えない。
「謀ったな」
小さく呟く皐月を唯衣は怪訝そうな眼で見ていた。
唯衣が防具を買うと言うので、皐月は昔よく通った店に当たってみることにした。
幼い頃、祖父に連れられ訪れた店は変わらない場所にあり、懐かしい気持ちにさせられた。
騎士道初心者の唯衣に東京の土地勘はない。
店選びから防具の選定まで皐月主導で終わらせた頃にはすっかり正午を過ぎていた。
「で、何で激辛ラーメンなんだよ」
ラーメン屋の券売機の前で、皐月は一人ぼやく。
「防具の注文も終わりましたし。東京に来る前からこの店のラーメンに興味があったんです」
「まあ、落ち着いたから飯にするのは分かるけど……でも俺、辛いの苦手なんだけど」
言いながら、皐月はこの店では一番辛みが少ないという触れ込みのラーメンを選んだ。土曜昼という事もあり店内は混雑していた。食券を店員に渡し、皐月はカウンター席に座る。
「ていうか、さっきの防具ショップで貴方が選んでくれた鎧なんですけど……」
ラーメンを待つ間、隣の唯衣がスマホを皐月に見せてくる。
受注完了した控えの伝票をタップすると、スマホの上にホロディスプレイが投影された。
「これ、結構防御力低そうなんですけど」
3Dモデルのトルソーが着用しているのは胸当てと利き手側の肩だけをカバーするアーマーがついた競技用のジャケットだ。
近世ヨーロッパの軍服を彷彿とさせる赤い色。襟元から背中まで同じく緋色のマントが覆っている。
「布地のセンサー回路の防御値は低い。けど、どのみち首元に喰らったらポイント取られるし、気にしなくていいよ」
亜姫や部長の冬華は唯衣を先鋒に置きたいと言われていた。
皐月はそれを踏まえ、彼女の得意とする先手必勝、攻撃特化の立ち回りに適した装備を勧めたのだ。
「そういうもんなんですか?」
唯衣は懐疑的な視線を向けてくるが、一応経験者の皐月を認めてはいるらしい。それ以上文句を言ってくる事は無かった。
それどころか、3Dモデルを指先で回転させていた唯衣の表情が綻んでいる。自分の装備に対してはそれなりに愛着を持っているらしい。
「フェンシングスーツでやる気満々だったけど、それはいいのか?」
「うるさいです。かっこよくて可愛いからこれはこれでアリです」
身軽な軽装の防御値は低く、重装になればなるほど動きにくくなる。けして万能の防具は無く、一長一短。選手それぞれの戦い方に合わせたビルドもまた、競技の駆け引きになっている。
一方で、選手それぞれの個性を際立たせるファッション的な意味合いもあり、少なくとも唯衣は自分の装備に関して不満は無いらしい。
防具選びで助言した立場の皐月はほっと胸をなでおろす。
「でも、ちょっとスカート短すぎませんか? 貴方の趣味ですか? 変態ですね」
安堵した側から唯衣の指摘が飛んでくる。
「ちが、俺は――!」
「へい、お待ち!」
皐月の大声を遮るようにオーダーした辛口ラーメンが現れた。議論は中断だ。
箸を割りながら、皐月は目の前で湯気を上げる真っ赤なラーメンと対峙した。
すん、と鼻を鳴らせば喉まで灼けつく激辛スープの香りが襲う。軽くむせ込みながら、隣の唯衣に尋ねた。
「これ、本当に一番マシな辛さなのか?」
「男なら激辛ラーメンくらい臆せず食したらどうですか」
そう言って、ずるずると麺を啜る。
全く躊躇していないどころか食事の仕方が荒っぽい。
「樫葉崎。お前本当こういうの好きなんだな」
少女の額を流れ始めた汗粒を見ながら、皐月はその喰いっぷりに圧倒されるばかりだった。
レンゲに掬ったスープを空にした所で唯衣が口を開く。
「そういえば、亜姫ちゃんも辛い物は苦手なんですよね……はっ」
「おいっ! いきなり喋るから」
唯衣が大きくむせ込み、皐月は自分のお冷を差し出す。
唯衣はそれをぐいっと飲み干し、ようやくの思いで続きを口にする。
「……ていうか、何で貴方も辛い物苦手なんですか。腹立ちます」
どうやら、二人とも辛い物が苦手なのが不服らしい。
皐月は熱気立ち込める天井を思わず仰ぎ、途方に暮れた。
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