第7話 山田
──夜。
間宮最が宿泊しているホテルに乗り込む。瓜生が山田のために押さえた宿に比べると少しばかりランクは落ちるが、それでもリビングとベッドルームが別れていて、部屋を空けているあいだにフロントに依頼しておけば帰宅時にはバスタブに薔薇の花が撒かれているというので、間宮の好みには合っているのではないだろうか。ただのイメージだが。
「聞き込み、どうだった」
「先に東條の様子を教えてくださいよ」
寝巻きと思しき黒いTシャツに持ち込みのジャージのズボンといった格好の間宮が言った。風呂はもう済ませたらしい。化粧もすべて落としている。
「風呂はどうだった」
「薔薇? あー、いい感じですね。プライベートでも来たい」
上機嫌な笑みを見せながら紙巻きを咥える間宮の口元にライターを差し出し「それは良かった」と山田は呟いた。
「東條の方は、どうにも良くない」
「というと?」
「俺たちは──俺は、『しおまねき』で女を抱こうとした連中は全員死ぬか、もしくは病院で今も昏倒していると思っていた」
だが違った。女を抱いて自由恋愛を楽しみ、今も平然と生きている者がいるという。瓜生の示した三つのルート。『しおまねき』で昏倒して死んだ者。『しおまねき』で昏倒はしたものの、無事に意識を取り戻して通常の生活に戻った者。そして昏倒もせず、命も落とさず、生きている者。
「へえ」
「妙だと思わないか」
「まあ」
「……まあ?」
間宮の目が笑っている。何か、山田の知らない情報を手に入れたということか。
「間宮、焦らすな。俺はもう、この事件にはあまり深く関わりたくない」
「そんなこと言って、山田さん」
山田さんは、もうとっくに底の底に来ちゃってますよ。灰皿に煙草を押し付けながら、間宮が華やかに笑う。
間宮は、『しおまねき』がある新地ではない歓楽街に聞き込みに行っていたのだという。
「所謂──風俗店とか、キャバクラとか、そういうのがあるとこです。ふつうの歓楽街ですよ」
「そっち方面にはヤクザの息がかかってる店もあるんじゃないか」
「法律が変わったお陰でそれほど多くはないですけど──でもま、山田さんから伺ったおふたり……瓜生さんと黒松さんの名前を出せば、大抵のお店は丁寧に対応してくれましたね」
東條組の次期会長は黒松だという噂もある。更に瓜生は年齢こそ若いが、東條が組織として動き始めて以来随一の切れ者として名高い男だ。間宮にはふたりの名刺を預けてあった。この土地の歓楽街では、印籠のように機能する。
「何が分かった」
「えっと……雨ヶ埼の女が働いているのは、新地だけではない」
「……?」
一瞬思考が止まる。何を言われているのか理解が追い付かなくなる。
「何、どういう……」
「『しおまねき』は確かに雨ヶ埼の女の勤務先としては随一の稼ぎ頭です。一日に動く金の額もずば抜けて大きい。けれど雨ヶ埼家は、『しおまねき』以外にデリヘル、ソープ、キャバクラにガールズバー──ありとあらゆる業種で女性を働かせ、その稼ぎを吸い上げています」
想像していなかったわけではない。だが、意外だった。
今の雨ヶ埼家当主は、薊秋彦だというのに。
秋彦は新地で働いていた女たちに別の仕事を斡旋した。もう体を売りたくないという者に退職金を支払った。或いは、まだこの街で仕事をしたいと申し出る者の住居や給料などの待遇を改善した。はずだ。山田はそう聞いていた。秋彦が山田に、嘘を吐く理由がない。
「薊秋彦さん、雨ヶ埼の本家の人たちには嫌われてるらしいじゃないですか」
「ああ。もう死んだ女房……
「それなりに? 大勢?」
ソファに腰掛けて煙草を咥える山田の顔を、肘掛けに座る間宮が覗き込む。
「何言ってんです? 全員ですよ」
「あ……?」
全員。
異様な響きだった。
「あのですね、こういう言い方したくないですけど薊秋彦さんが良かれと思ってやったこと、全部裏目に出てます」
「おい待て、どういう」
「そのまんまの意味です。ちとお待ちを」
肘掛けから飛び降りた間宮は裸足のままでベッドルームに消え、すぐにノートパソコンを抱えて戻ってきた。
「ざっくり話を聞けた相手のざっくりとした証言ですけどね。まず薊秋彦さんが新地の『しおまねき』──当時の店名は『ごくらく』でしたか。そこから足を洗わせた女性たちは現在、全員、こっちの歓楽街にあるデリヘル、もしくはソープで働いています。以前よりもずっと安い給金で」
「は……!?」
パソコンのディスプレイには、幾つもの風俗店の外観を写した写真が表示されている。新地の良いところは──何はなくとも給料の良さだ。たとえ稼いだ金すべてを雨ヶ埼家に吸い上げられてしまうとしても、一旦はその辺の風俗店とは較べものにならない額の金が女たちの手に渡される。
「勤務先が変わっただけの女性たちの稼ぎは、もちろん雨ヶ埼に吸い上げられています。転職してから体調を崩して亡くなった方も大勢いるようですね」
「──それは、秋彦さんは」
「知るはずないでしょう。だってあの人は、雨ヶ埼の人間じゃない」
間宮の平坦な声音に、息を呑んだ。
山田も秋彦に同じことを尋ねた。
──自分のこと本気で雨ヶ埼の人間だと思ってるんですか?
秋彦は、なんと答えた?
「あの人を、薊秋彦さんを雨ヶ埼の人間だって思ってる人、ひとりもいないですよ山田さん。新地から足を洗った、洗う予定だった女性に渡した金も全部雨ヶ埼に回ってます。今も新地で働いてるひとたちのことはちょっと私には分からないけど、彼女たちの稼ぎだって今も全部雨ヶ埼のものになってるんじゃないですか」
「待て、間宮。待て。一旦秋彦さんに連絡を」
「ダメ」
手が震える。こんなこと初めてだ。スマートフォンを取り出そうとした山田の右腕に、間宮がしがみ付く。
「まだ続きがあるんです」
「これ以上どんな最悪な報告があるっていうんだ?」
「こっちの写真を見てください」
と、間宮がノートパソコンと一緒に持ってきたデジカメを山田の膝の上に置く。
「この男の子、雨ヶ埼の子ですよね」
耳鳴りがする。現実逃避だ。
「雨ヶ埼烏子の弟、雨ヶ埼
令だ。令の涼やかな横顔が、デジカメの液晶モニターに浮かび上がっている。
「彼、集金係ですよ。雨ヶ埼の」
冗談にしてはあまりにも悪質だ。
だが、間宮最は、現在のこの土地で唯一心から信用できる人間である。虚言を吐いても彼女には何の得もない。
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