第一章 白い花は氷蒼に咲く

1-1 御伽噺から出てきたような銀髪少女 ――帝都某所電車内

 久条皐月くじょうさつきは電車の中で途方に暮れていた。


「さっきから言ってるじゃないですか。別にそういうの興味ないんで」


 男数人に絡まれた少女が声を荒げている。

 春の始めの昼下がり。車内はこの時期にしては珍しく空いていた。


「だから、私に構うのやめてくださいってば」


 うたた寝でもできそうだったのに乗客同士の言い争いが終わる気配は無い。

 そのやり取りを遮断するように皐月が取り出したのはイヤーピース型のARデバイスだった。

 左右の耳に引っ掛けると、チリと電子音が生じ、ホログラムの青い帯が視界を覆う。

 あちこちに浮かび上がり始めた時刻や表示に目を通しつつ、立体ディスプレイがスポーツ番組を映し出す。


『さて、いよいよ決勝戦を迎えるのは全国高等学校騎士道選手権ですね』


 流れていく青空に半透明のキャスターが映し出されていた。


『春の盾を手にするのは果たしてどの高校か。このあと十三時開始予定の京都会場から、井上リポーターの中継です。井上さん――』

「ちっ」


 聞きたくないの話題だ。気が付けば、皐月はデバイスの電源を落としていた。

 代わりに耳朶に戻ってくるのは車内の騒音。


「本当何なの⁉ あなたたち!」


 皐月はとうとう車両を移ろうかと席を発ち、


「えっ」


 そして、気づけば眼が釘付けにされていた。

 男達相手に口論を繰り広げていた少女。その出で立ちがあまりに現実離れしていたからだ。

 まず目を引くのはサイドテールにまとめられた髪の色だった。金髪と呼ぶにはあまりに淡いアイスブルーの発色。

 髪だけではない。肌も雪のように白く、その容貌は神性すら感じる。

 一瞬、常在型のARアプリが少女の出で立ちを虚飾しているのかとも思ったが、すぐに否定する。

 端末はつい先刻、パーカーのポケットにしまったばかりなのだ。


「私、別にあなた達の事知らないし!」


 歳の頃は皐月と同じ高校生くらいか。

 ファー付きのジャケット。その裾から伸びるタイツに包まれた脚は窓からの陽光を弾き静かな黒を湛えている。


「あまりしつこいようでしたら、駅員さんを呼びますよ」

「いいじゃん。俺達いい店知ってんだよね。次の駅で降りようよ」


 床を踏みしめたすらりとした二本の足。

 舌戦を繰り広げる少女は本気で怒っているのだが、男達は真面目に取り合う気がないらしい。一様に薄ら笑いを浮かべていた。

 当事者でない皐月の目から見ても不愉快極まりない。


「何だ、この状況」


 ぴり、と。

 皐月の脳裏に電流のような衝動が駆け巡り――


「迷惑してるみたいですよ。やめたらどうですか」 

「は? 誰お前」


 気づけば男達に正面から声をかけていた。


「この子が困ってるじゃないですか。やめてください」


 いざこざを止めようとする。

 しかし、男達は皐月に対し攻撃的な眼差しを向けてきた。


「つーか、なにお前。いきなり手を出してんじゃねえよ。あー腕がいてー」


 鼻梁まで覆った長い前髪を鬱陶し気に払いながら、頭目らしいマッシュヘアの男が鋭い眼光を向けた。

 腕を掴み止めようとした皐月を、先に手を出したのだと言いたいのだ。


「あのさー、俺ら嬢ちゃんに用あるんだけど。もしかして喧嘩売ってるん?」


 残りの二人も皐月を取り囲む。

 関西弁の金髪頭にもう一人は禿頭スキンヘッドの巨漢だ。


 ――俺、なんでこんなことなってんだ。


 ふと、皐月は自問自答する。

 このようないざこざは帝都の電車ではありふれた光景だ。厄介事から身を遠ざけて他人と関わりを持たないように気を配っていた筈なのに、困っている少女を見ていたらいつの間にか身体と心が動き出していた――心?





『皐月。お前は自分が正しいと思う心に従えばいい――』





 天啓のように降り注いだのはいつか幼い頃に聞いた穏やかな男の声。


「おいお前、聞いてんのか――」「嘘よ! 私、こんな人たち知らないし。用事なんて全然ない!」


 現実に引き戻されると、少女は皐月の手をぎゅっと握っていた。


「ねえ。私はこの人達に一方的に絡まれてただけだよね? それを次の駅で駅員さんに証明してくれる?」


 ルビーのような瞳がじっと見ている。

 何もかもが異質の色だ。まるで御伽噺から出てきたような。


「え……」


 しかし、少女と目を合わせていたのも束の間。電車は減速していく。


 「どうかされましたか?」


 扉が開き、ホームで待ち構えていた駅員と居並ぶ乗客が好奇の視線を向けてくる。


「アホくさ……もういいわ」

「オラ、どけよ。邪魔だっつーの」


 捨て台詞を吐いて降りていく三人組を駅員は怪訝そうな眼で見送る。

 新たな乗客を迎え入れたドアがしまった途端、少女は席に崩れ落ちてしまった。

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