第3話 山田
秋彦の痩せた背中を追って、二階──その晩知り合ったばかりの男女が自由恋愛に至る部屋へ。階段の先には部屋がふたつあり、階段から右側に振り向いた場所にトイレがあった。
「左側の部屋だ」
秋彦が言った。
「2年前、あゆみが死んだのは」
「ふたつの部屋の間取りは同じですか?」
「……ああ、両方とも6畳の小部屋だ。どっちも確認するかい?」
「まずは現場となった左側からお願いします」
秋彦が襖を開ける。間宮も秋彦も山田よりはずっと小柄なので、ふたりの肩越しに室内の様子を見ることができた。
何の変哲もない和室だ。畳の上に比較的新しい敷布団が敷かれている。新しいといえば、畳自体もさほど酷くは変色していない。
「あゆみが殺されて」
秋彦が口を開く。
「山田、おまえはもう聞いてる話かもしれないが。部屋中とんでもないことになってな。身体中滅多刺しにされたもんだから、あちこちに血が飛び散って」
「リフォームを?」
間宮が口を挟み、秋彦が首を縦に振る。
「ずいぶんお金を?」
「ああ。下にいる婆さん、あいつの希望もあってな。本来なら建物自体を改築したって良かったんだが、とにかく商売を続けたい、そのためには改築を待っている時間がない、と──あゆみ以外にもこの店は大勢女を抱えている。建物をどうこうしている余裕はないから、せめて部屋だけでも綺麗にしてくれと」
顎に手を当てた間宮が、色付き眼鏡を外して辺りを見回している。間宮に霊感があるという話は聞いたことがない。彼女は、あくまで探偵なのだ。捜査や調査が仕事であり、幽霊探しは管轄外のはずなのだが。
「失礼ですが雨ヶ埼秋彦さん。あなたは雨ヶ埼家に婿入りして、新地や、それ以外の場所で体を売っていた女性たちに新しい仕事を斡旋したそうですね?」
いきなり本題に切り込む。背筋が冷たくなった。なんなんだこの女は。突拍子もない言動を取るタイプだとは知っていたが、そんな質問の仕方があるか。
秋彦もまた不審げに眉を寄せたが、短い沈黙ののち「ああ」と低い声で応じた。
「妻に──
「亡くなられた奥様に」
「良く知ってるな、さすが探偵」
と、彼らしくもなく嘲るような笑みを見せた秋彦は、
「そうだ、もう死んだ俺の女房だ。雨ヶ埼烏子。東京では『スミレ』って名前で体を売ってた。その女房が……どうかしたか」
「生前の烏子さんを存じ上げないので、ここからはただの想像に過ぎないのですが」
間宮が言った。
「烏子さんは──スミレという名前で体を売っていた烏子さんは、
「……はあ?」
秋彦が今度こそ、耐え難いといった様子で声を上げた。もう何も言うな、勘弁してくれ、とでも言いたげな年嵩の男を前に、間宮は淡々と言葉を紡ぐ。
「体を、若さを売り、その売り上げすべてを自身の生家──雨ヶ埼家に吸い上げられる生活。そこにまるで救世主のように現れたのが高利貸しの薊秋彦だった」
「やめろ」
「
「やめろ! そんな大仰な話じゃない!」
秋彦が声を張り上げた。滅多にないことだった。彼が間宮に手を上げるとは思えなかったが、山田は咄嗟に探偵を庇う。
「俺が烏子に頼まれたのは、令だけだ。令のことだけだ」
「烏子さんの弟さんですか。雨ヶ埼令さん」
「そうだ、──すごいな探偵っていうのは、もうそんなことまで知ってるのか。烏子の両親はとっくに死んでる。令は烏子の弟で、死んだ雨ヶ埼の長男の息子──雨ヶ埼家を継ぐ権利を持つ人間だった。だから令は、烏子の叔父、烏子の親父の弟のところで囲われ者になっていた。その弟を取り返してくれと……俺が頼まれたのはそれだけだし、それしか、できてない」
血を吐くような秋彦の悔恨を、山田は茫然と聞いた。茫然とし過ぎていて、背中から迫る気配に気付けずにいた。
間宮が小さく悲鳴を上げる。それでようやく我が身に何が起きたのかを知る。
脇腹に包丁が突き刺さっている。
「出てけ、東京
しわくちゃで小柄なやり手婆が、真っ青な顔で叫ぶのが分かった。
刺されたのが俺で良かった、と山田は思う。
幸いにも、何も感じない。山田の世界に、痛みはない。
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