1-8 UNKNOWN

「どうした? やめる?」


 皐月が言うと、亜姫は違うわよ、と不敵な笑みを浮かべ返した。


「もうなりふり構っていられないから。君に私のを解禁する」


 言っている意味がわからないが――


「え」


 そこで初めて皐月は理解した。

 ホログラムの拡張現実越し、雨に陰った亜姫の輪郭が青白く燃え上がっていくのを。

 それはまるで、膨大の熱量が少女を覆って揺らめいているようだった。


 ――来る。


 周囲の大気が熱で逆巻く感覚は、拡張現実と思えない威容を皐月に伝える。


 だが、間合いは? 

 踏み込んで一撃を繰り出すには程遠い距離だ。

 ARの不調で遠くに見えすぎているのだろうか。試合に熱中し過ぎて遠近感覚を間違うのはARデバイスを使用した者にはよく在る事だ。

 しかし、皐月はすぐにその違和感の正体を知る。


「形態全開放――いけっ!」


 叫びと共に亜姫の剣から発せられた破裂音。

 それは虚飾された拡張現実などでは無く、


「――は」


 頬を何か固い欠片が掠め、風圧が殴りつけた。

 視界のホログラムに走る正体不明――UNKNOWNの赤色表示。ノイズ混じりのさざなみ

 視界が一瞬ブレる。


「投擲武器?」


 手元にはっきり残る擦過物の感触は刃のそれだった。

 草試合には投げナイフなどの投擲武具が認められたレギュレーションもある。

 だが、皐月はすぐに自らの考えを否定する。


 これは、弓矢投刃の類などでは無い。


 考える前に剣を握る手が動く。肩の高さまで上げた刀身を再び何かが掠めた。

 しゃらららと、楽器のように滑らかに響く金属の音色に弾かれるような衝撃。


「まさか、こんな」


 握り締めた剣の先にあるそれは、刃の断片だった。

 銀に光る七つの欠片が弧を描いて飛んでいく。宙を舞う蛇のような軌跡に目を凝らすと雨粒に濡れる銀糸がはっきりと見える。刃は全てその糸で繋がっているようだ。


「面白いでしょ? これ」


 信じられないという皐月の顔を見て、亜姫が嬉しそうに刀身の無い剣の柄を掲げた。

 かきんと音をさせて糸でつながっていた刃達が順に主の元へ戻っていく。

 最後の一辺が欠けた切っ先に綺麗に嵌りオレンジの火花を散らしたその瞬間、彼女の手には一本の剣が握り締められていた。


「ホログラムのエフェクトならともかく、そんな剣が現実にあり得るのか」

「あり得る。現に今の君はそれを受け止めて見せたじゃない。ARではない実体剣よ、これは」


 亜姫は言いきると剣の切っ先を下方に向けたまま、親指で柄を押し込む仕草をした。


「思うまま、望むままに動いてくれる。これが私の、私だけの贋剣――ウィルム!」


 まっすぐに翳せられた刀身は次の瞬間、白い蒸気を噴出した。

 しゅうしゅうと、蛇の威嚇のような鋭い唸りが再び巻き起こる。

 水蛇のようにしなる奇妙な剣はなるほど、西洋の伝承に登場する地を這う竜種――ウィルムを連想させる。だが、刀身ごと伸びる剣なんて見たことがない。


「いけっ!」


 亜姫が鬨の声を上げる。

 ぴんと張った銀糸を滑りながら七つの刃が皐月に向かってくる。


「くるか!」


 わあんとサイレンのような低音を伴って襲い来る未知を迎え撃った。


「――ッ!」


 剣を振るいながら刃を一つずつ弾いて駆ける。

 跳ねた汚泥がブレザーに染みを作るが目もくれない。


「近距離戦なら!」


 濡れきった地を蹴って前進する皐月。

 それを見て亜姫は剣を操作しながら感心した。

 これまで草試合で対峙してきた相手は、誰もがウィルムの太刀筋に臆した。

 皐月も彼らと同じように様子見に徹して消極的な防戦を選ぶ。そう信じて疑わなかった。


「本当君って、どうかしてるよ!」


 真っ向から剣を弾きながら向かってくる皐月。亜姫は、想像しなかった一手に乾いた笑いをもう一度零した。


「最っ高だよ、そういうの!」 


 亜姫の身体中を迸る蒼炎がその勢いを増す。


 その一方で。



「面白いな」



 皐月もまた、高揚をこらえきれないでいた。

 初めて相手にする蛇のような太刀筋を直感で回避し弾き、前に進んでいる。これまで何事からも逃げ腰だった自分が。

 誰よりも西洋剣を振るのを忌避していた筈の自分がだ。


 これは何でもない贋剣(がんけん)、所詮は競技用の代物なのに。

 この草試合だって、勝った所で何も得られないし、負けた所で失う物も無い戦いだ。

 それなのに、今の自分は何故こうも全霊なのか。

 もう騎士道競技などやるまいと決めた心が、彼女の剣に勝ちたいと燃えている。この衝動が止められないでいる。


 ふと、掠めた何本目かの刃を見た。

 刃には視界に映るAR表示のカーソルが追随しているがその動きは不規則で、未知の刃の軌道に戸惑っているようにも見える。

 カーソルだけでない。鬱陶しい赤の表示はさっきからそこら中に瞬いていた。それらは皆一様に『UNKNOWN』――正体不明だと皐月に知らせてくる。



「うるさい」



 最早、恐慌したシステムなど使い物にならない。使用者をアシストする為のシステムは、寧ろこの戦いでは邪魔な存在に成り果てている。

 耳に下げていたデバイスを雨中に投げ捨てると、鬱陶しいARは消え失せ――対面の亜姫を覆っていた青い闘気だけが、はっきりと見えるようになった。


「そうだ、これでいい」


 とんぼ返りしてきた刃の先頭を弾き返しながら、皐月は笑みを浮かべ。


 ――亜姫を覆う青。蒼炎のごとく眩く燃える炎を見据えた。


「この方がやりやすい」


 例えARの虚飾が機能しなくとも、この幻想じみた色彩が皐月にははっきり見えている。

 亜姫の炎が勢いを増し、火の手が視界をくゆらせる度、その向こうからくるウィルムの軌道が分かった。

 物理の道理ではない。そこに来るという心霊じみた直感。


「ああ、これだ」


 視界を彩る蒼い気配を頼りに剣を振るい戦う。

 間違いない。この感覚は騎士道競技を楽しめていた頃に見えていた『色』に他ならない。


「いつからだ? 色が見えなくなったのは。いつからだ、心が灰色に朽ちてしまったのは」


 かつては試合をする度に相手の騎士を覆うように見えていた存在しない色。

 いつしかそれは消え、皐月の世界はモノクロームに沈んだ。騎士道をやめようと決めたあの日から皐月の世界から色が消えた――筈だった。 

 だが、今見える世界はこうも鮮やかな色で溢れている。

 亜姫を覆う青い炎だけではない。白く煙るウィルムの軌跡。そして、それを受け止める皐月の剣は紅い火花を散らし。

 遠くに見える曇天と、黒くざやめく濡れた草。全てが生々しい色彩を伴って、皐月の感情に訴えかけてくる。


「本当に久しぶりだ」


 言いながら、亜姫の繰り出すウィルムの如き斬撃を軌跡ごと弾き飛ばす。

 剣の世界は面白いと、かつては当たり前に思っていた。

 彼女と会うまですっかり忘れていた。


「もっかい、やってみるか」


 かつて振るう事が出来た一撃を。

 とうに忘れていた技を今一度、記憶のままに呼び起こす。


 確か、こうだったっけ。


 そう心の中で律動を刻みながら、亜姫の攻撃に合わせて反応させる。


「はあ――ッ!」


 山吹色にくるめいた剣が地を滑り、上昇。

 殺到する刃の鞭を弾き、受け流し、銀糸を滑らせながら――その時、稲光が閃く。

 その先に迫る亜姫の表情は、驚きに染め上げられていた。


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