1-9 彼女は眩く融け堕ちる
『明確なレギュレーション違反が確認されました』
雷の轟き。忘れていたように雨粒が額を叩きつけ始める。
傍らの草むらにデバイスが落ちている。激戦の最中、彼自身の手で放り投げた物だ。
『既定のソフトウェアではジャッジ不能です。明確なレギュレーション違反が確認されました』
ランプが赤く点滅し、それに合わせるように無機質な機械音声が繰り返されていた。
電源基部に指を触れると、打ち捨てられた時から展開されていたホログラムが漸く消える。
「負けた。負けた!」
亜姫はそう言いながら荒い呼吸を繰り返していた。
稲光が空を貫き、雷鳴が轟いた時には全て終わっていた。『稲妻』と『雷鳴』に合わせるように繰り出された皐月の剣は亜姫の刃の七連撃を全て封殺し、そのまま彼女の身体も袈裟懸けに斬ったのだ。
「やっぱり君、十分強いよ」
刀身の解れきったまま転がる剣。それを見下しながら亜姫が呟く。
「今のが俺の全力だった。でも……」
遠くではまだ雷の残滓が大気をごろごろと震わせている。強まる雨にブレザーが黒く濡れていくが気にも留めない。
「俺の負けだ。機械に認識されないようじゃ、一撃を奪ったとは言えない」
皐月が見上げた先、そこには何物にも虚飾されない空が広がっている。
鬱陶しい投影ホログラムはあるはずもなく、顔に叩きつけられる大粒の雨だけが確かな感触として五感に訴えかけてくる。
例え、亜姫の懐を奪ったとしても、機械判定は勝利の二文字を皐月に与える事は無かった。
「このデバイスはそもそも騎士道競技をするにはスペック不足なんだ。演算処理の極めて速い競技用に対応していなければ」
だから、あくまでも勝利を認められない。そう言って皐月は悲しそうに笑っている。
「本当、馬鹿じゃないの。君」
雨に濡れ鼻筋にしなだれる前髪を寄せて亜姫が呟く。
設備も用意されていない環境下で互いのデバイスのみで完璧なジャッジなど元々不可能だ。だからこそ、機械で判断しきれない部分の裁定は互いの合意で決めればいい。
それが草試合というものなのに。
「本当は勝ちたかった癖に……」
久条皐月は
どこまでもルールが下す裁定に従うその性分。
「君、本当騎士道馬鹿だよ」
亜姫は皐月が根っからの公式戦プレイヤーであることを痛感していた。
そんな、愚直な剣使いの少年がどこか可笑しく、また可愛らしいとさえ思えてくる。
「でも、私も――」
霞んだ視界を擦りながら、亜姫はやっとの思いで呟く。
「君は単に騎士道競技者としてのライセンスが切れてるだけみたいだけど……規格外の武器、私もなの。私も騎士じゃない」
「えっ?」
皐月の顔に驚きが浮かぶ。
「私のこの剣だって公式戦ではまだ認可されてないし。だから、君があくまでも公式な判定にこだわるってなら、この勝負は引き分けよ」
亜姫は頬を緩めて手のひらを突き出した。
公式戦での挨拶、試合終了の握手を求めているのだ。両者の握手を以て試合は初めて成立する。
「そうか。引き分けか。それなら仕方ないな」
握手を交わす間も亜姫の口からは白い息が激しく吐き出され続けていた。
未だ冷めやらない戦いの興奮のせいだろう、皐月はそう思いながら手を伸ばす。
「気は済んだ?」
「ますます手伝ってほしくなったわ。私には出来ない事を簡単に出来る。ほんと羨ましいよ」
「それはどういう?」
「いいんだ。君の考えが変わらないなら変えて見せる。だから――」
含みを持った亜姫の言葉に興味を引かれるが、言葉の続きが発せられる事は無かった。
「……あれ」
瞬間、亜姫は踊りつかれたように足元から崩れ落ちた。
ばしゃり、と。水のたまった草地が音を立てる。気づけば皐月は駆け出していた。
「皆瀬さん!」
亜姫を支えようとするが何かおかしい。華奢な身体の重みがそのまま両腕に圧し掛かる。
「ぐっ」
本当に力の抜けた人間の身体はこんなに重いというのだろうか。
「えへへ……ごめんね。ちょっと白熱し過ぎたかな」
亜姫は微笑みかけるが、顔面蒼白。この薄暗さのせいだとしても生気の失せたような色。
はっとして、皐月の心が亜姫の色を無意識に感じ取る。
死の色――いつかこんな雨の日に見た鯨幕がフラッシュバックする。
「ダメだ! 死ぬな!」
「大丈夫だから。大袈裟だなあ、もう」
皐月の額に手を添えながら亜姫は言った。仄かに温かい。
「私はとても強い女の子なんだから。君なら分かるよね?」
亜姫は皐月を見上げながら苦笑いを浮かべている。しかし、表情とは裏腹に彼女の身体の方は深刻そうだ。肩は激しく上下していて、呼吸も短かくて浅い。
「ああ、分かる。分かったって。皆瀬さんは強いって十分さっきの試合で思い知らされたから!」
――でも、どうして。
急速に抜けていく力。何かがおかしい。ただの疲労でこうも衰弱するものか。
「おい⁉」
「これが私の限界点だから……」
「何だって⁉」
再び雨が勢いを増してきた。激しく打ち付ける雨音のせいで彼女の声が聞こえない。
皐月は亜姫の口元に必死の思いで耳を近づける。
「私はね、久条君。小さな頃から身体が弱くって。足から下はナノマシンで無理矢理神経を繋げて動かしているの」
亜姫は息を苦しそうに吐き出しながらたどたどしく言った。
「でも、全力で動き回ると、処理が追い付かなくなっちゃって――だから、だめなの」
――ダメって何が?
そう口に出そうとしたところですぐに気づく。
「全力でもせいぜい三分が限界。公式戦なんて出来やしない」
悔しそうに亜姫が歯を噛み締めると、勢いよく白い息が吐き出される。
「でもっ! それなら何でこんな試合持ちかけたんだよ。その身体でこんなに動いたらどうなるか分かってるだろ!」
普段見せないあまりに弱気な亜姫に、皐月は思わず叫んでいた。
だけど、声を荒げた所でどうにもならないのも知っている。
「久条君……」
黙りこくったまま支える皐月の腕を、亜姫がぐっと掴む。赤い瞳が強く訴えかけていた。
「君はなんで騎士道をやめてしまったの? 楽しくなかったの?」
何も答えられなかった。皐月は溜飲しながらその瞳を見つめ返す。
「私は楽しいよ。公式戦は無理でも、出来るのがたった三分の草試合だとしても。剣を振っている間はずっと充実してる。生きてるって思えるんだ……」
「俺は――」
答えようとするのだが、それ以上の続きはどうしても喉から出てこなかった。
「久条君、勝ったのになんでそんなに悲しい顔するのよ」
そんな皐月を気遣うように、亜姫は小さく頷いた。
「今日はタイムリミット越えちゃった……心配させてごめんね」
「皆瀬さん。ごめん。俺、そんな事分かんなくて……」
皐月は手のひらに力を込め、必死に握り返す。
「うん。いいから、大丈夫だから」
優しい笑顔と裏腹に、皐月を握り締める亜姫の手は小刻みに震えていた。本当は笑えるような状態では無いのだ。彼女の優しさがひたすらに痛ましい。
――どうして、いつも。
自分はいつも何故こうなのだと。そんな悔しさで胸が灼けそうになる。
「ねえ、久条君。私は君の心の声が聞きたいよ」
「俺は」
しかし、言葉の続きが出てくる事は無い。
空が再び低く唸る。
二人を打ち付ける雨は更に強まっていった。
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