2-6 結集

 週明けの月曜、その放課後。

 皐月は校舎と食堂を繋ぐ屋外通路にいた。

 騎士道部への入部の意思を亜姫に伝えると、ここまで連れてこられたのだった。


「いやー、君が入部を決めてくれて良かったよ」


 嬉しそうに自販機のボタンを小突く亜姫。手にしたのはいちごオレ。

 この場所を放課後に訪れる生徒は皆無だった。しばらくの間、二人でベンチに腰かけてジュースを飲む。


「そう言えば、この前は大丈夫だったのか?」


 何食わぬ顔で亜姫は登校してきた。しかし、雨中の決戦後、保健室に連れていった後の亜姫がどうなったのか皐月は知らされていない。


「誰かさんが大慌てで先生呼んできてくれたから、ね」


 ストローから口を離し、亜姫は事も無げに答える。

 だが、皐月の表情は未だ暗い。助けを呼び、大人の教師も交えてようやく保健室に運んだのだ。その後の事を皐月は知らなかった。


「ずっと気になってしょうがなかったんだ。本当に大丈夫なのかよ?」

「うん。新しいナノマシンも上手く馴染んでるし。軽い運動もしていいって」


 亜姫はそう言って、黒いタイツに覆われた足をぱたぱたと動かして見せた。


「土日はずっと入院してたんだ。代替のナノマシンを投与して身体に適合させる必要があるからね。その間はずっと、車椅子」


 頬を掻きながら笑って見せるものの、横で見ている皐月は罪悪感で一杯だった。

 そもそも、あの試合で亜姫に無理をさせなければこんな事にはならなかったのだ。


「あんな無茶、もうするなよな。分かってる? 皆瀬さん」

「ああ、もう平気って言ってるじゃん。気にしすぎだよ」


 そう言って亜姫は夕空を見上げた。


「でもさぁ、あの時の君すごい焦ってたよね? 笑えた」

「当事者が笑うなよ。本当に死んじゃうかもとか思ったんだかんな」

「ほんと? 私ってそんなに軟弱に見える?」


 亜姫は皐月の言葉を本気にしない。暢気にパックジュースのストローを咥えるだけだ。


「それに、事情知ってたら途中でも止めてたし。というか、まだ匂い残ってるんだよ、これ」


 未だに雨の匂いが残るブレザーの袖を亜姫の前に突き出す皐月。


「ちゃんとクリーニングしてないの?」

「俺、一人暮らしだし」

「そうなんだ。ていうか、そういう問題?」


 亜姫が苦笑いしながらベンチに座り直す。


「てか、久条君とこうやってゆっくりと話をするのって初めてかも。電車の時も急いでたし」

「ああ、確かに。学校に来てからは初めてかもな」


 言いながら、一緒になって夕空を見上げた。思えば、亜姫は教室ではいつもクラスメートに囲まれていて、こうやって話す機会は殆ど無かったと思う。


「うん。ずっと……ずっと話してみたかった」


 気づけば真横に座る亜姫が熱心に視線を向けていた。その赤い瞳から思わず身体を逸らす。


「ふふん」


 すると、何故か亜姫が勝ち誇ったように口角を吊り上げる。

 まるで、どちらが最後まで目を合わせていられるかの勝負でもしていたようだ。


「あのさ。もしかして、皆瀬さんの家ってとっても金持ち?」


 気を取り直し問いかけると、亜姫は一口ストローを咥えてから首を傾げた。


「どして?」

「最先端の医療技術使ってる割に扱いが大雑把過ぎない? お金に余裕あるんだなあって」

「そんなもんじゃないの?」

「あとは、それ。その剣だ」


 全くマイペースなものだと感心しながら、皐月は指さしたのは亜姫の腰元だった。スカートのベルトに吊り下げられた競技用の贋剣。

 刀身のほつれる奇妙な――いや、西洋剣の全てに日本刀のような銘があるのかはともかく、亜姫自身は≪ウィルム≫と呼んでいた。


「拡張現実のエフェクトならともかく、刃が推力を持って飛び回るなんて聞いたことが無いよ。絶対高いやつじゃん」

「君、結構お金に五月蠅い人なの?」


 皐月の表情が露骨に曇る。今は久条の流派を司る本家とも離れ、遠くで暮らしている肉親からの仕送りだけが頼りだ。

 限られた中でやりくりしているせいで自然と節制には慣れたつもりだったが、亜姫にこんな風に言われるとは。


「言い方やめろって。気になるから聞いたんだろう。俺だって騎士道競技者の端くれだし」


 そんな風に言い返すと亜姫はからかうように笑った。


「この剣はね。父がくれた物なの」


 亜姫が鞘から剣を抜くと、現れたのはあの時と同じ、柄の根本から刀身まで続く白一色だ。

 剣と同じ色のせいで気づかなかったが、よく見れば中央には飾り石がはめ込まれていた。

 ダイヤともパールとも違う余計な光沢や主張を感じない乳白色の宝石。不思議そうに眺める皐月の視線に亜姫が気付く。


「これはね、ムーンストーンって言うんだ。私の誕生石だからって父が付けてくれた物なの」 


 その名の通り、月のような静けさを湛えている。

 これが娘を想う父の愛情なのだろうか。皐月は柄にもなくそんな事を考えていた。


「この剣はね、父が研究してるBMIが埋め込まれてるの。知ってる? BMI」

「ブレイン・マシーン……インターネット?」


 違うよ、と言いながら亜姫はくすくすと笑った。


「ブレイン・マシン・インターフェース。人間の脳波に反応してリンクした機械とかを操作する技術。最近は義肢でもよく使われてるんだよ? 知らない?」

「さあ?」


 ニュースで見た記憶はある。

 しかし、実際に身近で普及しているかは考えたことも無かった。


「私の体内を循環しているナノマシンと同調して、刀身の軌道をコントロールしたりできるの。これは純粋に技術の革新のみを目指して作られた実験武具なの」

「ナノマシン……だから、あんな動きが出来たっていうのか」


 しかし、生憎皐月はこういった先端技術には疎かった。難しい顔をしている皐月を見て亜姫が愉快そうに身体を震わせる。


「父の会社はこういう分野を研究してるからね。この剣を私にくれたのも実験ついで。だって、ほら――使でしょう?」


 天井のひさしから注ぎこんでくる夕陽が彼女の横顔を照り付けていた。


「そっか」


 一方の皐月は今度こそ押し黙ってしまった。

 皆瀬亜姫は剣の能力に頼らずとも卓越したセンスを持っている。事実、ナノマシンがオーバーヒートする前の動きは皐月にも匹敵する程だった。

 しかし、彼女の身体も武器も公式戦には絶対に適合しないのだ。試合時間フルであの動きをしようとすれば身体がまず先に音を上げてしまうし、亜姫の剣≪ウィルム≫は適合する試合フォーマットがそもそも公式戦に存在しない。

 認可されていない武具で戦えるのは互いの了解で行う草試合くらいだろう。

 理解してしまった。

 彼女は優れた騎士でありながら、幾度も勝利を重ねても尚、万来の喝采に祝福される事はけっしてない。ひっそりと、草試合で勇名を馳せても、公式戦の栄光には遠く及ばず。

 階梯の数字の上で、ひっそりと輝き続けるだけ。


「あ、憐憫は要らないからね?」


 皐月のそんな心情を読んだのか、亜姫は軽い口調で声を発した。


「私は別に公式戦に出れない事を不運だって思った事はないから。私は私が出来る場所でやるだけ。草試合でも全力で戦ってそして勝ちまくる。それだけ」


 そうやって気丈に言いきる。


「神経伝達機構もだいぶ馴染んで来たし。なんなら、この前の続きでもする?」

「また限界突破してナノマシン焼き切られても困る」

「あはは!」


 皮肉混じりの皐月に、亜姫が派手に笑って反応した。


「無理して試合に出て倒れたとか聞いたら後味悪いんだよ」

「だから、入部してくれるって? やさしー」

「別に……でも、そういうの何か嫌だから」


 真実を見通すような赤い瞳から皐月は逃げるように首を背ける。


「皆瀬さんは部員が欲しい、俺はこのモヤモヤを解消させたい。これは利害の一致だ」


 けして亜姫の為ではない。だが、彼女をこのまま見捨てて霞がかったような不快感を抱え、高校生活を送り続けるのはもっと嫌だった。

 そんな自分が我慢ならなかった。


「お人好しの癖に、本当君ってかわいくないね。かわいくないよ……ほんと」


 ベンチに腰掛けて聞いていた亜姫の、雪のような白い睫毛がそっと伏せられる。


「でも、ありがとう」


 そして、もう一度開かれた眼に皐月は魅入られる。見とれてしまうような、そんな優しい笑顔をじっと見ていた。


「俺は――」


 皐月がまだ何か言おうとしたその矢先の事だった。




「やっと見つけた!」 




 突然の声。皐月は反射的に振り返る。

 声のした方向、渡り廊下の入り口に女子生徒が一人立っていた。

 遠目でも分かる赤いチェックのスカートとネクタイ。皐月達の一個下、一年生の学年色。


「アキちゃん! 本当にアキちゃんですよね!?」


 その眼は亜姫だけを見ているが、皐月はその女子生徒に見覚えがあった。


「ずっと、ずっと会いたかった!」


 がしっと亜姫に抱き着く女子生徒。

 二つに結ったテールが炎のように揺らめく。仄かに香る制汗剤の匂い。


「皆瀬さん。この女子と知り合い?」

「は?」


 埋めていた顔が持ち上がり皐月の存在を認知したその瞬間、歓喜に溢れていた少女の豊かな表情が修羅と化す。


「あ、貴方は上野の変態!」


 少女がばっと亜姫から離れて腰元に手をやる。

 帯剣していたのか、括られたベルトからはレイピアがぶら下がっていた。少女の手がその柄をしっかりと握り締める。


「何でここにいるんですか! まさか、す、ストーカー!?」

「やめろ、俺は武器を持ってない。騎士道プレイヤーが丸腰の相手に剣を抜くのか」

「もっともらしい正論を言っても無駄ですよ!?」


 全く聞く耳を持たない少女の代わりに、亜姫が割って入る。

「ちょっと何なの。君達仲良すぎ」

「ご、ごめんなさい。アキちゃん」


 アイスブルーの髪を見た途端、唯衣の闘気が鳴りを潜めていく。

 まるで借りてきた猫だ。それを見届けた所で、亜姫がようやく皐月にも目線を向けた。


「彼女の名前は樫葉崎かしはざき唯衣ゆい。私が日本に住んでいた頃からの幼馴染なの」



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