第7話 山田

「瓜生さんは『しおまねき』には行かへんのかな?」

「行かないんじゃねえの。なんで?」

 ──東條組本部会議室が最悪の空気に包まれている頃。

 山田徹は雨ヶ埼邸の客室で、雨ヶ埼令を膝に乗せていた。

 瓜生に釘を刺されているが、令は大層可愛らしい顔をしている。艶のある黒髪、色素の薄い肌、瞳、ぽってりとしたくちびるに、両手の欠損さえチャーミングだ。しかし、鬼薊の逆鱗に触れるのはあまり良い判断とはいえない。鬼薊こと雨ヶ埼秋彦の以前の妻、雨ヶ埼烏子からすこの実の弟、それが令だ。姉と弟両方を情人イロにするというのもなかなか悪趣味な話で、山田はそういった悪趣味を嫌ってはいないが、だからといって鬼薊の棘にわざわざ刺されに行くというのは愚か者の所業だ。

 襦袢に白い体を包んだ令は、山田の膝の上で長い脚をパタパタと動かしながら小首を傾げて言う。

「『しおまねき』とか美鈴みすずちゃんがそないにあかんて言うなら、自分の目ぇで見て確かめたらええのに──って。思うただけや」

「美鈴ちゃん? ……ああ……」

 瓜生に聞いたのか、それとも黒松からだったか。昏倒した東條組の関係者は皆『しおまねき』に勤める美鈴という女とに及ぶために部屋に上がり、そして倒れた。更には死んだ。空っぽの眼窩。爛れたくちびる。溶けた舌。──全身から、悪意が滲み出る遺体。

「令は、その美鈴ちゃんって子知ってるのか?」

「知っとるよ」

「令も新地で遊んだりするんだ?」

ちゃうて。俺は、あの店の見張り番。トールさん忘れてしもたん? 令だって雨ヶ埼の男ですよぉ」

 雨ヶ埼の男。女を売って金を稼ぐ一族の、男。

 令のくびれた腰を手持ち無沙汰に撫で回しながら、ふん、と山田は鼻を鳴らす。

「令も、女たちで得た金を管理する側ってわけか」

あったり前やん。雨ヶ埼の男やで?」

「当たり前かな。ちょっと意外だったけど」

「なんで?」

 心底不思議そうな口調と共に、長いまつ毛が大きく上下する。

「令は、ああいうところで働いてる人に対して、こう──」

「同情しとるとおもてた?」

 言い淀んだ先を、令はあっさりと言い当てた。

「同情なんてせえへんよ。

「そうかな」

 そうだろうか。奇妙に冷たい物言いが引っかかる。

 秋彦の傍らにいる時とはまるで違う横顔を頭の端に刻みながら、山田は令の腰から手を離す。と、膝の上から転げ落ちそうになった令が「何すんの!」と声を上げながら長い脚を蜘蛛のように山田の腰に回した。

「ちょっと煙草。どいてくれ」

「令は、煙草嫌い」

「秋彦さんだって吸うじゃねえかよ」

「シュウさんは特別」

「どう特別?」

「なんでそないなことトールさんに言わなあかんの?」

 不服げに吐き捨てた令がそのまま両手で山田を頭を抱え、高い鼻梁を乾いたくちびるで撫でた。

「令はね、誰にも同情せんのです。それと、シュウさん以外のひとを、信用したりもせえへんのです」

「寂しいこと言うねえ」

「寂しい? なんで? トールさん時々おかしなこと言うな」

 秋彦は今どこにいるのだろう。このまま令を押し倒して抱くことだってできるのに、山田がそうしないということをどうやら令も秋彦も知っているらしい。


 雨ヶ埼の男たちには、いったい何が見えているのだろう。


 未だ巡り会えない雨ヶ埼の女たちは、どういう気持ちで新地に座っているのだろう。

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