幕間

間宮

 雨ヶ埼令を見かけたのは偶然だった。山田と東條組のヤクザたちが新地の『』に拘っているから、間宮は別の歓楽街から情報を得ようと考えて移動した。そもそも女性である自分は新地では歓迎されない。例の悪質配信者と同じような存在として扱われるという未来が簡単に予想できた。

 山田が瓜生・黒松という間宮は名前しか知らないヤクザの名刺を預けてくれたお陰で、聞き込みはスムーズに進んだ。法律が変わったとはいえ、やはり夜の世界にはヤクザの影が色濃く落ちている。黒松という男が組長を勤めている五代目朴東ぼくとう組は県内に幾つものクラブを所持しており、間宮が目を付けた歓楽街にも朴東組を用心棒ケツモチとしている店が無数に存在した。その中のひとつ、間宮と同世代ぐらいの男性が店長を勤める店で、奇妙な話を聞いた。


「ねえちゃん、探偵なんか。妙な商売しとるんやな」

「向いてるんですよ、これで意外と。ところで、雨ヶ埼の話を聞かせてくださいな」

 開店前の店に間宮を入れてくれた首に化け猫のタトゥーが入ったスーツ姿の男は、丸テーブルの上にグラスを置きながら肩を竦める。中身は辛口のジンジャーエールだ。

「せやけどなぁ……俺らも黒松さんには世話んなっとるけど、雨ヶ埼のことは、こう、なあ……」

「喋っちゃダメって言われてる? 箝口令的な?」

「かん……? なに?」

「その話をするのは禁止ですって命令されてる? って意味」

「あー。難しい言葉はよう分からんわ。探偵さんはさすが頭ええねんな。けど、そういうのとちゃうで」

「違う?」

 手元にメモ帳を置き、ボールペンを握る間宮の黒縁眼鏡のつるの辺りを見るともなしに眺めながら、男は続けた。

「喋るなも何も、雨ヶ埼には関わったらあかん、ていうルールで俺らは黒松さんにケツ持ってもろとるんや」

「ルール……?」

「探偵さん、東京の人やろ。雨ヶ埼のことよう知らんやろ」

「まあ噂程度……でも事前に調査はしてきましたよ。なかなか、お金に汚い人たちだって」

「汚いとかいうレベルやないて」

 と、男は小さく笑って煙草に火を点ける。つられて紙巻きを取り出した間宮のもとに、マッチの火が差し出される。

「あいつらの店、一回でも行くと分かるで。女の子を人間やとおもてへん。金稼ぐ道具ぐらいにしか」

「そういった話はある程度、まあ」

「それにな、10年ぐらい前やっけ。東京からあの家に婿入りした妙なおっさんがおるやろ」

 あざみ秋彦あきひこのことだ。すぐに分かった。だが顔には出さず曖昧に頷いた間宮に「アキヒコとかいう名前やったかな」と男は続ける。

「長女の婿養子に入ったら雨ヶ埼の家長になれる──て、そらまあ、序列で言うたらそうかもしらんけど」

「そうじゃなかった?」

「そらな。雨ヶ埼には百年から歴史があるからな。ポッと出のおっさんに家業シゴト全部任せる気ぃにはならんやろ。気持ちは分かる──とか言うて雨ヶ埼の気持ちなんか知りたないけど、そういう考え方をする連中がおるっていうんは分かるよ」

「……それじゃあ」

 悪い予感がした。間宮が小さく顔を歪めたのに、男は気付いていない様子だった。

「おっさん、頑張ってたみたいやけどな。お店の女の子の待遇を変えるんやって」

「頑張ってたみたいだけど……ってことは」

「全部失敗しとるんよ。おっさん本人は失敗したって知らんのかもしれへんけど。……なあ探偵さん。俺から聞いたって、誰にも言わんて約束してくれるか?」

 口約束にどれほどの効力があるのか、間宮も、それに男も分かってはいない。だが間宮は首を縦に振った。メモ帳を千切って一筆書き、血判を押すぐらいの気持ちはあった。

 男は、間宮の首肯を信用した。

「ペン貸して」

「え? あ、はい、どうぞ」

「探偵さんやし、覚えるのは得意やろ? 今から書く名前全部覚えたら、ここでその紙燃やしてって」

 と、男がメモ帳に五〜六軒ほどの店の名前を癖字で記す。どの店名もひらがな表記だった。

「これは」

「ここら辺にある雨ヶ埼の店。デリとソープ。ぎょうさん儲けとるらしいけど、全部固定の客や。新規の客はビビって入らんし、同業の俺らとしてもちょっとな」

「ちょっと……何?」

「探偵さん、全部言わせようとするんやな。そのぐらい前のめりやないと仕事にならんのかもしれへんけど」

 間宮は速やかに店の名前を記憶し、苦笑いする男の字が踊る紙を灰皿の上で燃やした。

「やり方が汚いんよ。女の子にも無茶させるしな」

「無茶……」

「言うたらさ、ゴム使わんと中出ししたら妊娠するやろ。それでも出勤さすんよ。金稼げ金稼げって言うてな。アフターピルの処方? せえへんよそんなん。腹の膨れた女が好きな客がおるからって。うちの店にも出勤前に泣きに来る子がようけおった。そのうちみんな、おらんようになってもうたけど」

 双眸を大きく見開く間宮を見詰める男は、至って真剣な顔をしていた。

「『ごくらく』──今は『しおまねき』か。新地におる時はこんな無茶要求されんかったのに、って泣いとる子ぉにも会ったことあるし」

「そんな……」

「おっさんのせいでなんもかも変わってしもたって。この辺の雨ヶ埼の店の女の子はみんな言うとるよ。探偵さんも気ぃつけや。一応女の子やねんから」

 化け猫のタトゥーの男に見送られて、店を出た。男は「新地からこっちの店に移動して自殺した女の子もおる」「流産して頭がんなって、それでも働いてる子ぉもおる」「それだけやのうて、何回か顔見た子ぉがどんどん街から姿消すねん、気色悪いやろ」とぽつりぽつりと語ってくれた。男の言葉すべてを鵜呑みにするわけではないが、それでは、薊秋彦が行ったことというのは──


 他にも幾つかの開店前のクラブやバーを訪ねようとして裏道を歩いていた際、その男の姿が目に入った。すべてのフロアにソープランドが入っている小さなビルの共同玄関。派手な孔雀の刺繍が入ったスカジャンを羽織った男と、長身で整った顔立ちの青年が向かい合って、何やら言葉を交わしていた。

 きな臭いものを感じた瞬間物陰に身を隠し、デジカメで写真を撮った。ピントを合わせている余裕はなかった。足早にその場を離れ、飛び込んだ駅前のカフェで撮影した写真を確認した。スカジャンの男も、整った顔立ちの青年も間宮に気付いた素振りはない。


 スカジャンはさて置き、整った容貌の青年には見覚えがあった。


 山田徹に事前に渡されていた関係者一覧に顔と名前が載っていた。

 雨ヶ埼あまがさきれい。薊秋彦の妻で既に逝去している元デリヘル嬢、雨ヶ埼烏子の実弟ではないか。

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