第二章 キャヴァルリック・ゲーム

2-1 今に生きる騎士道

 今の老人たちの幼かった頃、彼らの親のそのまた親の世代、遥か遠い時代の話だ。


 世界中を巻き込んだ大戦は突如として終わりを迎えた。

 泥沼の争いに終局をもたらしたのはすり潰すような総力戦や新型兵器ではなく、世界規模の大災害カタストロフィだった。

 地がうねり海が逆流し、神話の再現もかくやという惨憺たる光景が世界中を襲った。

 いくつもの勢力に分かれ争っていた人類は一転、生存を維持する活動に専念する事を余儀なくされる。

 殆どの国が建国以来の危機に瀕し、国家としての体裁すら失いかけた。

 いくつかの国の体制は変貌し、独裁者の軍が独占していた権力は追いやられていた為政者の末裔にもう一度託され、民主的で平和な君主制という新しい在り方を世界に示した。

 その過程で声高に謳われ始めたという名の思想。

 東西の違いはあれど、強き者が弱きを助ける共通の理念によって人類は復興した。国を失った民衆は心を動かされ、銃床を握っていた手は互いの救済に向けられたという。


 ――しかし、それは矛盾の塊でもある。


 正義の意味を履き違え、妄信し、互いに非道を齎した中世。

 ノブレス・オブリュージュの名のもとに銃剣が掲げられた正義の戦争で、弱者ばかりが死んでいった近代。

 揉み消されてはそこに横たわり続ける騎士道という名の理想は、パンドラの箱の底の微かな光りに等しい。


『それでも、まだ騎士道は続いているんだよ』


 低く、落ち着きを伴った低い声。


『男なら、無理だからって諦めるなんて勿体ない。無理でも挑み続ける事こそが大切なんだ』


 年老いた男はそんな与太話をした後で、少年の金色の髪を撫で、笑った。




 その夜、皐月が見た祖父の夢。

 幼い彼が騎士道を純粋な気持ちで楽しめていた頃、誰よりも彼の味方であり、師匠でもあったかけがえのない存在。

 騎士道と、それ以上にいくつもの人生での大切な事を教えてくれた祖父は、皐月が中学に上がる年に亡くなった。

 テレビや映画でしか見たことの無かった人の生き死に。それは案外身近な場所に存在するのだと、皐月はその時初めて知った。


 その祖父との思い出が残る懐かしい場所へと皐月は向かっている。


 上野の駅を降り、公園を突っ切る様に歩くと、通りのあちこちに欧風建築が見えるようになる。

 その頃にはもう行楽客の人足も減って、静寂なコンクリートの坂を鳴らすのは皐月の靴音だけになっていた。

 勾配を上った先に現れるひと際瀟洒な白練色しろねりいろ煉瓦造りの洋館。

 騎士道会館――国内の騎士道競技とAR情報を管理統括する騎士道協会の本拠だ。


「相変わらず、ここはいろいろ混ざりすぎてる」


 杉が植えられた和風情緒溢れるアプローチの先、頭上高くそびえる西洋風のファサードを仰ぎながら、皐月は一人呟く。

 そこかしこに屹立する黒い支柱は電柱ではなく、ARの為に敷設されたセンサーマストだ。

 人々の持つARの端末は、常にこのセンサーマストから出される情報をやり取りしており、起動状態の間は常に様々な情報を同期する事ができる。

 ここは本当に文化の東西も、時代の流れも混ぜこぜになっている。

 大災害を乗り越えた日本人はかつての文化に心を惹かれ、明治大正を彷彿とする街並みをあちこちで再現しようと試みた。この建物もその過程で作られた物だという。

 亡き祖父に連れられてここを訪れる度、そんな話をしていたのを思い出す。


「ようこそ、騎士道会館へ」


 入口のガラス扉を抜け、和服姿の受付の女性に軽く会釈を返しながら進む。

 騎士道会館の廊下沿いには艶光するケヤキ扉が整然と並んでいて、祖父の節くれだった手に引かれ共に歩いた頃と何ら変わっていなかった。

 あの時は祖父の横をついて回るだけだった。

 しかし、今度は自分自身の手で取っ手を押す。


『番号札37番のお客様……書類の作成が完了いたしました。カウンターまでお越しください』

『本日も騎士道会館に足をお運びいただき誠にありがとうございます。当会館では――』


 部屋に入るなり、耳朶を打つのはARデバイスが受信した館内放送だった。

 木製カウンターの向こうでは、着物に洋装の出で立ちをした職員が密やかに動き回っている。 


「騎士道競技の公式戦登録をしたいんですが」


 窓口に立つ女性職員は和服姿で、染め上げられた臙脂には金色の花の刺繍が施されていた。


「それでは身分証とIDを確認できる端末をお願いします」


 ほれぼれするような美しい手のひらをかざしたその先に、視線を導かれる。

 緑のデスクマットに挟められた注意事項に一通り目を通した後で、皐月は懐からデバイスを取り出す。


「それでは手続きが完了致しましたらこちらからお知らせしますね」


 未だ書面で手続きが必要な項目もあるらしく、皐月は据え置かれた万年筆を走らせながら、周囲に注意を配った。

 休日の昼のせいか、長椅子は人でごった返している。皐月はおもむろに向き直ると職員に顔を近づける。


「あの、どれくらいかかります?」

「お客様は東京にお住まいの方ですし、復旧処理だけですので。そう時間は頂きませんよ」

 女性職員はスフィア状の端末を取り出し、この場では興ざめしてしまうようなホロディスプレイを浮かび上がらせ思案する。


「そうですね――」


 できるだけ早く済むなら越したことはない。


「一時間くらいでしょうか」


 予想以上に長かった。








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