2-7 騎士道部

 亜姫の案内で、皐月は夕陽の強くなり始めたグラウンドを歩く。

 騎士道会館でのやり取りを説明すると亜姫が可笑しそうに笑った。


「あはは。まさか唯衣とそんな事があったなんてね」

「やめてくれ。この前だって酷かったんだ」


 じろりと視線を巡らすと、唯衣の茶褐色の瞳が皐月を見ていた。相変わらず攻撃性を隠そうとしない。

 何よりも、ここまで一切皐月と亜姫の会話に口を出してこないのが怖かった。

 隙あらばレイピアの一撃すら加えて来そうな、そんな威圧感がある。


「あの、二人は一体どういう関係で?」

「私がここに転入するって唯衣に話したらね。この子もここの騎士道部に入るって約束してくれたの」


 唯衣に問いかけたつもりが答えたのは亜姫だった。


「ねっ、唯衣?」


 亜姫が小首を傾けて合図するとそれまで黙りこくっていた唯衣が普通に頷く。

 皐月に対する態度とは明らかに違う、朗らかな表情で。


「ここなら山梨からでも通えますし。昔みたいにアキちゃんと学校帰りに遊んだりとかしたかったんです」

「あー、確かに。唯衣が引っ越してからぱったりだったもんね」


 そう言って仲良さげに肩を揺らし合う。

 だが、皐月はそれが面白くなかった。唯衣から感じるのは明確な敵意に他ならない。


「ねえ、アキちゃん。本当にこんな所に騎士道部の部室があるんですか?」


 唯衣が指さした先には荒涼なグラウンド。遠くで練習試合をしているサッカー部がぼーんとボールを蹴り飛ばすのを皐月も釣られるように眺めた。


「ほら、騎士道部ってフツー室内でやるじゃないですか。何でこんなグラウンドなんかに?」


 ふっと鼻で笑いながら皐月を一瞥する唯衣。

 皐月に対する塩対応はわざとやっているのだと言いたげな、当てつけのような振る舞いだった。


「確かに。剣道部やアーチェリー部は練習場が設けられてるよな。俺も騎士道部があるとは知っていたけど……」

「何ですか。なに私に話を合わせてるんですか」


 それでも皐月が無理やりにでも会話に介入すると、唯衣の機嫌が露骨に悪くなる。


「俺は去年からこの高校に通ってるんだ。騎士道部があるのは知ってたけど、どこで活動してるかなんて考えたことも無かったって話。別に樫葉崎に同調してる訳じゃない」

「あっそ。ところでアキちゃん。これから向かう所は本当に部室なんですか?」


 拗ねた子供のような唯衣の振る舞いに亜姫は苦笑いしている。


「皆瀬さん。部の先輩達とはもう話したの? 人数少ないって聞いたけど」

「ちょっと、私がアキちゃんと話をしてるんですよ。割り込まないでください」


 唯衣が亜姫の袖をぐっと握り締めながら皐月を見上げる。対抗心を燃やしているのが見え見えだった。


「そういえば、久条君って結構人見知りするタイプだっけ?」


 少ない人数の環境で唯衣のような性格の部員ばかりだったら仲良くやっていける自信が無い。亜姫はそんな皐月の不安も見越しているようだ。


「身構えなくても大丈夫だよ。というか、君の中学の騎士道部はどうだったの? 帝徳って人たくさんいるんでしょ?」

「帝徳に居た頃、か」


 皐月の胸の内に去来したのはほろ苦いと呼ぶにはあまりに辛い思い出。

 帝徳の部員数は三桁に達していた。一軍から三軍まで分割され、常に仲間同士競い、蹴落とし合う。そんなレギュラー争いを皆が強いられていた。

 世間一般が想像する強豪校の部活の更に上を行く、凄惨さすら感じる環境。

 それよりも何よりも、皐月にとって一番つらかったのはその帝徳中等部で自分に与えられた役割で――そこまで考えた所で、皐月は記憶をこれ以上掘り起こすのを止めた。


「人数多すぎて最悪だった」


 ただそれだけ、抽象的に説明する。


「きっと、ここは久条君の中学よりも居心地良いと思うよ! 部員は少ないけど、皆いい人ばかりだったし」


 亜姫はすぐに満面の笑みに切り替わる。

 口から出てきたのは希望しか感じさせない内容の感想だった。


「いい人、か」


 何ともふわふわした表現だ。それでも亜姫の言葉を聞いていると不安が薄まる気がした。

 三人はグラウンドの外れも外れ、敷地の端へと向かう。雑草ばかりが目立つ放棄されたような区画。古びたネットで囲われた隅には小さなプレハブ小屋がひっそりと佇んでいた。


「着いた。ここが騎士道部の部室だって」


 振り返った亜姫の背後ではプレハブ小屋のみすぼらしいトタン屋根がカタカタと風に揺れていた。


「本当にここが? ……マジですか。大丈夫なんでしょうか?」


 不安げな表情で唯衣が初めて皐月に語り掛けてきた。先ほどまでのいざこざが何だったのかと思うような、妙に庇護欲をくすぐられる可愛らしい仕草だった。


「俺もさっぱりわからん」

「で、ですよね」


 この後輩と初めて意見があった気がする。

 奇妙な親近感を覚えながら、部室へと足を踏み入れると、二人の生徒が既にいるようだった。


「おう、新入生か」


 そう言ってまず、一人の男子生徒がパイプ椅子から立ち上がる。

 緑のチェックのネクタイとスラックスは皐月の一個上、三年生だ。


「これが久条の? 本当かよ、不良じゃないか。なあ盾上たてがみ


 言動こそ上級生のそれだが、着こなしや髪型にはラフさはない。寧ろ、実直そうな印象。


「せっかく入部してくれた後輩にそういう言い方はだめだよ。根岸君」


 流れる風のような優しい声音。根岸という男子生徒を諭しながら女子生徒が立ち上がる。

 同じく三年生の緑のチェックスカートだが、どこか幼さを感じさせる容貌だった。輪郭を柔らかく隠す内巻き気味の髪。栗色のセミロングが夕陽に染められて眩しい。


「二年の久条君と、新入生の樫葉崎さんだよね? 皆瀬さんから話は聞いてるよ」


 そう言って、ふわりと髪を揺らし皐月の前に立つ。

 驚くべき事に、ここに集まった面々の中では三年生の彼女が一番小柄だった。


「一応、ここで部長をやらせてもらってます、私は盾上たてがみ冬華とうか。こっちの男子は根岸七生ななお君」

「え」


 思わずそんな声が漏れる。この見た目も振る舞いも清楚可憐な彼女が部長とは。

 驚きを感じたのは皐月だけではないようで、唯衣も口を半開きにしている。


「あの、ここって先輩達以外に部員はいないんですか?」


 一瞬空いた間をつくように唯衣が口を開く。

 敬語だが、その声音は少しキツい。


「アキちゃんから団体戦はしばらく出てないって聞いてましたけど……」


 そう言って唯衣が見渡したのは薄布のカーテンがひらひらと揺れる乱雑な部室だった。

 隅に置かれた数の少ないロッカーは見るからに古く、長い間使われていないようだ。二人が腰かけていたテーブルとパイプ椅子も会議室かどこかで払下げになったものだろう。

 本当にここがAR設備と最新式の武具を駆使した騎士道部の部室なのだろうか。


「他の部を掛け持ちしてる子もいるけど、それでも人数は足りないからずっと個人戦ばかりだったの」

「去年の三月で顧問も転任してしまったし実質休部状態だ。だから、新入部員が二人も来てくれて本当に良かったよ」


 言いながら、根岸は皐月達を見渡した。


「二人とも有望ですよ」


 両手を後ろに組ませながら、ずっと一歩引いた所でやり取りを見ていた亜姫が言った。

 いつもと同じ、どこかからかうような口調で。


「そうだ。皆瀬から聞いたぞ。樫葉崎はフェンシング経験者なんだろ?」

「はい。母の影響で子供の頃からやってるんで。騎士道競技のARは全然慣れてないですけど」


 唯衣はとても礼儀正しい。さっきまでのお転婆っぷりは何処に行ったのか。


「まあ、すぐ慣れるさ。俺も高校からだけど何とかなったし」


 労うような口調の根岸。

 唯衣と同じ堅苦しいタイプだが性格はそこまできつくはなさそうだ。そんな風に観察していたら根岸は皐月の方も気にしたように見る。 


「久条も頼むぜ。家が騎士道場で出身が名門の帝徳とか聞いておったまげたよ。何でそんな逸材が駒木野なんかに来たんだってな」

「それは」


 事情を言えずにいる皐月に気づかないまま、根岸は機嫌良さそうに肩を叩く。


「まあ、これで団体戦に出られるんだ。頼りまくるから覚悟しとけ」

「根岸君。先輩風吹いてる癖に、情けない事言ってるよ」


 冬華の指摘に女子勢がくすくす笑う。皐月も釣られて笑ってしまった。

 規模は小さくても、それなりに楽しく騎士道に打ち込んでいるようだ。

 日本有数の恵まれた設備と部員数を誇りながらも、楽しそうに剣を振るう者が皆無だった帝徳とはまるで逆だ。


「皆瀬さん」


 尚も挨拶代わりの雑談が続く中、皐月はタイミングを見計らって亜姫に声を掛けた。


「誘ってくれてありがとな」

「うん。騎士道、ここなら楽しめそう?」

「かもね」


 尋ねる亜姫に、つい素直に答えてしまう。

 それが恥ずかしくて皐月は視線を窓の夕陽へと逸らした。

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