幕間
雨ヶ埼令
別に誰が死んでも良かったんです。
どっから話したらええんですかね。
あの人の話、したらええんですか?
烏子お姉ちゃんは東京でデリだかソープだかやってました。結構前の話です。お姉ちゃんはもう死んだんですけど、死ぬ前に、東京の高利貸しの男の人と結婚するって言うて戻ってきました。それが秋彦さんです。
お姉ちゃんが稼いだカネは全部雨ヶ埼のモンです。そんなん当たり前でしょ。雨ヶ埼の女は稼ぎをすべて雨ヶ埼に納める。ずっとそうしてきたんです。そういう決まりやったんです。なんでですか。そんなん言われても俺には何も言えへん。別におかしい話やない。
せやから──お姉ちゃんは
なんでかは……それは、秋彦さんから、聞きましたけど。お姉ちゃん、俺のこと取り戻したかったって。弟で、その頃は叔父さん家で面倒見てもらってた俺を、自分のところに取り戻したかったって。
そんなん俺別に望んでなかったですけどね。
せやけど、お姉ちゃんがそうしたかったっていうならそうなんでしょ。秋彦さんもおんなじこと言うてたし、証拠とかないけど、それでええんやないですか。俺にはどうでもええ話です。とにかく秋彦さんは、お姉ちゃんの希望を叶えるために薊っていう苗字を捨てて雨ヶ埼に婿入りした。雨ヶ埼秋彦になった。
序列、ってあるやないですか。詳しいことはよう分からんけど。俺とお姉ちゃんの、もう死んだ父親。
そん時俺はまだ子どもやったけど、おかしかったな。なんやったんやろあの日の宴会。お姉ちゃんと秋彦さんが現れるまでは、広い座敷におる男全員が笑顔やったんですよ。男しかおらん。女が入ってええ空間やない。そこにお姉ちゃんが──黒い着物に真っ赤なピンヒールのお姉ちゃんが現れた瞬間、そんで秋彦さんが「よろしく」って東京弁で言うた瞬間、一気にお通夜みたいになった。すごかった。今でも覚えてる。思い出せる。おもろかったなぁ。笑ったら怒られるから顔伏せてたけど、笑いが止まらんかった。
せやなあ。あん時から雨ヶ埼の男はみんな、秋彦さんのこと嫌いになったんですわ。
俺かてそうですよ。だって俺は、当主になるはずの男やったんですから。
お姉ちゃんは宴会から半年ぐらいで死にました。病気とかやなくて、なんやろ、たぶん寿命やったんやと思います。16だかそれぐらいの時からずっと体売り続けて、飯も満足に食えへん生活してて、体も壊れてたと思うし、
お姉ちゃんが死ぬ前に、俺の身柄は宗治叔父さんのとこからお姉ちゃんのとこに移されました。お姉ちゃんがそうしたいって言うたからです。秋彦さんが当主になったから、誰も女房のお姉ちゃんの希望には逆らえへん。俺は別にどっちでも良かった。秋彦さんとお姉ちゃんと暮らすのも、宗治叔父さん家で暮らすんもそう変わらん。どうでも良かった。でも俺がおるとお姉ちゃんが嬉しそうやったから、その時はそれで……ええんかなって。少しは思いました。少しだけやけどね。そんで、3人で家族みたいに暮らしました。半年だけ。たった半年やったけど。
秋彦さんは、雨ヶ埼の腐った部分を全部綺麗にしようとしてました。そんなんしても無駄やのに。雨ヶ埼はもうずっと腐っとるんです。雨ヶ埼として存在した瞬間から、止まへん雨に打たれてドロドロに腐って溶けてしもうとるんです。雨ヶ埼を綺麗にしたいなら、まずは雨ヶ埼を無くしてしまうしかない。そんなんも秋彦さんには分からんかったんです。だって、あの人は東京の人、雨ヶ埼の人間やなかったから。
秋彦さんは色んなところにお金を撒いて、雨ヶ埼がやらかしてきた悪いことを調べ始めました。手に入れた情報は全部俺と共有して──俺は知っとる話ばっかりやったけど──どうにかしなきゃいけない、と何度も何度も言うてました。お姉ちゃんが死んだからやと思います。お姉ちゃんが
アホや。
ほんまにアホや、あの人は。
俺は全部知ってた。秋彦さんがやって来た時俺は10歳やったけど、全部、何もかも、知ってました。……え? ああ──そうか。みんな、「秋彦さんが大阪に来て10年ぐらい」て言うてましたもんね。みんな勘違いしとったんや。ははは。うける。
25年ですよ。あの人がお姉ちゃんと一緒に雨ヶ埼に来て。25年。
俺は今、35歳です。見えへんでしょ?
時間が止まっとるんです。俺だけ。俺はね……俺は雨ヶ埼の最後の男やから。
俺はね、俺は、俺は……こんな話してなんか意味あるんかな? 俺は雨ヶ埼の男やけど、雨ヶ埼の
ごくらくに行けるんは雨ヶ埼の男だけ。金を持っとる男だけ。女たちが稼いだ金で雨ヶ埼の男はごくらくに行くんです。そういう言い伝えがあるんです。せやから雨ヶ埼の店には全部そういう名前が付いとる。
『てんごく』
『じょうど』
『らくえん』
『とうげん』
『えでん』
『ぱらいそ』
『ごくらく』
でもね、そういうんは女たちは知らんでええんです。女はね、金を作るためだけにおる生き物やから。けど──一応ね、気休めで。働いた女たちはええとこに行ける、極楽に行ける、って言い聞かせてやらせとったんですけどね。全部。
全部壊したんは秋彦さんですわ。
あの人どこまで知っとったんかな。もう死んだしなんも分からんけど。働いとる女ひとりひとりに話を付けて。辞めたいってやつにはカネを渡して。アホや。そんなん俺らが見逃すはずないんに。雨ヶ埼の女が、雨ヶ埼から離れてどうやって生きるっていうんです。すぐ捕まえて次の店に回すだけですわ。『ごくらく』はね、まあ比較的待遇のええ店やったと思いますよ。そこから離れるっていうならね、もっとハードな……無茶する店に流すだけです、当然でしょ。秋彦さん、ほんまになんも知らんかったんやろうな。10歳の俺の面倒を見ながら……俺が育つのを待ちながらやっとったから、自分が『ごくらく』から逃した女のその後にまで気ぃ回らんかったんやろ。詰めが甘いんよなぁ。かわいそうになぁ。
25年──秋彦さんが地獄に落とした女の数はどれぐらいでしょうね?
秋彦さんが悪いんですよ。秋彦さんが俺らの邪魔せなんだら、俺は女たちに優しくできた。お金をたくさん持ってきてもらうためには飴と鞭、どっちか言うたら飴が多めの方がええですからね。鞭を振り上げるきっかけを作ったんは秋彦さんですよ。
あそこ、掘り返したんでしょ、ゴミ捨て場。いっぱい出てきたでしょ。死体。
女が死んだらね、一応は葬式出しますけど。墓は作らん。金がもったいない。ゴミ捨て場で十分や。
──
そう、四宮ね。
巫女や。
いつから繋がっとったんかな。気付いたらおりましたわ。近くに。女だけで動く巫女の集団──やっけ? 気色悪い。
それで──あゆみか。そう。あゆみね。2年前。あいつが店を辞めたいって言い出して。秋彦さんが相談を受けて。こらあかんなって話になって。あゆみは売れっ子やったんですよ。あゆみを一度抱いたら他の店には行かれへんって客ばっかりで。そのあゆみが仕事を辞める? 冗談にしても笑えへん。けど、だからってあゆみを他の店に移すのも無理があった。言うたでしょ、売れっ子やったって。「辞める」って言うて店から消えたあゆみが別の──ソープでもなんでもええけど、別の店におったら、さすがに
宗治叔父さんはそん時もうのうなってたんで、従兄弟の
幽霊事件。配信者の話やね。あの配信者のことは俺もよう知らんです。なんでうちの店に流れ着いたのかも知らん。けどあいつのカメラに幽霊が映った。ちょっとした騒ぎになりますわな。けど雨ヶ埼は被害者やし。売れっ子の女の子殺された被害者。客足に多少は影響あったけど、別に……そんな大騒ぎするほどのことやなかった。
けどね、四宮が介入してきたんです。びっくりしたわぁ。四宮
神様。
狂うとんかこの女、て
李ちゃんは俺に、男を制御する能力をくれた。オカルトでしょ? 信じてへん顔やなぁおまわりさん。でもほんまのことです。李ちゃんは俺がそん時も体売ってる側やって
『しおまねき』で大勢のヤクザが死んだでしょ。全部俺です。腐ったんはなんでか知らんけど、体を動かせへんようにして、後ろから殴るぐらいは簡単にできました。美鈴と部屋に上がった男を中心に狙ったんは、美鈴があゆみのことでやかましかったからです。聞いとった場所に墓がない、骨はどこに行ったんや、どこに埋めたんや、ってしつっこいから。俺のやることに協力したら教えたるって言うたらあっさり。女ってほんまにアホやなぁ。
美鈴が秋彦さんに相談しとるんはちょっと意外やったけど。幽霊が怖いんかなって
ヤクザの手ぇ借りるって案を出してきたんは雨ヶ埼の……誰やったかな。忘れた。もうみんな死んだしええでしょ。一樹お兄ちゃんがカネ持って東條に
それで──せやなぁ、どう──したかったんやろ。ヤクザにも秋彦さんにも消えてほしかった。四宮にも。全部のうなってほしかった。邪魔やったんですよ。雨ヶ埼のやり方に口出ししてくる秋彦さんも、なんも関係ないのに首突っ込んでくるヤクザも、女を弔うとか言うてなにも見えてへん四宮も。邪魔。邪魔やった。邪魔なモンには消えてもろて、この先も雨ヶ埼は雨ヶ埼のやり方を続けるだけ。それの何が悪いんですか? 俺らそんなあかんことしてましたか? 雨ヶ埼の歴史、おまわりさんは全部知っとるんですか? 俺らはずっとこのやり方で栄えてきた。この先も栄え続ける。ねえ。どこが悪いんですか。言うてください。ダメなとこがあるんやったら、ちゃんと、言葉にして、ねえ。
秋彦さん。もう死んだんですよね、秋彦さん。俺が刺して。
お姉ちゃんが秋彦さんなんて連れてこんかったら……そうや、お姉ちゃんや。ぜんぶ烏子お姉ちゃんが悪いんや。秋彦さんさえ来んかったら、俺らはこんな苦労せんで済んだ。
そしたら、自分まで死ぬことなかったんに。
雨ヶ埼のものは全部俺のものです。せやから秋彦さんも俺のもの。烏子お姉ちゃんが死んだ日ぃから、秋彦さんは俺のものになるはずやった。せやのに秋彦さんはいっこも……なんも思い通りにならんくて、俺の体にも興味のうて、なんやねんあの人、狂っとる、おかしいわ。俺はね、秋彦さんと寝てましたよ。それの何がいけないんですか。16の歳で秋彦さんを抱きましたよ。背ぇも伸びたしね。声も変わって。天使やのうて男になったから。あんな枯れ木みたいな体の爺さん抱いてもなんも楽しくなかったけど、はじめて人を抱きました。秋彦さんは黙って俺に抱かれた。狂うとるでしょ。なんでお姉ちゃんに申し訳ないとか言うて拒まんかったんや。どんな言い訳でもええ。断って。俺を拒んで。そうしてくれれば──おかしい。おかしいんや。全部秋彦さんのせいや。秋彦さんがみんなめちゃくちゃにしたんや。
俺は雨ヶ埼の終わりの仔。俺には生殖能力がない。なんでかは知りません。でも烏子お姉ちゃんが死んで、次は俺で、俺で終わりです。他の人間が雨ヶ埼を継ぐのは勝手やけど、純粋な雨ヶ埼は俺で終わ──
は? 宗治叔父さん?
ああ……お父さんやのうて、宗治叔父さんが俺の母親を孕ませたっていう。知ってますよそんなん。だから何やっていうんですか。俺が雨ヶ埼の嫡男であることとはなんも関係ない。関係ないんですよ! ええ加減にしてくれや! けったくそ悪い!!
俺が! 俺が雨ヶ埼の最後の男や! それでええでしょう! 俺が誰かを選んだら、そいつが雨ヶ埼の次の当主になる。そういう約束やった。誰かを孕ませることができたら良かったんかもしれんけど、俺にはその能力がない。だから。俺は。だから。
──は?
こども?
知らん。そんなん知らん。聞いとらん。
誰も何も言うてへんかった。
そない大事なこと俺に言わんはず……嘘や。嘘。なんでおまわりさんが嘘言うねん。嘘吐きは泥棒の始まりと
──────
────秋彦さん。
秋彦さんはどこにおるんですか。
秋彦さんを呼んできてください。迎えに来させて。秋彦さん。あの人はひどい。あの人は裏切り者や。俺に抱かれながらお姉ちゃんの名前を呼ぶ。烏子、烏子ってアホみたいに。半年しか夫婦やなかったんに。その前は客と高利貸しやったのに。お姉ちゃんがどんだけ汚い女か知っとるくせに! 愛してるみたいに名前を呼んで。俺のことはあんな風に呼んでくれんかった。俺のことはあんな目ぇで見てくれんかった。俺のことを抱き締めてくれんかった。秋彦さん。シュウさん。シュウさん。どこにおるんですか。
俺の目の前で他の女のために死ぬなんて。
秋彦さん。秋彦さん。秋彦さんを返してください。俺の、俺のたったひとりの男なんです。秋彦さんがおれば他にはなんも要らん。雨ヶ埼も潰してええ。新地にも関わらんです。全部やめます。金も要らん。極楽も。俺はどこにも行かん。シュウさんと一緒にここで腐ります。せやから。シュウさん。どこにおるんや。シュウさん。返して。俺の。シュウさん。シュウさん。
──シュウさん。
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