1-3 帝都の西端 ――八王子某所にて

 皐月の通う駒木野高校は、東京西端の郊外に位置する。


 新二年生の登校日。

 新クラスの発表を昇降口で確認した皐月は自分の教室へと向かった。

 簡単なHRをこなした後は新入生を迎える為の入学式の準備をするらしい。


「また同じクラスだね。久条」


 二年の教室で席に着いた皐月。そこに顔見知りの男子生徒が声を掛けてきた。

 その背には部活道で使う幅広のデイパック。端には白い楷書体で駒木野高校剣道部と記されている。


「おはよう。その背中、初日から部活?」

「春休み中ずっとだよ。うちの学校そんなに強く無いのにね」


 剣道部に所属する男子生徒は、人当たりの良さそうな笑みを浮かべた。


「あ、そう言えば転校生来るんだって」

「高校で転校生って、なかなか珍しいな」


 皐月は不愛想に相槌を打つが、その男子生徒は気にも止めない。


「可愛いのかなあ。女子なんだって」


 そう言って、自分の席に戻っていく。

 再び一人になった皐月は、改めて周囲を見渡した。顔馴染みこそ何人かいるものの、殆どまともに話をした事のない生徒ばかりだ。

 新しいクラスメートとは程よい距離感で上手くやっていこうと思う。

 特別扱いされず、かといって恨まれもせず。例えるならば、そう。無色透明な空気のように。


 生まれのせいで髪の色こそ金色混じりの皐月だが、穏やかに振る舞っていればそれを揶揄するような幼稚な人間もこの高校にはいない。

 そんな、無難な立ち位置でいられる今の環境が嫌いではなかった。


 ――寧ろ、昔に比べたら、と思う。

 あのARのように虚飾で塗り固められた幼い自分を取り巻く環境に比べたら。

 帝都と呼ばれる二十三区内の実家に住んでいた頃は、いつも幾人もの人間が幼い皐月の目の色を窺うように近づいて来たものだ。大人も同世代の子供も境無く。

 数多の人間が近づき、そして離れていった。

 彼らの言動と表情は異様なほど乖離していていつも沈んだ土留色に満ちていたのを思い出す。

 彼らに囲まれた皐月はいつも猜疑心に悩まされ、そして実際に数えきれないほど心を傷つけられた。

 それに比べれば、分かりやすい程のに澄み渡った今の世界の方が居心地が良いに決まっている。


「はーい。皆席に着いたー?」


 鎌首をもたげ始めた陰鬱な感情を振り払ったのは担任らしい女性教師の声だった。その後ろにぱたぱたと続く靴音。先程話していた通り、転入生のお出ましらしい。

 窓際寄りの後方で、皐月は頬杖をしながらそれをぼんやりと聞いていた。

 教卓には目を向けず、彼の視線の先には開け放たれた窓がある。

 すぐ脇に広がるのは東京西端の山がちな緑多い景観。遠くからは野鳥の甲高い囀りが聞こえる。


「初めまして、皆さん。私は皆瀬亜姫です」


 そこにすっと入り込んでくる声。

 耳心地滑らかなその声音は、どこかで聞いたような気がした。


「――!」


 自然と興味を抱いた皐月は前方に視線を戻し、目を見開いたまま喉奥がこくりと鳴る。

 キャメルカラーのブレザー。紺青のチェックスカートから伸びる脚は陽光を弾く黒いタイツ。

 そして、何よりも皐月が視線を釘付けにされた理由は彼女の髪の色。


「日本に戻ってきたばかりで慣れない事があると思いますが、皆さんと友達になりたいと思っています。宜しくお願いします!」 


 服装こそ違えども忘れる筈が無い。

 教卓に立つ転入生は、皐月があの電車で出会った少女だった。






 静まり返った教室。

 黙々とノートを取る皐月の耳元にはイヤーピース型のARデバイスが装着されていた。

 デバイスが展開するホログラムの青い帯がうっすらと、彼の視界をゴーグルのように覆っている。


「ここ、この公式は定期考査に必ず出題します。良く覚えておくように」


 数学教師が差し棒で示した部分を追随するように、投影された赤いマーカーがぐるぐると円を描く。

 自分の意志と関係なく視界で自己主張してくるARシステムが皐月は大嫌いだった。

 しかしながら、授業中は最低限のARデバイスを使用する決まりになっている。

 こっそり電源を切ろうものなら同期切断が感知され、即座に注意される。

 逃げ場のない環境でこっそり内職をする生徒はいるが皐月はそこまでのサボリをする度胸は無い。うんざりしながら、八つ当たり気味に紙のノートにマーカーを強く引いた。


「?」


 ふと、視線を感じて横を一瞥すると、アイスブルーがちらついた。

 頬杖をつけながら、皐月に目を向ける亜姫の瞳は窓からの陽ざしで鮮やかな紅色に煌めいている。

 ふい、と逸らされる視点。

 皐月も思い出したように机へと顔を戻した。

 彼女はあの電車の出来事を覚えているのか。

 そんな疑念を胸に秘めながら授業に打ち込み、そうやって新学期の日々は過ぎて要った。



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