第2話 瓜生

 黒松の運転するクルマで、冬が指定する場所に向かう。助手席に座ってナビをするのは間宮だ。後部座席に体を投げ出し、大阪のご当地キャラがでかでかとプリントされた長袖Tシャツに身を包んだ山田は少しばかり顔色が悪く見える。刺された際にそれなりに出血したと聞いた。

「死ぬ時は言えや。その辺に落としてくから」

「さすが瓜生、俺がしてほしいこと分かってるな」

 東條組次期会長として名高い黒松の運転するクルマの中で、関東玄國会幹部の山田徹に死なれては困る。それこそ望まない抗争の火種になる。玄國会とはいずれ決着をつけなくては行けないのだが、今ではない。今は、それどころではない。

……ってどういうことや」

 ハンドルを握る黒松が唸る。間宮は小首を傾げ、

「地獄……雨ヶ埼家が管理している風俗店とは正反対の響きですよね」

「ああ例の、とかとかいう」

「そうそれ」

「せやんなぁ……店に綺麗な名前付けとる雨ヶ埼の、地獄? どういう意味なんや」

 黒松は運転がうまい。クルマはほとんど揺れない。窓を大粒の雨が激しく叩いている。ゲリラ豪雨というやつだろうかと思ったが、

「鉄砲雨ですね」

 と間宮が言った。

「弾丸みたいに激しく降る雨のことです」

「ゲリラ豪雨と何が違うんや」

「ゲリラの方は局地的にザーッて降ってすぐ止むでしょう? 鉄砲雨はそうじゃない。この勢いで降り続ける」

「……地崩れが起きんか心配やな」

 黒松が唸る。言いたいことは分かる。

 冬が指定した場所は山でも丘でもなかったが、山や丘に囲まれている窪みのような土地だ。盆地だ。この鉄砲雨によって地崩れが発生したら、巻き込まれずに逃げるのは難しいだろう。


 処置室で検索した通り、30分で目的地に到着した。大きな水溜まりが幾つもできているその土地には、既に見覚えのないクルマが一台留まっている。スミレ色のビートルだ。

『瓜生?』

 スマートフォンが震える。通話ボタンを押した瞬間、ふゆに名前を呼ばれた。

『シルバーのボルボP1800、瓜生?』

「俺やのうて黒松さんのクルマですわ」

『へえ。ええやん、好きやわ。降りれる? こっち来れる? ていうか?』

 全員。

「俺と──朴東ぼくとう組の黒松さん。それに関東玄國会の山田徹……冬さんご希望の

『おるんやね。あとひとりは?』

 助手席の間宮最が瓜生を振り返る。口元が少し笑っている。この非常事態に笑みを浮かべることができるなんて、この女も相当壊れている。

「初めまして、東京から来た私立探偵・間宮まみやかなめと申します。関東の秋さんとも面識があります」

 瓜生の手首を掴んで、間宮が名乗りを上げた。

『よろしい! ほな、嫌なんは分かるけど全員クルマから降りてこっち来て。傘あっても無駄やと思うけど……』

 誰も嫌だとは言っていない、だが頭からずぶ濡れになるのはあまり好ましくはない。黒松のクルマの中には年季の入った蝙蝠傘が2本転がっている。

 瓜生と山田がひとつの傘を使い、黒松と間宮がもうひとつの傘の下に落ち着いた。身長差の問題だ。山田の顔色は相変わらず悪い。脇腹を押さえて背中を丸めるこの男が、ここで死んだら捨てていこうと瓜生は考える。

 ビートルの中からも人が現れた。黒いオフショルダーのトップスに健康的な長い足を剥き出しにしたショートパンツ姿の女──冬。その傍に控えるのは白髪に丸眼鏡、右手の中指に翡翠の指輪を嵌め、柄のない灰色の旗袍チーパオにレザージャケットを羽織った小柄な老婆だ。ヅゥである。それぞれビニール傘を手にして、こちらを見ている。

 そして。

 冬、紫から少し離れた場所に、知らない女が立っていた。肩口で揺れる黒髪、色白で卵型の小さな顔、腰の辺りが大きくくびれた膝丈のブルーのワンピースを身に着けた女が、瓜生たち四人に小さく会釈をした。

「こっちに!」

 冬が声を張り上げる。確かに傘があっても無駄だ。ただ立っているだけで全身が濡れる。山田の背を押して、歩き始めた。黒松と間宮は既にかなり先を行っている。

「あっあかんあかん! そこ絶対踏まんといて! 迂回して迂回!」

 ビートルとボルボが向かい合って停車している、その間を通ってはならないと冬は言う。仕方なく大きく円を描くようにして迂回して、どうにかビートルの元に辿り着いた。

「お疲れ瓜生。それに関係者の皆さん」

「関係者も何も……ああ、冬さん。これ、山田徹ペインレス

「おっ! イケメンと噂の! ……ってなんか死にそうやない? 大丈夫?」

 顔色が青を通り越して土気色になっている山田を、ヅゥがビートルの後部座席に通した。

「大丈夫……あなたが冬さん? どうも初めまして山田です」

「はいこんにちは冬やけど、え、痛くないんと違うん?」

「痛くはないけど、ダメージは負うというか……人間なので……血が流れすぎたらちょっと……」

「そもそも誰に何されたん? 刺された?」

 眉根を寄せる冬に「『しおまねき』のおばあちゃんに刺されたんですよ」と間宮が口を挟んだ。パッと顔を上げる冬が、目をまん丸にして間宮を凝視する。

「あんたは……さっきの探偵さんやね。東京から来た」

「改めまして、間宮最と申します。お見知り置きを」

「冬や。よろしく。探偵さん、ええとこまで辿り着いたらしいやん」

「え?」

 間宮の名刺を受け取った冬が、くふん、と鼻を鳴らして微笑んだ。きょとんとした様子で瞳を瞬かせる間宮の名刺を流れるような所作でヅゥに渡し、

「ここが噂の! 雨ヶ埼の本丸へようこそ!」

 と、冬がまるで芝居の主人公のように大仰な所作で両腕を広げた。

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