2-3 洋紅色のスティンガー

 騎士道会館の食堂でランチを済ませた二人。

 つづら折りの階段を降りた先、地下の広い空間に出ると荘厳な景色が出迎える。

 耐震用の支柱が等間隔で聳えるそこはまるで神殿のようだった。


「この先に本格的な競技コートがあるんだ。ひと試合やってこうぜ?」


 打ちっぱなしのコンクリートの壁に掛けられた様々な武具。これらは全て無料で貸し出ししているのだという。

 その中から皐月は自分に合いそうな剣を適当に見繕う。


「何だ?」


 剣を取った矢先、背後からの喧騒に思わず振り返った。

 地下空間によく反響する馬鹿げた笑い声。あるコートの一画で黒山の人だかりが出来ていた。


「私は試合をしに来たんです。貴方達のナンパになんて興味ないです」


 群衆の隙間から、燃えるような美しい洋紅色の長髪、二つに結わえられたテールがちらりと見えた。


「揉め事か? これだから草試合プレイヤーどもは」

「あれ? もしかして、あいつらって」


 舌打ちする星司を余所に、皐月は騒ぎを起こしている男三人に既視感を覚えた。

 鳥の巣を彷彿とさせるマッシュカットに禿頭の巨漢。その脇に控えるのは逆立てた鶏冠のような金髪モヒカン。

 近づくとそれははっきりとした確信に変わる。


「ゲーッ、テメエこの前のチョコバナナ頭!」

 電車で亜姫に絡んでいた三馬鹿だった。彼らもまた皐月に気づいたようだ。

 向こうも覚えていたのは意外だが、皐月はちっとも嬉しいとは思えない。


「今度は何ですか」

 それに釣られるように少女も振り返る。

 鮮やかにツーサイドテールが翻り、攻撃的な吊り気味の大きな瞳が皐月を見据えた。

 髪型や顔つきを見る限り、歳の頃は皐月よりも幾分か下に見える。だが、見た目とは裏腹にその服装はどこか攻撃的な印象を受けた。黒革のジャケットと同じ色合のミニスカートの腰元には大きなバックルのベルトが巻き付いている。


「貴方達もナンパですか? 何か不良っぽい見た目ですし」

「いやいや、俺達は不良じゃないよ」


 皐月の代わりに反応したのは星司だった。

 敵意は無いと伝えたいのか、気さくな笑みを浮かべ身振り手振りを交え近づく。


「君が面倒事に巻き込まれてるみたいだし、助けに来たんだ」

「はぁ? なんですかそれ」


 まるで猫でもあやすようだが、少女は絶対に懐こうとしない野良猫の類なのだ。

 形のいい大きな琥珀色の瞳がすっと細められ、ゴミを見るような目に変わる。


「悪いな。こいつの性格はもう病気なんだ。治せない」

「そうですか。それはお気の毒に」


 ブーツの靴先でコンクリートの床を鳴らしながら、少女は探るように皐月を見上げた。


「――でも、そうやって助けに入った風にして、女性から好感を得ようとする男もいると聞きました。貴方達――全員グルですね?」

「ええ」


 ――どんな被害妄想だ。


 しかし、言い返す間もないまま、少女は芝居がかった仕草で肩を落として見せる。


「流石は帝都東京。恐ろしい街です。たった一日で私はこんなにたくさんの不良と関わることになってしまいました。」

「いや、俺達は――」

「いいですよ。貴方達のような不良を合法的に打ち負かせられるのが騎士道競技なのでしょう? 選手登録したついでです。剣で相手してもいいですよ」


 ――何を言っているんだろう、この子。


「来なさい。私は逃げも隠れもしません。貴方達も騎士の端くれならば、後は剣で決着を」


 言った瞬間に鞘から剣を抜き払う。地下にわだかまった澱んだ空気をレイピアの鋭利な煌めきが霧散させた。


「ちょっと話を聞いてくれ――うっ」


 瞬間、白光が焚かれる。

 薄暗いコートを照り付けたかと思えば、四隅の設備にも変化が起きた。

 ガントリーのような支柱がレールを滑り、センサーを満載したアームが一斉に鎌首をもたげる。恐らくは少女が抜剣した瞬間に刀身に仕込まれた信号を感知したのだろう。

 青いコートを目眩めくるめくレーザー光線の網が走っていく。


「なるほど、これが騎士道競技の設備ですか」

 試合会場のスキャンを目の当たりにしながら呟かれた少女の言葉。ふと、皐月の関心がそちらに向いたところで三馬鹿が動き出す。


「へえ~。お嬢ちゃんレイピア使いなんだ。見た所騎士道競技も始めたばかりなのかな」


 終始にやけ顔で皐月達のやり取りを観察していた鳥の巣頭の男だった。


「つーか、俺ら舐められすぎっしょ。こりゃやるしかねえわな」

「貴方達がどれだけ喧嘩慣れしていようが私の知った事じゃないです。コートに上がれば答えは神が決めます」

「言うね」


 張り付いた前髪を指でどけ、他の二人に目配せする。

 話しぶりからすると彼らも騎士道競技のプレイヤーらしい。コートに上がっていく面々を皐月は黙って見送った。


「貴方達はどうしたのですか? 乱入OKですし、来ていいんですよ」 


 生憎少女と不良共の面倒事に首を突っ込むつもりはない。皐月はゆっくりと首を振る。

「俺たちはいいよ。観戦させてもらう」

「そうですか。ではご自由に」


 興味もなさそうに顔を背けながら、少女は懐から透明な面を取り出した。

 端末と同期する事で視界にARを投影し、顔面も保護してくれるブリスターと呼ばれる一般的な騎士道競技の防具。擦れ傷一つないのを見る限り、少女は本当にこの競技を始めたばかりらしい。


「等しく嫌われちゃったな、俺ら」


 保護具を顔に取り付ける少女を見ながら、星司が乾いた笑いを零した。

 一方で、皐月の関心は別にある。年上の不良みたいな男三人を相手にしながら、初心者を自負する少女には恐れと言う物が見えない。

 果たして蛮勇か、それとも本当に少女には勝算が見えているのだろうか。

 そこまで巡らせた所で首を振る。


「何を気にしてる。俺は……」


 そうこうしている間に試合コートのスキャンが終了する。


「じゃあ、まずは俺が相手だけどいいよな?」


 最初に名乗りを上げたのは禿頭スキンヘッドの大男。三人の中で一番大柄というのもあるが、向かい合わせになると親子ほどの体格差だ。

 しかし、少女に臆した様子は見受けられない。レザージャケットのポケットから取り出したのはこの服装にはあまりに不釣り合いな白い手袋。

 まるで、これから何かの儀礼にでも赴くかのような丁寧な手つきで指を通し、視線が男達を射抜く。


「生憎、私はこの服装です。センサーが胴体にヒットしても感知しないでしょう。ですので、顔面の透過保護具ブリスターへのクリティカルヒットのみを勝利条件としませんか?」


 そう言って、レイピアの刀身を弓の弦のように大きくしならせて見せる。

 センサー回路の通りを確かめている内に、四隅の赤ランプが次々と緑に切り替わり、フェーズ移行のブザーが相次いで鳴る。


「いいねぇ。かわい子ちゃんの綺麗な顔を合法的にぶっ飛ばせるなんて最高だね!」


 試合準備が完了したという一際長いブザー音。

 それが鳴りやまない内に、禿頭男が飛び掛かった。


「おい! 不意打ちかよ。卑怯だぞ!」

「しかもあいつ、武器持ってないじゃねえか。拳で殴り掛かるなんて反則だろ!」


 徒手のまま向かって行く男にギャラリーからブーイングが沸いた。


「お前ら! 喧嘩じゃねえんだぞ。これは騎士道の試合だ!」


 どよめく男たち。だが、その渦中で皐月だけが冷静だった。


「あれは徒手なんかじゃない。れっきとした武具だ」


 皐月の色の褪せた灰色の瞳。その先にあるのは大男の手元に向けられている。


「おお、避けたぞ!」


 次の瞬間、沸き起こる喝采。拳に唸りを上げて殴りかかる男を、少女は身一つ翻して交わしてみせたのだ。


「セスタスですか」


 挨拶代わりの一撃が終わったところで少女が小さく呟いた。

 両手を胸元に揃えステップを踏み続ける大男。その拳の僅かな範囲を覆う手甲からは小さな棘状の刃が四本、飛び出ている。


「古代ローマの剣闘士が用いたというその武器。それにしても、暴力的で悪趣味です」


 男の得物に視線を合わせる事で、おそらくは視界にARで情報が即座に表示されているのだろう。

 まるで猛獣の爪をかたどったような造詣を見ながら少女は眉を顰める。

 

「こいつは公式戦じゃ使えないがな。俺みたいな奴をボコるのには向いてんだよ」

 男が再び殴りかかる。暴風のような重い風切り音は皐月の耳に聞こえてきた。


「ハハ! あいつはボクシング経験者だからな。降伏サレンダーするなら今の内だぜ!」


 コートの縁で見ている鳥の巣頭が野次を入れる。

 しかし、少女は怯まない。殴打の連撃を身一つで交わしながら反撃を窺っている。


「今度は私の番です!」


 だん、と踏み込み少女がレイピアを突きいれた。

 彼女の果敢な攻勢にギャラリーのテンションも上がっていく。たった一人で三人もの男に挑む少女の肩を持つ者は多い。


「マナー悪いなあ」

 素っ頓狂な口笛まで吹き鳴らされるのを横目で見ながら、皐月はぼやく。

 この騒々しさが皐月にとってはどうにも慣れない。


「まあ、草試合だからな。それより見てみろ。すげえぞあの子」


 同じ公式戦の競技者である星司から差し出されたモノクル型のARデバイス。言われるまま片目でレンズを覗き込む。

 レンズ越し、少女がレイピアで澱んだ地下の空気を切り裂く度、目の覚めるARの剣閃が瞬いていた。

 剣を引くと彗星のように尾が引かれ、また打ち出される。繰り出した剣の速度とパワー、そしてそれが相手に及ぼす脅威に応じて四方のセンサーが演算し、フィールドにエフェクトとして映し出しているのだ。


「確かに。間違いなく凄腕のフェンサーだ」


 帝徳の中等部にもここまでの騎士はなかなかいなかった。

 負けそうになったら手助けに入るつもりだったが、その懸念はいい意味で裏切られた。


「いいぞ、やっちまえ!」


 静寂の中で行われる公式戦とは正反対、騒々しい草試合の観衆たち。

 熱のこもった地下はさながら無法者アウトローの集う賭場のようだ。


「皐月、お前楽しそうだな」


 その中で、一人仏頂面を貫いていた皐月の頬が緩んでいるのを目にしながら、星司が小さく声を掛けた。

 彼の表情に浮かぶ小さな笑みは果たして、三馬鹿への憐憫か。

 それとも少女の剣閃によってもたらされた昂揚か。皐月自身にも分からなかった。


「おら!」


 流れを取り戻すべく大男が一気に接近。剣と拳のリーチを帳消しにして白兵戦に持ち込む。

 しかし、セスタスの渾身の一打を少女は屈みこんでかわしてみせる。

 そして次の瞬間、


「――ぐごッ!」

 男の巨躯が積み木のように崩れた。

 床面ぎりぎりまで身を沈ませた少女が、男の足を蹴り払ったのだ。


「今の見たかよ皐月! あの大木みたいな足を蹴りきったぜ! やるなあの子」


 ばんばんと肩を叩き星司がはしゃぐ。少女に相当肩入れしているらしい。

 男の喧嘩技への意趣返しのような少女の戦いっぷり。星司だけではない、ギャラリー全体が大きく盛り上がる。

 その渦中で、大男は膝を押さえ悶絶の声を上げている。


「はあああああああああああああああああああッ!」

 最早、遠慮をすることもないとばかりに少女が雨あられとレイピアの突きを繰り出す。

 これでもかと男の顔面――透過保護具ブリスターに叩きつけられる銀の剣閃。


「強い」


 皐月もこれには感嘆の声を上げる。文句なしの強打判定クリティカル

 巨体が後ろに倒れ伏し、ブザーが鳴り響く。一戦目は少女が制した。


「私は中学三年間フェンシング部でした」


 大見栄を切るようにレイピアを払うと鋭い風切音が唸る。


「この剣が私の手の中にある限り、貴方達のような悪漢相手に遅れはとりません」


 二つに結わえられた髪束を勇躍させる少女に歓声が沸く。


「経験者か。道理で騎士道競技初心者でも強いわけだ」


 曲がりなりにも帝徳中等部で騎士道漬けだった皐月だからこそ分かる少女の実力。

 しかも、攻撃偏重の立ち回りは、久条の家で剣を握らされていた頃の自分と重なる。

 彼女の戦いぶりを見ていると、何故か昔の自分を思い出すようだった。

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