第2話 大阪市 新大阪駅
ようやく大阪を脱出できる。
「なんだあいつら。冷たいな」
「別に、こんなもんじゃないですか?」
「そうか? ……まあ、そうかな」
確かに、事件が一旦解決した今、関東玄國会の山田徹を東條組若頭、
「あのおふたりって今後どうなるんですかね?」
間宮の質問に、大きな黒い鞄を右手に提げた山田は首を傾げる。
「ふたり? 瓜生と黒松さんのことか?」
「そうです。他に誰がいるっていうんです」
「変なこと知りたがるんだな。幽霊の方はもう気にならないのか?」
「おふたり、どっちも東條組の次期組長候補ですよね」
「……」
揶揄うような物言いにも間宮は口調を変えず、山田はくちびるを引き結んで沈黙する。そう。その通りだ。東條組の次期組長候補は黒松だけではない。黒松が最有力候補というだけで、他にも次期組長として背中を押されたり、名乗りを上げたりしている者は何人もいる。瓜生もそうだ。積極的に手を挙げているかどうかまでは知った話ではないが、瓜生静を次期組長に、とする派閥が存在しているということぐらいは知っている。東條組の現組長はもうだいぶ前から体調を崩して入退院を繰り返しており、組長代理と名乗りはしないものの、実質的にその立場にいるのは黒松だ。年齢的にも彼が跡目を継ぐのが筋だろう。だが。瓜生には、黒松が持っていない情報網がある。そのうちのひとつが冬だ。横浜中華街にも冬と同じく地獄の人材派遣業を名乗る秋という人物がいるが、東西のふたりに共通しているのは「それなりの格がある人間としか面会しない」という点だ。彼らの言う「格」がどういうものなのかを山田は良く理解していない。だが山田は横浜中華街の秋に会ったことがある。仕事を請け負ったことも、仕事を頼んだことはある。山田は許されている。しかし、山田より上の立場にいる関東玄國会若頭は秋に毛嫌いされている。横浜中華街の秋の根城にも出入り禁止だ。「格」とは。いったい何なのか。分からない。
「黒松さん、冬さんの秘書さんと仲良くなってましたよね……」
返す言葉もない。間宮はそんなところまで見ていたのか。いや、間宮という一般人、ただの探偵にすら理解できるほどに、黒松は、冬と、その秘書と。あの修羅場をどうにか乗り越えた山田も密かに「まずいな」とは思っていた。
もう大阪を出ると黒松に一報を入れた際、つまり昨晩遅くということだが、通話アプリから聞こえてくる黒松の声は明るかった。うまい茶を飲んでいると言っていた。昼間からずっと飲んでいると。神戸ってのは、と黒松は言った。ええとこやな、もっと
黒松と冬が繋がりを持ってしまった。
仮に黒松が東條組の跡目を継いだとしても、瓜生が制御してくれると思っていた。山田徹は、そのためだけに瓜生静と関係を持っていたといっても過言ではない。
だが、黒松は今、瓜生と同じだけの武器を手に入れた状態で東條組次期組長という立場に立っている。瓜生にはもう、黒松がどんな思想を持って行動したとしても、それを止めることはできない。
黒松は、黒松朝水という個人としてはかなり真っ当な人間だ。それほど警戒する必要はない。山田もどちらかといえば、瓜生よりも黒松の方が人間として好きだ。しかし、彼が東條組のトップに立ってしまったら。話は大きく変わってくる。人間として好きだろうが嫌いだろうがまるで関係ない。絵に描いたような武闘派である黒松は、組を率いて関東攻略に挑むだろう。組長就任後の初仕事は、大きければ大きいほど良い。黒松の名を全国に轟かせる良い機会となる。最悪だ。残念ながら、今の玄國会に黒松が率いる東條組と取っ組み合って勝てる力があるとは思えない。だからといって逃げることもできない。
「面倒だ」
「面倒ですか」
「東條の今の組長ができるだけ長生きしてくれるように祈るぐらいしかできない」
「やっぱり、そういう感じになっちゃうんです?」
「なっちゃうな。このままいけば黒松さんが次期組長になって、それで……戦争になる」
「あ〜」
山田の深刻な発言に対し、間宮の応えは呑気なものだった。
「じゃあ、山田さんからこうしてご依頼いただくのももう最後かもしれませんね。長らくお世話になりました。色々ありましたが楽しかったです。ありがとうございました」
「俺が死ぬ前提で話しするのやめろ」
「だって山田さん、そういう事態になったらまず最前線に出されるでしょ?」
「理解が早くて助かるよ……ああ嫌だ。死にたくない。前線になんてもう出たくない。腕一本ないだけでもじゅうぶん苦労してるのに、その上黒松さんに殺されたくない」
「黒松さんはまず山田さんを
「なんで知ってるんだよぉ……ああやだやだ……」
あの時代の繰り返しだ。それこそ、20年前。山田が未だ若かった頃。山田の育ての親は東條組との抗争で命を落とした。山田の育ての親を殺したのはやはり若かった瓜生静だ。瓜生は仇だ。本来ならば山田は、今すぐにでも瓜生を殺さなくてはいけない。殺したいと思っている。ずっと。瓜生を殺すためにならどんなことでもする。山田の育ての親は、山田を含めて4人の
そうなる前に殺さなければならない。この手で。
「山田さん」
間宮が呼んだ。
「怖い顔〜。やだぁ」
「……ん」
「まあ、とりあえず帰りましょうよ。新幹線の切符も買っちゃったし、乗り遅れたら勿体無いじゃないですか」
「だな」
「ところでそれ、大荷物、なんです? 玄國会の皆さんにお土産ですか?」
右肩に提げた鞄を覗き込んで間宮が尋ねる。山田は口の端を僅かに上げて、
「骨」
「うわ!」
鞄の中には、薊秋彦の骨壷が鎮座している。
雨ヶ埼家は終わった。当主という扱いである雨ヶ埼令は今も警察署に身柄を拘束されている。彼の指示で動いた雨ヶ埼の男たちからは碌な証言が取れないと櫛崎警部補が言っていた──と黒松から聞いた。ひどい環境で働かされていた雨ヶ埼の女性たちは、NPO法人だかなんだか山田には良く分からないが、ともあれ反社会的勢力よりもよほどきちんとした人間たちによって保護されたらしい。山田に、それに間宮にもできることは、もう何もない。
何もないはずだったのだが。
「火葬した後どうするかって話になってな」
「ああ……私は火葬場までは行かなかったから」
薊秋彦の葬儀は
「嫁さん……
「正直第三者としてはそれが筋じゃないかとは思いますけど」
「だが、もう墓の掃除をしてやる人間もいないだろ。だったら、東京に連れ戻した方がいいんじゃねえかって」
「烏子さんのお墓はどうするんです?」
もっともな疑問だ。
「そこは俺から冬に依頼してある」
「というと?」
「墓じまい。もう金も払った。適当なタイミングで骨だけ受け取りに行くか──状況が悪くなったら誰かに運んでもらう、東京まで」
「……雨ヶ埼は、本当になくなったんですねぇ」
間宮がしみじみと呟いた。そうだ。雨ヶ埼は潰えた。もっと早くに滅亡すべき一族だった。今、正式な雨ヶ埼は警察署にいる令だけだ。だが、彼ひとりで今更何ができるというのだろう。もう終わりだ。
デニムの尻ポケットに突っ込んでいたスマートフォンが素っ頓狂な音を響かせる。マナーモードにするのを忘れていた。片手に骨壷が入った鞄を提げたままの山田の代わりに間宮がスマホを取り出し、通話ボタンを押して耳に当ててくれる。
「はいやま……」
『山田か!? おまえ今どこにおる!?』
瓜生静だった。鼓膜を揺さぶる大声は間宮にも届いたらしい。大きく瞳を瞬かせる間宮と視線を合わせながら「新大阪」と短く応じる。
「今から新幹線に乗って──」
「──え?」
山田の耳にスマホを押し付けたままの間宮が、訝しげな声を上げる。何かを見てる。何を見ているというのか。
「どうした間宮、……瓜生、もっとはっきり喋ってくれ。良く聞こえない」
『──して、──を、見ろ、──、──、──』
混線している。ノイズがすごくて何を言っているのかほとんど分からないままに、通話は終わってしまった。
間宮は、黒縁眼鏡の奥の瞳が落ちそうなほどに目を大きく見開いて何かを見詰めている。
「間宮?」
瓜生からも探偵からも返事がない。参った。何がどうしたっていうんだ。このままでは新幹線に乗り遅れ、
『かえして』
「──は?」
声が響いた。
聞き覚えのある声だった。
「間宮!?」
「山田さんまずい!」
声が重なる。間宮が握り締めたままの山田のスマートフォンがまた震えている。今度は黒松だ。だが受け答えをしている余裕はない。駅構内にある大きなデジタルディスプレイにニュース速報が流れている。
『──連続遺棄事件で事情を聞いていた参考人が警察署内で──』
『──死亡した状態で発見され──』
『──参考人とともにいた警察官に事情を聞いており──』
「
思わず呟いた山田の腕を、間宮がすごい勢いで引っ張る。どこからそんな力を出しているのかと驚くほど強く。
「呼んじゃだめ! 知らないふりして……!」
『かえして、なあ、かえしてやぁ』
声が聞こえる。影が見える。大勢の人が行き交う新大阪駅構内。
ぼんやりと、灰色の、影がある。輪郭もない、顔もない、目も鼻も口も、だけど分かる。あれは
『かえして、おれのあきひこさん』
鋭く舌打ちをした山田の腕から、骨壷の入った鞄を間宮が引ったくる。
「何しやがる間宮!」
「雨ヶ埼は女が嫌いなんでしょ!? だったらちょうどいい、秋彦さんは私が抱いて行く! それに、こないだ
青褪めた顔で、引き攣った声で、それでも間宮はきっぱりと言い切った。そうだ。令には、勘違いで渡されたその能力があった。だから『ごくらく』ではあれほどまでに大勢の男が死んだのだ。
「このまま東京に? それとも回り道してどこかの拝み屋を頼る!?」
「……拝み家にはそう明るくないが、ここから西に向かったところになんとかいう名前の一族がいるって聞いたことがあるな。イカサマ一族かもしれないが、一旦そっちに向かうか」
「逆方向。新幹線、チケット取り直しだね」
「幾らでも払う。間宮、絶対に秋彦さんから手を離すなよ」
「分かってますって」
ゆらゆらと揺れながら『かえして』と繰り返す影を睨み付けながら、骨壷の入った鞄を抱き締めた間宮が吼える。
「ぐじゃぐじゃ言うんじゃない! 雨ヶ埼もおまえもこれでお仕舞いなんだ!」
東京の自宅に戻るのは、もう少し先になるだろう。だが、山田徹には、間宮最の手を離すつもりも、薊秋彦を置き去りにするつもりもなかった。
連れて帰る。何を犠牲にしたとしても。必ず。
おしまい
終わりの仔 大塚 @bnnnnnz
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