1-5 逃げる為の戦い
亜姫を連れ、皐月が向かった先は昇降口とは逆方向の旧校舎だった。
「さっきの話の続き。君の頭って何でそんなゴールドと黒が混じったような色なの?」
「ああ、これ。ひい婆ちゃんがドイツ出身なんだ。俺の髪はその名残かも」
皐月は一瞬どう伝えるか迷うが、ありのまま正直に話した。隠したところで亜姫は尚も食い下がって来るからだ。
「へえ! だからそんな色なんだ。でも、ドイツって?」
「俺の家、騎士道競技の道場やってたからさ。ひい婆ちゃんは日本に騎士道を広めるために招かれて爺ちゃんと結婚したんだと」
「その時代って丁度、大災害からの復興期じゃない? 欧州との交流が進んで騎士道競技が日本でも一気に普及したって聞いたわ」
視界でふわりと揺れるアイスブルーのサイドテール。
「久条って聞いた時から、ずっと思ってたけど――君の家って『久条流』と関係ある?」
「関係あるも何も、久条流は俺の実家の道場だから」
「やっぱり!」
――久条流。それが皐月の家に冠せられた名前だった。
日本を代表する騎士道流派の一つ。
「じゃあ君も騎士道めっちゃ強い!?」
目の前の少女はしかし、皐月がその久条家の人間だと知っても全く動揺しない。
寧ろ、無邪気に声を弾ませていた。電車で会話を交わした時と同じ、相変わらずの好奇心だ。
「いや、俺は全然だめだよ」
皐月はそう言いながら金髪を物珍しそうに触ろうとしてくる亜姫から身をかわす。
「騎士道の家って言っても欧州みたいに歴史がある訳でもない――し!」
亜姫から逃れるように、廊下の窓に目を向ける。
校舎裏に並ぶ木々。広がった枝先がざわざわとガラスを擦りつけて揺れていた。
「結局、日本の騎士道なんて海外の武術の真似事なんだよ。西洋から騎士階級の家に生まれた者を招き、技術を取り入れて混ぜ合わせる。そうやってできた偽物の剣術だよ」
だから、そんな偽物をさも大層な物のようにして振る舞う家が大嫌いだった。
もし、自分の家が騎士道とは関係が無かったなら。皐月は未だにそんなどうしようもない事を考えてしまう。
「随分と、騎士道競技が嫌いなんだね」
「否定はしない」
皐月は騎士道が嫌いで嫌いでしょうがない。だから、道場の門下生たちが皆騎士道の強豪校に進学する中、跡取りの筈の皐月だけは騎士道とは無関係のこの辺境の駒木野を選んだのだ。
それこそ、逃げるように。
「ねえ――久条君」
いつの間にか、亜姫は数歩行った先を歩いていた。
こちらを振り返りながら、儚い笑みを浮かべる少女。
「競争しない? あの廊下の曲がり角まで」
――は?
アイスブルーの髪が揺れたのはほんの一瞬の出来事。
「よーい、ドン!!」
言うが早いか駆けていく。
渡り廊下を越え、みるみる小さくなっていく少女の背中。
いきなり何の勝負だ。そう叫び返したくとも、亜姫は既に校舎の向こうに行ってしまった後だった。
「つーか、ちょっと待てって!」
昏い旧校舎の階段を駆けていく影を皐月は追った。
サイドに括られたアイスブルーの髪先が、全力疾走の馬の尾みたいに躍動している。
「あはは。たのしー!」
「ほんといい加減!」
ようやく距離を詰めた皐月を嘲笑うかのように、亜姫は階段の手すりに飛び乗って滑り降りて行く。なんて動きをするんだ。驚く間もなく皐月は足早に階段を下った。
一階まで降り立ち、突き当りを曲がり――
「っと!」
そこで思わず動きを止めた。
廊下の窓を背に、亜姫がへたり込むように座っていたからだ。
「はあっはぁっ」
呼吸が荒い。
床に転がるスクールバッグを拾おうともせず、肩を激しく上下させている。
「いきなり走り出すからだよ。大丈夫?」
「はあ、何でもないから……」
差し伸べた手を静止する亜姫。問題ないというアピールのつもりらしい。
「でも、本当にどうしたの。ちょっと普通じゃないように見えるけど」
暫くの間呼吸を整えた後で、亜姫はようやく立ち上がった。
「君が……君が、あんまり退屈そうにしてたから」
汗の浮かぶ頬を緩ませる少女。
皐月は返す言葉も無いまま、じっと俯いた。薄暗い廊下は目を凝らせばタイルの隅が小さく欠けている。
「どうしたの? 下なんて向いちゃって。何か落とした?」
隣に立つ亜姫は不思議そうな顔でこちらを見ていた。
相変わらずの純真無垢の瞳は紅く、差し込む夕陽が染み込んで潤いを帯びていた。
「案内だったっけ。行こうか」
第二生物準備室、郷土資料室。暗い廊下は、居並ぶ教室のプレートの白だけがぼんやりと浮いて見える。
頬を撫でるひんやりした空気。ひたひたと湿った靴音は皐月。小気味よく跳ねる靴音は亜姫だ。
すっかり口数も少なくなり、ただ作業をこなすような段取りで旧校舎を進む。ここを一周して新校舎に戻ったら、そこで終わりだ。
そう考えながら角を曲がると、窓一杯に枝葉を広げた桜の木が見えた。
旧校舎、それに学校の裏側という事もあってか、せっかく花開いた桜を見る者は皆無。忘れられたように咲き誇っている。
「この桜ももう散るな」
古木を仰ぎながら皐月が呟く。
節くれだった幹を広げふんぞり返る様は神経質な年寄りを連想させる。
はらはらと花弁を落とし続ける古桜。東京の春の終わりは早い。
「まるで桜を珍しそうに見るんだね」
「そう?」
亜姫に言われながら、皐月はもう一度桜を見上げた。
思えば、最後に花見をしたのはいつだったか。
祖父が生きていた頃は、家族や道場の門下生総出で桜の下で花見をした。桜を見上げながら大人達は笑い合い、盃を交わす。幼い皐月は数少ない同世代の友人と一緒に団子をたらふく平らげた。
しかし、もうそんな楽しい時間はやってこない。
桜はこうも早く散りゆき、やがて若葉を生い茂らせる。一年はそうやって巡り廻っていく。
一方で、皐月の胸の中はいつまでも曇ったまま。同じ工程を繰り返しているだけだ。それは果たして意味があるのだろうか――
そう考えた時期もあったが、最近の皐月は考えないようにして生きている。
分かっている事を分からない振りをして生きるのが美徳だと、皐月はこれまでの人生で散々に思い知らされてしまったから。
窓の外では今も桜の花びらが落ちていく。
それを前にしながら亜姫がすっと身を引くように視界から下がった。
「今日は案内してくれてありがとう。でも……もう一つだけお願いがあるんだ」
振り返る皐月に、亜姫は決心したような真剣な表情で。
「勝っても負けても構わない。でも、一度だけでいいから私と騎士道競技で勝負をして」
花びらがひらひらと落ちるゆったりした時の中。その声ははっきりと皐月の心に響いてくる。
「例え、君が入部しないとしても、私は勝って弾みをつけたい。ここで久条の騎士を倒す。そうすればきっと私の自信になる」
皐月自身が知らない心の最奥まで見透かしてくるような、紅色の虹彩が見つめている。
「いいよ。一回だけなら」
突如、降ってわいて言葉。
皐月は一瞬自分の放った思いもしない言葉に驚いたがそれも束の間、
「ほんとに?」
落胆に沈んでいた亜姫の瞳がゆっくりと、朗らかに細められる。
「良いの……?」
「一戦だけなら」
言いながら、ようやく気づいた。
これはきっと心の声に従った結果だと。
彼女の真っすぐな眼差しに根負けしたわけでは無い。
この密やかな願いを拒むのはいけない気がしたのだ。
逃げたいのに、逃げたらいけない気がして仕方がなかった。
たった一戦相手をするだけでこの強迫観念から逃げられるなら。
楽になるかもしれない。例え、それが自分の大嫌いな騎士道競技の勝負だとしても。
これで終わらせよう。騎士道なんて物に縛り付けられた自分自身の運命を。
皐月が頷いたのは亜姫に対する親切心からではない。自分自身へのけじめだ。
「勝っても負けてもこれでチャラだ。いいね」
「うんっ!」
しかし、そんな皐月の後ろ向きな考えなど露知らず、少女は嬉しそうに頷いた。
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