第5話 瓜生

「警察呼ぶとかー、土を掘り返すとかー、ちょっと物騒すぎるんとちゃいますか?」


 声が聞こえた。

 雨ヶ埼令だ。


 令だけではない。彼を先頭に、大勢の男たち──雨ヶ埼の男たちが半円を描くようにしてヤクザと、情報屋と、探偵と、巫女を取り囲んでいた。令に黒い傘を差し掛けるのは雨ヶ埼一樹カズキだ。薊秋彦を追い出すために手を貸してくれと東條組に駆け込んできた、あの男。途方もなく昔の出来事のように感じる。まだ雨は降っている。夏は遠いというのに。

 細身の体をダークグレーのフリル付きシャツに包んだ令は、浮かれ切った声音で言葉を発した。

えんちゃん、久しぶりやねぇ!」

「……令」

ももちゃん元気? 急に雨ヶ埼の担当交代になるって言われてびっくりしたわぁ俺」

 ふわふわと微笑む令は、しかし瓜生の知る雨ヶ埼令ではない。諸悪の根源──とまで言うつもりはないが、ある程度の悪行は彼の仕業だ。何も知らない顔をして瓜生を、東條組の人間をふところに入れていた。入れられていた。腹が立つ。東條組若頭としてのプライドが許さない。

「それはええけど、ここは雨ヶ埼うちの私有地やで。苑ちゃん含めて全員不法侵入やん、早よ出てってや〜」

「よう言うわ」

 呆れたように口を開いたのは、ふゆだ。

。この10年、雨ヶ埼の店に勤めて死んだ女の子の骨壷は全部ぜーんぶ空っぽ。墓石が立っとるはずの土地は売り出し中。そもそも死人が多すぎる。なんで新地、それにデリやソープで普通に働いとるだけの女の子がバタバタ早死にすんねん。訳分からん。ほんまに気色悪い家やで雨ヶ埼は」

「黙れや露出狂。あんたが誰か知らんけど、雨ヶ埼うちの何を知って偉そな口利いとるん? 部外者は……オンナは引っ込んでてくれへん?」

「露出狂!?」

 途端に怒りをあらわにする冬を、ヅゥがそっと制する。

ドンさんが直接相手をするほどの人間ではないかと」

「せやけど!」

「調べさせていただきましたよ──雨ヶ埼令さん。あなたたちは薊秋彦が邪魔で邪魔で仕方がなかった。彼の行うことすべてを妨害し、彼によって自由を得たはずの女性たちを以前よりもよほど酷い環境で虐待した。なぜですか。そこまで女性が憎いのですか。それとも」

?」

 令の声から感情が消える。ストン、と抜け落ちるように。消失する。

「雨ヶ埼はぁ──雨ヶ埼は女のひとでお金を儲ける家。そんなん100年前からずっとやないですかぁ。虐待もクソもあれへん。相手はオンナや。。あかんの? 俺はあの子たちにちゃんと働いてほしかっただけや。今まで通りに、雨ヶ埼にきちんとカネを納めてくれってお願いしただけ。それなのに今更仕事の仕方を変えろとか……もう辞めて遠くに行きたいとか……勝手なことばっか言うから結局こうなってしもたんやないですか。雨ヶ埼に仕事をするなて、命令する権利が誰にあるんです? ここにおる皆さんはそこまでお偉いんですか? 雨ヶ埼の何を知っとるっていうんです? どういう権限があって、俺らの邪魔をしとるんですか?」

「命令なんてしていませんよ。権限だとか、そういう大きな話でもない。ただ、非人道的な行いをやめるようにと、薊秋彦は……」

 ヅゥの端正な顔を睨み付けながら、令は両の口の端を引き上げて笑った。不気味だと思った。化け物バケモン。この件に触れてから、何度も脳裏を過ぎった響き。それは、雨ヶ埼令のためにある言葉だったのだろうか。

「シュウさんはなんも知らんし、なんもしてへん。別にシュウさんがやらかしたことの尻拭いをするんはストレスでもなんでもなかったし……俺は楽しかったから、ええよ、別に。全部許す。シュウさんだけはね、許してあげる」

「楽しかった!?」

 苑が声を張り上げる。

 ずぶ濡れの女を一瞥する令の眼は、冷たかった。

「何を……言って……あなたなんかを信じたせいで、もも姉さんがどれほど傷付いたか……!」

ももちゃんが? 傷付いた? それは、ごめんねぇ。俺そこまで頭回らんから、あんなことでショック受けるとか想像でけへんかってん」

 ごめえん、と笑う令は美しくて、可憐で、不気味で、薄汚れていて、醜悪で、醜くて、醜くて、醜くて、この世のものではない、と瓜生は思う。なんだこの男は。なんなんだ。化け物め。雨ヶ埼が禁足地とされている理由は、女たちをこの盆地に打ち捨てているせいだと思っていた。この土地こそが雨ヶ埼の抱える禁足地なのだと思っていた。違うのか。


 先ほど苑はなんと言っていた? 雨ヶ埼令は雨ヶ埼の終わりの仔だと言っていなかったか? 終わりの仔? どういう意味だ?


 雨ヶ埼令が、何を終わらせるというんだ?


「瓜生さぁん」

 砂糖菓子の声で令が呼ぶ。

「そもそもぉ、東條組が頑張ってシュウさんを追い出すんに協力してくれたら、こないなことにならんかったのに……瓜生さんの部下の人とかも、死なんで済んだかもしれんに」

「は……」

 谷家たにや

 ──雨ヶ埼からの依頼を断ったから、谷家が、死んだ?

 混乱する。そんなはずはない。それとこれとは無関係のはずだ。それなのに。足が震える。谷家。優秀な男だった。なぜ死んだ。死ななくて。済んだ。のだと。したら。

 谷家。おまえもにおるんか。

「瓜生」

 声が聞こえた。

 山田。

「変なこと考えるなよ。谷家を殺したのは雨ヶ埼だろ」

「わ……分かっとる、そんな」

「自分のせいか? みたいな顔してたぜ。ダセ〜」

 ビートルの後部座席に体を起こしながら、山田は片頬に笑みを浮かべている。

「谷家チャンが浮かばれねえから、馬鹿なこと考えんのやめろ」

「馬鹿って言うな! クソボケが!」

トールさんもそこにおんの? ごくらくのお婆ちゃんに刺されたって聞いたけど?」

 死んでへんかったんかぁ、と令はくすくすと笑う。

「せっかく頑張ったのに、刺し損やねぇ」

「れ〜い〜。おまえもそろそろやめろよそのキャラ設定。合ってないぜ」

 ぬかるむ地面に革靴を下ろし、山田がのっそりと立ち上がった。

 大粒の雨に全身を叩かれながら、ビートルを中心に囲み立つ雨ヶ埼の男たちを山田は無表情に見回す。

 50人はくだらない人数が、各々の手に武器のようなものを持っている。鉄パイプ、金属バット、バール、でかい石。ここで殺すつもりなのだ。部外者たちを。そうして埋めて終わりにする気でいるのだ。なぜならここは。入り込む者など、いない。

「瓜生、取っ組み合いは?」

「悪いが苦手な方やな……」

「間宮と冬ちゃん、それにばあちゃんと四宮さんにはクルマん中に避難しててもらうとして……」

 相手の人数を確認しながら山田が呟き、

「私のことはお気になさらず」

 とヅゥが口を挟んだ。ビニール傘を左手に持つヅゥは、右手に回転式拳銃リボルバーひっさげていた。山田の目がまん丸になる。

「何人かならこれで殺せるでしょう」

「うお」

「……本気で言うとんか?」

「もちろん」

 黒松の問いかけに、丸眼鏡の奥の目を細めて、ヅゥは笑う。

「これも私の仕事です」

「うそ〜、拳銃とかずるくない?」

 声を張り上げるのは令だ。いかにも不服げに、婀娜っぽく、一樹に体を寄せて、

「ねえカズキ兄ちゃん。一般人に拳銃向けるとか有り得へんよねえ?」

「せやな……」

「ほんなら兄ちゃん、?」

「……せや、な」

 雨ヶ埼一樹が令に傘を渡す。薄汚れたジャケットのふところから刃物を取り出す。出刃包丁だ。山田もこのような包丁で刺されたのだろうか。いや、包丁なんてどれも似たような見た目をしているか。鈍く光る刃物を振り翳し、一樹が、いや、一樹だけではない。雨ヶ埼の男たちが一斉にこちらに突っ込んでくる。

 ヅゥが撃鉄を起こし、流れるように引き金を引く。一樹の肩口で真っ赤な花が咲いた。それぞれの武器を構えた男たちは、どろどろに溶けた地面に転倒する彼を踏み付けてこちらに向かってくる。山田は手負いで、瓜生はステゴロが苦手だ。ヅゥの拳銃にあと幾つ弾丸が残っているのかも分からない。頼れるのは黒松だけだが──

えんちゃん、ももちゃんにおおきにって言うといてねぇ!」

 黒松によってビートルの中に避難させられる苑の目が、大きく見開かれる。

、全部うまくいくようになったわ!」

「令……!!」

 憎悪に顔を歪める苑を強引にビートルの運転席に押し込み扉を閉めた黒松が、閉じた蝙蝠傘を大きく振り回し、襲い来る雨ヶ埼の男たちを吹き飛ばす。

「ばあちゃんも撃ち終わったら避難してくれや!」

ヅゥ、と申します。お気遣い感謝いたします」

ヅゥさんか、終わったら酒でも飲もうで。俺は──朴東組組長、黒松朝水あさみ! れるもんならってみい!!」

 雨ヶ埼の男の襟首を掴んだ黒松が、人間で人間を吹き飛ばしている。映画の中でしか見られないような光景に、瓜生は思わず笑みを溢していた。

「デタラメすぎるやろ……」

「やっぱカッケー黒松さん。俺も頑張ろ!」

 ビートルの中で休憩したお陰で幾らか体力を回復したらしい山田が、嬉しげに敵の獲物金属バットを奪い取り、スイカ割りでもするような気軽さで脳天目がけて振り下ろしている。

「まったく、あなたたちときたら……」

 優雅な手付きで引き金を引きながら、ヅゥが微笑んだ。またひとり、雨ヶ埼の男がぬかるみの中に沈んだ。

「ああ──サイレンが聞こえてきましたね、私の気のせいでしょうか?」

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