2-8 教導
数日後、皐月は初めて駒木野高校騎士道部の練習に参加した。
場所は校舎の隣に建てられた
本来なら剣道着に身を包んだ部員達が駆け巡る場所。しかし今この時間は板張りの床を動き回るのは西洋剣を手にした皐月達、騎士道部員だ。
「はあっ!」
皐月の練習相手はレイピアを構える唯衣だった。顔面を覆う
上野では見ているだけだったが、流石はフェンシング経験者。たった一歩の踏み込みで数メートルの距離を一気に詰めてくる。
「上手いな」
感心しながらも剣を軽くいなす。柔軟性のある針のような刀身は皐月のブロードソードにかち合う事なくすり抜けた。
「まだです!」
唯衣は軽い身のこなしで真横に回ると、柔らかくしなる刀身で薙ぎ払う。
なるほど素晴らしい切り返しだ。
皐月はそう思いながら剣を逆手で振り上げ牽制した。
「普通はレイピア同士の戦いのセオリーからなかなか抜け出せないんだけどな」
フェンシングと違って、騎士道競技は様々な得物を使うプレイヤーが存在する。
刀身が広く、交錯しても反りにくい素材のブロードソードを相手にしても唯衣はよく戦っている。もしかしたら、フェンサーとしての生来のセンスの良さもあるのかもしれない。
「いい線行ってる」
皐月は唯衣の攻勢を耐えきると、隙をついて剣を叩き込んだ。
「あーもう! またですか! しかも完封とか。ほんとムカつきます」
試合終了。持ち点ゲージが底をついたところで、唯衣が声を上げる。
運動量は拮抗していた。にも拘わらず一ポイントも取れなかった事が悔しいのだろう。
「慣れてきたか? 樫葉崎」
「私が先輩に手も足も出ない事だけは分かりましたよ」
不貞腐れながら水分補給にスポーツドリンクのキャップを開ける。
「ていうか、今日は剣道部が休みだからこの場所も借りられたみたいですけど。うちって普段はどこで練習してるんですか?」
首筋をタオルで拭いながら、他の部の活動場所を間借りしているのが不服らしい。
「立川だよ。あそこには屋内用の競技コートも多くある」
「水泳部と同じ感じですか。学校にプールが無くて市民プールで練習するみたいな。ていうか、この学校って部活動に無関心すぎませんか?」
「そうだな」
駒木野高校は進学も部活動の実績も中の中の位置にあるような地味な高校だ。それ故に皐月は平穏を求めてここを志望した。
一方の唯衣は、亜姫と一緒の学校に行くことばかり考えて、駒木野の事をろくに調べていなかったのだろう。
そう思いつつ、一緒に遠くの試合を眺める。
「部長、強いな」
だん、と床を踏みしめる音が遠くから伝わってくる。
部長の盾上冬華は、小柄ながらも大盾を片手で振るい、男子生徒の根岸の攻めを弾き返していた。
「亜姫ちゃんの話だと、立神先輩って一年の頃は団体戦で大将してたみたいですよ。一年で大将とかすごくないですか? 普通に勝てる気しないです」
「部内で唯一のランク三桁代なんだってな。多分、当時の上級生より強かったんだろうな」
会話が止まり、気づけば皐月をじろりと見つめる唯衣の相貌がすぐそこにあった。
「てか、貴方だって99位だったでしょうが。『おまえが言うな』って感じです」
練習中は皐月の指南も素直に聞いていた唯衣。
しかし、試合を終えた途端にこれだ。亜姫以外の人間には懐く気配がない。
「無視ですか」
「ところで樫葉崎。その格好なんだけど」
レイピアの刀身を何度もたわませる唯衣を見ながら、皐月は練習中思っていた事を口に出す。
「は? なんですか。この姿がどうかしましたか?」
彼女が身に纏っているのは全身白のフェンシング用スーツ。皐月や向こうの三年生が着る自前の鎧とは違って、少々浮いた格好だ。
しかし、唯衣はそれがどうしたと不遜な態度で皐月を見返した。
「それに、このスーツにもセンサー回路はあります。そもそも、フェンシングも今は同じ機械判定システムですし。何ならこのスーツで騎士道の試合にも出れるってネットに書いてました」
「いや、出来る事は出来るけど。まさか樫葉崎は公式戦でもフェンシング用のスーツで試合するのかなって」
「貴方だってしょぼい鎧じゃないですか」
「なっ」
皐月は殆ど騎士道競技からは離れていたのでまともな装具を持っていない。
そこで部室のロッカーに置きっぱなしになっていた鎧を着ていたのだが、まさか指摘されるとは。
「確かに、これは初心者用の汎用モデルだけど……」
そんなやり取りを繰り返していたら亜姫が近づいてきた。
「やあやあお二人さん。仲良くやってる?」
それに気づいた途端、唯衣はあからさまに皐月から距離を取る。
――今更かよ。
先ほどまで隣に座っていたのに酷い仕打ちだ。
「皆瀬さんは俺と樫葉崎が仲良く練習してるように見えるの?」
「うん。さっきもいい感じでアドバイスしながら試合してたじゃん」
花でも咲いたような亜姫の満面の笑みに、皐月の中で張り詰めていた神経が緩んでいく。
「唯衣と戦ってみてどうだった? 久条流の騎士として相手した感想を聞かせて」
相変わらずペースを握らせてくれない。ものの見事に不平不満をスルーされた皐月は小さくため息を吐いた。
「多分、俺と同じ攻撃重視のタイプだと思う。先鋒とか向いてると思うよ」
その上で試合をした上での感想を伝えると、何故か一緒に聞いていた唯衣が慌てた様子で目をしぱしぱ瞬かせる。
「わ、私が、先鋒ですか」
「団体戦は一戦目が大事だからな。樫葉崎みたいなタイプがポイントを初っ端から取りまくってチームに勢いをつけるんだ」
「へ、へえ。そうですか。ありがとうございます」
ぺこりと頭を垂れる唯衣を見て、亜姫が口元を押さえながら笑った。
「何か君たち、師匠と弟子みたいだよ?」
「やめてくださいアキちゃん。私がこんな変態の弟子とか、許し難い冗談です」
先ほどの剣幕を取り戻しつつある唯衣。そんな妹分を亜姫は穏やかな表情で見ていたのだが、
「そう言えば、公式戦に出る前に久条君にお願いがあるの」
「え?」
傍観していたら唐突に二人の会話へと引き込まれる。
「ほら、唯衣って普通のフェンシングスーツでしょう? 試合用のちゃんとしたセンサーメイルを買っといてほしいんだよね。だから、今度の土曜空いてないかなって」
言っている意味が分からない。
それは隣で大口を開けている唯衣も同じようで、
「私、アキちゃんと二人だけで買いに行くつもりだったんですけど」
「でも、久条君も今は鎧持ってないみたいだし。それなら、三人で行った方がいいでしょう?」
「確かに」
「じゃあ、そういう訳で連絡先交換しよっか」
流れるような勢いで亜姫がスマホを取り出した。だが、唯衣がそれに待ったをかける。
「ちょっと待ってください。私、アキちゃんの連絡先知ってますよ?」
「知ってるよ。だから、唯衣と久条君が連絡先を交換するの」
どうやら断る権利はないらしい。
無言の圧を伴った笑顔を亜姫に向けられ、皐月は仕方なくスマホを取り出し、デバイスと同期させる。
程なくして唯衣とのフレンド登録が完了したとの表示が視界にポップアップする。
「うへえ。樫葉崎のアイコンってそれなんだ」
彼女のアイコンは赤地に黒の菱形四つ。戦国大名として知られる甲斐の武田氏の家紋だった。
「唯衣は山梨出身だからねえ」
「武田信玄は山梨県民にとっての英雄なんです。何か文句ありますか?」
唯衣が不満げに皐月に詰め寄る。
「幼い頃からほうとうを食べて郷土愛を育んだのが私です。ああ、そう言えば」
「どうかした?」
何かに気づいたような唯衣に、皐月が恐る恐る尋ねる。
「富士山は山梨県のものですから。それをお忘れなくっ」
「俺は静岡県民じゃないよ」
隣県同士の領土争いに介入するつもりは毛頭ない。
その様子を眺めていた亜姫は吹き出しそうな顔をしていた。大方、面白半分でこのやり取りを観察しているのだろう。
「そうですか。それならば――」
唯衣はそんな亜姫の様子には気づかぬまま、傲岸不遜に腕を組む。
「この先、静岡県民に会う機会があったらこう言っておいてください。富士山は山梨県の物だと」
「自分で言えよ」
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