第3話 山田

 ホテルに戻り就寝。朝、瓜生から着信。

 昨晩はどこにいたのかと問われたので飲みに言っていたとだけ返す。

『誰ぞにうたんか』

「嫉妬?」

 ガチャ切りされた。スマートフォンなので特にガチャッという音は聞こえないのだが。


 味方が必要だ。


 シャワーを浴び、歯を磨き、素っ裸のままで煙草を吸いながら考える。大阪ここは敵地だ。玄國会の山田徹がぶらぶらと出歩いて良い場所ではない。瓜生と黒松以外の東條組の面々には山田が来阪していると知られてはいないようだが──いや、本当にそうか? 瓜生や黒松の言うことを鵜呑みにして良いのか? 訳の分からない動画を放流することで一躍有名配信者の仲間入りをした男の生死を確認してほしいというなんとなく愉快な依頼を二つ返事で引き受け、招かれるがままに大阪まで来てしまったが、果たしてこの判断は正解だったのか?

「……不正解では?」

 自分にしか聞こえない声でそう呟き、あまりの愚かさにひとりで笑う。

 禁足地のミッキー──千蔵未樹の遺体を確認した時点で手を引くべきだった。ばかだ。

 山田徹には、味方が必要だ。


 午後、味方は新幹線に乗ってやって来た。

「おお! 早い!」

「早いも何も、そちらが大至急今日中に会いたいって言ったんじゃないですか。私が調べて何も出なくても経費は全部請求しますからね」

「請求書くれ。東條組に回すよ」

「……私のこと、こっそり呼んだんじゃないんすか!?」

 新大阪駅で味方と合流した。間宮まみやかなめ。私立探偵だ。

 青と紫と黒を混ぜたような髪色に、黒縁の眼鏡。白いノーカラーシャツに藍色のリネンのジャケットを羽織り、カーゴジーンズにワインレッドの革靴といった出立ちの間宮は呆れ返ったような表情で肩から提げていた黒いボストンバッグを山田に押し付けた。

「こっそり呼んだが、まあ、いずれバレるだろう」

「東條組の瓜生静、会ったことないんですよね。怖いんでしょ?」

「怖いかな。可愛い男だよ」

「あんた、だいたいの人類のこと可愛いって言うじゃないですか、山田さん」

「間宮も可愛い」

「ああやだやだ、心がないんですよね〜」

 間宮最といつどこでどういう風に知り合ったのかを、山田は良く覚えていない。気が付いたらスマートフォンに連絡先が登録されていた。私立探偵。都内に小さな事務所を構えている間宮は、迷子になった飼い猫の捜索から配偶者の浮気の証拠を掴んでほしいという依頼、更には学校内でのいじめに関する調査までどんな仕事でも請け負う。それなりに優秀な探偵だ。テレビドラマや映画などで見かける探偵が良く行っている『推理』は間宮の仕事ではない。彼女が引き受けるのはあくまで調査、捜査、捜索、その他地に足がついている依頼。それだけ。

「読んだ? メール」

「読みましたよ、短文すぎて意味不明だった」

「そうかな」

「そうですよ。なんなんです? 『配信者とヤクザが溶けて死んでる アウェイだから味方が欲しい』って?」

「そのまんまの意味。大阪。びっくりするぐらいアウェイ」

 はあ、と間宮が大きく嘆息する。こんな依頼引き受けるべきではなかった、と顔に書いてある。だが飛んできてくれた。着手金を口座に振り込んだからだ。


 味方がほしい、と思った瞬間、数名の同業者の顔が頭に浮かんだ。だが駄目だ。山田の同業者は皆関東玄國会に属する、或いはごくごく近しい立ち位置にいるだ。そんな人間を何人大阪に呼び寄せたところで、いざとなった時に全員纏めてくたばるか、ごく少人数の関東玄國会こっち側対大勢の東條組あっち側で揉めることになるのがオチだ。中立でいてくれる人間がほしかった。中立で、でも少しだけ山田の側に立ってくれる、そういう都合のいい人間が。


 朝、煙草を吸い終えたところで間宮探偵事務所の固定電話を鳴らした。すぐに目当ての人間が出た。また事務所のソファで倒れて眠っていたのだろう。間宮はそういう女だ。名を名乗った瞬間「ヤクザとは仕事したくないです〜」と通話を打ち切られそうになったのだが「今すぐ前金を振り込むから話を聞いてくれ」と捲し立てたら「幾ら?」と問われた。6桁の金額で交渉を試みたところ「新幹線代も出してくれるなら」と言われたので「グリーン車で来てくれ。弁当代も払う」と重ねて交渉を成立させた。

、私も知ってますよ。クソみたいな配信者でしたね」

「そうなのか?」

「山田さんって配信とか見ない方?」

「見ないかなぁ。顔覚えられないし」

「……ま、配信めちゃくちゃ見てるヤクザってのもなんかちょっと嫌ですけどね」

 駅からほど近い場所にある喫茶店に入った。事前に検索して目を付けていた喫煙可能店だ。窓際のテーブル席に向かい合って腰を下ろし、山田はブレンドを、間宮はアイスコーヒーとチーズケーキをそれぞれ注文した。山田に持たせているボストンバッグとは別に小さなサブバッグを肩から提げている間宮は、青いパッケージのハイライトをテーブルの上に無造作に放り投げる。

「どの辺がクソみたいなんだ。俺が見た時にはもう死んでた」

「あー山田さんだったんだあいつの遺体発見したって」

「なに?」

「噂んなってますよ〜、私らみたいな業種の人間のあいだでは。第一発見者は不動産会社の人間じゃないってね」

「どういうルートで噂になるんだ? そういうの」

 長い指をぽってりと赤いくちびるの前に立てた間宮は「内緒」とだけ言って、紙巻きにライターで火を点ける。間宮の右手からは、小指の先端が欠けている。欠損仲間だ。山田もスーツのふところから同じ銘柄の煙草を取り出し、注文していた品々がテーブルの上に並ぶのを確認してから、間宮のライターを拝借して火を点けた。

「教えてくれよ、どうクソみたいなんだ」

「いやもうあいつの通り名そのまんまですよ。。人が足を踏み入れてはいけない場所に乗り込んでってカメラ回す」

「新地とか?」

「新地……? ああ例の動画。いや別に新地は禁足地じゃないでしょ? 私は女だからあんまり気軽に飛び込んで行くことはできないけど。嫌がられるだろうし、お店の側にも。けど、男性がお金払って遊ぶ分には……」

 紫煙を吐き、チーズケーキにフォークを突き刺しながら間宮が言う。確かに彼女の言う通りではある。『禁足地』という言葉が示す禍々しさとは、新地はまるで違う場所にある。

「土地の人間以外が入っちゃ駄目なお社がある場所とか、お祭りの時以外は開けちゃいけない箱を持っている一族が住む土地とか、そういうとこにアポなし突撃カメラ回しでプライバシーを大侵害」

あくだな」

あくですよ。そんでその光景を、『撮るな』とか『やめろ』って止めようとする人たちの姿も含めて配信してエンタメにしちゃう。それが千蔵未樹のやり方です。見て喜んでる方も大概なんですけどね正直」

 滔々と語る間宮はチーズケーキを食い終え、追加でチョコブラウニーパフェを注文している。

「……カロリー」

「は?」

「今日は随分食うな。どうした」

「……」

 間宮と会食を共にする機会はほとんどないが、過去数回顔を合わせ、仕事を依頼した際の彼女はこんな風に無茶苦茶な勢いで甘いものを口に詰め込んだりはしなかった。コーヒーにはほとんど手を付けていない。

「おまえ、本当に間宮か?」

「ま・み・や! ですよ!」

 花札でも叩き付けるかのようにテーブルの上に『私立探偵 間宮最』と書かれた名刺を滑らせた女は、片頬を引き攣らせてヤケクソのように笑った。

「私がただグリーン車でお弁当食べながら大阪までやって来たとお思いで? きちんと事前調査をしながら来たんですよ。千蔵未樹──あいつが足を踏み入れた最後の禁足地は新地じゃない」

 黒縁眼鏡の奥の眼が、山田徹を真っ直ぐに見据えた。


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