6章 鉄砲雨

第1話 瓜生

 冬の名前を出した瞬間、着信があった。

『瓜生?』

 なめらかな声が呼ぶ。噂の女がスマートフォンの向こう側にいた。

『頼まれとった仕事終わったで。今大阪や。どっかで会えへんか』

「冬……」

 反射的にスピーカーボタンを押していた。冬の声を、この場にいる全員と共有したかった。

「どっかてどこです。大阪のどこに行けばええんです」

『せやなぁ、ヅゥ……』

 ヅゥ。確か、冬の中華街の事務所の一階で名刺を受け取る係をしている老婆の名前だ。彼女も一緒にいるのか。

 黒松が太い眉を跳ね上げ、間宮最が無言で顎を撫でる。山田徹は何を考えているのか、ベッドの上に座り込んだまま両目を閉じていた。

『山があるじゃないですか』

 知らない声がした。冬ではない。紫でもない。女の声だということしか分からない。

 

『雨ヶ埼が所有している山──山っていうか丘、かな? なんていうんですアレ?』

『どっちでもないと思うで。

 誰だか分からない女の声と、冬が言葉を交わしている。

『まあええわ。地獄で待ち合わせしよ。住所言うから、来てくれ。

 冬の良く通る声が住所を読み上げる。間宮が自身のスマートフォンの地図アプリを立ち上げて場所を確かめる。

 単なる地獄は、雨ヶ埼本家からクルマで30分ほどの場所にある平地だった。

 山でも丘でもない。これは盆地だ。

『すぐ来てや。全員でやで。

 言い捨てて、冬は一方的に通話を打ち切った。

 処置室に沈黙が落ちる。

「行くか」

 声を上げたのは黒松だった。

「クルマを出す」

「山田さん動けます?」

 探偵が山田に尋ねる。山田は少し笑って、

「ラッキーなのかなんなのか分からんが痛くないから、動ける」

「それ、本当にいいんだか悪いんだか分かんないですね……」

 服を取ってきます、と言って間宮が処置室を出て行った。院内にあるロッカーに、彼女は私物を預けていた。刺された傷を縫う際に服を全部引き剥がされた山田の私服もそこに──あるのだろうか? 良く分からない。

「黒松さん、クルマって」

「俺が運転する。それでええやろ」

「まあ……」

 この場にいる四人で十分だった。もうこれ以上他者を介入させる余裕はなかった。介入させれば──死者が増える可能性がある。


 これ以上の死人を出したくない、などという綺麗事を述べるつもりはない。別に今から何人死んでも構わない。黒松や山田、それに間宮が目の前でくたばっても、瓜生にとってはどうでもいい話だ。


 どうでもいい、と言い切れるのは、彼らが既にこの件に深く足を突っ込んでいるからだ。誰にも言い訳はしない。説明する必要すら感じない。雨ヶ埼家に関わって、死んだ。それだけで済む。瓜生自身もそうだ。瓜生が死んだら「雨ヶ埼家に関わってあいつはくたばった」と黒松が周りに告げて終わりだろう。実にシンプル。


 新規の登場人物はもう必要ない。


 黒いボストンバッグを提げた間宮が処置室に戻ってくる。

「山田さん、これ」

「おう。……これ?」

「これしかなかったんです! 病院の売店に! サイズが! 山田さんでかいから!! そのペラペラの病衣のまんまで外出るわけにいかないでしょ? めちゃくちゃ雨降ってるし……」

 ──雨。

 瓜生はふと黒松に視線を向け、彼が自分を見ていることに気付いて薄く笑った。

 長雨だ。

 早く、晴れ間を拝みたい。

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