5章 糸雨
第1話 山田
雨が降っている。
霧雨だ。
瓜生のカネで宿泊しているホテルには戻らず、
朝8時。間宮が注文したルームサービスを一緒に食べる。それなりに値の張る宿なだけあって、なかなかに豪勢な朝食だった。コーヒーの味も悪くはない。間宮はコーヒーを水だと思い込んでいる女なので、手元のカップをさっさと空にし、部屋に置いてある湯沸かし器を使って紅茶を淹れていた。俺にもくれ、と言うより先に丸テーブルの上にカップが置かれる。ありがたい。
「思うんですが」
琥珀色の液体の中に角砂糖を大量に投入する山田の手元を眺めながら、間宮が呟いた。
「
「俺もそう思う」
昨晩、間宮から告げられた聞き込みの内容は、山田が危惧していた内容と半分以上一致していた。薊秋彦は雨ヶ埼の女たちを救えていない。亡くなった妻の遺言を叶えることができていない。
無理もない話だ。薊秋彦は高利貸しなのだ。カネの扱いには慣れていても、女の扱いは──どうだろう。女を売って財を成す、雨ヶ埼という一族に敵わなくても詮無い話だ。山田には、秋彦を咎めるつもりはまったくなかった。秋彦は本気だったのだ。東京で体を売っていた女、当時は高利貸しの薊秋彦の客だった女、その女の最後の願いを叶えるために単身大阪に乗り込んだ。10年以上も昔の話。秋彦も老いた。10年前ならばまだ戦えただろう。だが今は。今の秋彦には、もう。
「薊秋彦を雨ヶ埼から引き剥がしたら、何かまずいことが起きますかね?」
「分からん」
雨ヶ埼家の人間たちは、薊秋彦を煙たがっている。彼を追い出すために、嫌悪している
新地の『しおまねき』に於ける連続不審死についての謎は解けないままだが、秋彦をこの土地から連れ出せばそれらの怪奇現象も起きなくなる。漠然とではあるが、そんな予感があった。
「山田さんが言えば薊秋彦は素直に付いてきます?」
「来ないと思う」
「ええ……来ないんだ……」
困惑した様子で間宮が眉を下げる。ふと気が付くと、間宮は床にあぐらをかいて化粧を始めていた。二人掛けのソファを譲ろうとしたら「テーブルの高さ的にこれでいいんです」と断られた。そういうものか。
「あの人には、あの人の意地がある。雨ヶ埼の女たちを救えないままで東京に引き上げるというのは、さすがにプライドが傷付くだろう」
「プライドとか自尊心、そういうものじゃ飯は食えない。山田さんそう思わないんですか?」
「思うよ。だから俺だって、」
と、山田は自身の空っぽの左腕の肩口を右手で強く掴み。
「こうなった。俺の左腕で手打ちになった抗争がこの世界には存在する」
「カッコい〜い」
マスカラを手に間宮が笑う。
「じゃあ、そのカッコいい山田さんに、カッコ良く薊秋彦を連れ出す係をお願いしますね」
「係って……俺が秋彦さんを連れ出しているあいだに、おまえは何をするんだよ」
「解けてない謎を解きにいきます」
「は?」
唐突に何を言い出すのか、この女は。もはや紅茶としての味はまったく残っていない、ただ香りが良く、異常に甘いだけの液体と化した飲み物を口に運びながら山田は訝しげな声を上げる。
「いくつか残ってますね、謎。まずは『しおまねき』の怪奇映像」
「例の……なんちゃら地のミッキーか」
「禁足地のミッキーですね。死んだけど」
「死んだな……」
遺体を発見したのは山田徹だ。もう半年も前の出来事のような気がしているけれど、実際1週間やそこらしか時間は経過していない。配信者・禁足地のミッキー──
「千蔵未樹が撮った例の映像、あれはいったいなんだったのか」
「謎解きするのか? おまえはそういう探偵じゃないだろう?」
「謎解きなんかしませんよ。ただ、実際に起きていたことを確認しに行くだけ」
リップを塗り終えた間宮が、白い歯を見せて笑った。
「私を『しおまねき』に連れて行ってください、山田さん」
厄介なことになった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます