第4話 瓜生
山田が詰めているはずのホテルに向かった。外出している可能性もあったが、事前に連絡は取らなかった。果たして彼は室内にバーカウンターがある豪奢な部屋でひとり水割りを飲み、ベッドに寝転がって配信の映画を見て過ごしていた。
「何見とん」
「ザ・グリード……」
「なに?」
「
画面をちらりと見たところ、特にまだ事件は起きていないようだった。序盤なのだろう。消せ、といえば山田は大人しくリモコンを手にした。
「帰って
「里中、俺と一緒に映画見てくんねえからなぁ」
「自分の行いを振り返ってから言え」
「
中身のない与太を飛ばす男にごくごく自然に押し倒され口付けられそのままぐずぐずと混ざり合って小一時間が溶けた。突発的、同意の上の性交渉。こんな時にも避妊具を忘れないのだ、山田徹という男は。自身の貞操観念のなさが引き起こす事態についてだけは想像力が働くらしい。
20年前ならまだしも、今はもうふたりとも若くはない。挿入に至ったのは一度だけで、あとは戯れに互いの体を撫で回して過ごした。
「収穫は?」
瓜生の青白い膝の上に頭を預け、煙草に火を点けながら山田が尋ねる。彼には『中華街の悪魔』に会いに行くと一報を入れてあった。
「俺より、おまえや。黒松さんと一緒に行ったんやろ、警察病院」
「ああ」
紫煙を吐きながら、山田は大きく顔を顰める。
「グロ系に当たる星周りなのかなぁ」
「は?」
「七人」
手元に丸い灰皿を置いてやると、その中に煙草の灰をトントンと落としながら彼は続けた。
「溶けてたんだよなぁ」
「溶けて……?」
意味が分からない。
もう眠いらしい山田の訥々とした証言を繋げると、こうだ。
黒松と、彼のおっちゃん──
「山田は関係ないやろ、なあ
「隠さんでもええ。こっちもある程度は情報仕入れとるんや。山田徹。関東玄國会若頭補佐。おまえやろ、動画配信者、『ミッキー』の遺体を発見したんは」
「ミッキー?」
誰だそれは。有名テーマパークのキャラクターの顔しか浮かばない。それに山田は関東玄國会の若頭補佐なんて大した役職には就いていない。就いていたら今こんなところで盛大に油を売ってなどいない。どちらかといえば閑職に就いている。
櫛崎は大きく嘆息すると、部屋の隅に控えていた部下らしき女性の手から青い表紙のファイルを受け取り、
「こいつや。
「……俺が見た時は、もう部屋の風呂で腐ってた。顔は見ていない」
できるだけ自分の不利にならないよう、しかし嘘にもならぬよう気を払いながら発した台詞に、それでもこいつなんや、と櫛崎はうんざりと呻いた。何がなんだか分からなくて黒松に視線を向けると、彼もまた困惑した様子で山田を見上げていた。
おっちゃん、という通称の割に櫛崎は若かった。山田よりは年上かもしれないが、黒松よりは若いだろう。白髪のひとつもない黒髪を丁寧に撫で付けた櫛崎は立ち尽くしたままの山田を一瞥すると、
「見たら分かるわ」
と呟いて、自ら遺体の顔にかけてある白い布を取り払った。
ああ。
溶けている。
そう思った。
両手で口を押さえた黒松が大きく後退りをするのが分かる。彼が殊更臆病というわけではない。こんなものを見たら、誰でもこうなる。山田自身、胃液が迫り上がってくるのを感じていた。
眼球がない。液状になって流れ出たのだろう。眼窩には何も入っておらず、ぽっかりと暗い。
くちびるも爛れていて、歯が剥き出しになっている。この男は、死ぬ時にどの程度苦しんだのだろう。意外と呆気なく逝ったのかもしれない。歯を食い縛った痕跡はない。しかし、歯茎もまた爛れ始めている。
舌がない。
溶けたのだ。
裸の胸の前で両手を組まされてはいるものの、その手には爪が一枚もなかった。本来ならば硬い爪で守られているはずの指先が、これまた赤く爛れている。
「溶けてるのは」
そんなはずがない、と分かっていながら尋ねた。尋ねるしかなかった。そういう役回りでここに連れて来られたのだ。
とんだ貧乏くじを引かされたものである。
「こいつだけですか」
「全部見るか?」
櫛崎はそこでようやく、少し分厚めのくちびるを歪めて笑った。
ああ。
生きている。
生きているというだけで、人間はこれほどまでに美しい。
死体に欲情したことなど一度もない。愛した人間も死ねばただの肉の塊だ。ましてや、こんな風に体のあちこちが溶けて爛れて壊れてしまっては、何の感情を寄せることもできない。こんなものを見たくはなかった。だが山田は既に見ていた。櫛崎の言うところの動画配信者・ミッキー──千蔵未樹の死に様を。
アレは、追い焚きを繰り返している風呂の中で溺死したせいで結果的に茹でられ腐ったものだと思っていた。
そうではない、可能性が浮上してきた。
語り終えた山田は眠たげな顔のままでベッド傍に置かれていたソファの上に放り出してあったバスローブを引っ掛け、そのまま布団に潜り込んで寝てしまった。瓜生は取り敢えずシャワーを浴び、自宅に戻るのも面倒になって、下着一枚身に着けた姿でバーカウンターの近くにある横長のソファにどっかと腰を下ろす。
黒松からは、まだ連絡は来ていない。山田から報告を受けると踏んでいるのか、それとも櫛崎からまだ聞き出すべきことを聞き出し切れていないのか、或いは瓜生への情報開示を躊躇っているのか。どれだ。分からない。
秋彦の証言を思い出す。
倒れた鉱山会の若衆と部屋に上がったのは、
谷家の時もそうだった。美鈴という女。
直接話を聞く必要があるだろうか。だが、『しおまねき』は雨ヶ埼の店である。東條組、許勢組の瓜生が首を突っ込んだりしたらややこしいことにはならないだろうか?
(──なる)
目に見える。荒れる。絶対に。
これ以上事を荒立てるのはごめんだった。
脱ぎ散らかしたスーツをハンガーにかけ、ついでにポケットからスマートフォンを取り出した。
『神戸』という二文字で登録してあるメールアドレスに、
「鉱山会七人死亡 溶解」
と送る。冬に直接は届かない。店頭に座っている親父のポケットに突っ込まれている最新型のiPhoneにメッセージが到着し、彼の判断で冬に情報が手渡される。
ずっと、そういう流れになっている。
あとは返信を待つだけ──と思いたいところだが、もうひとつ気になる証言があった。
四宮。
雨ヶ埼令の奇妙に澄んだ声。
(しのみやが、やらしとる、って思わんの?)
四宮が何をやらせているというのだ。彼女らは巫女ではないのか。人殺しも請け負うのか。だとしても、どうやって? 人間を次々昏倒させ、遺体を爛れさせ破壊する。そんなのはもう、人間の所業ではない。
令はいったい何を知っているんだ。
「瓜生?」
山田の声がした。目を覚ましたのか。眠りが浅いにも程がある。
「おるで」
言いながらベッドのある部屋に戻ると、布団の中でうつ伏せになった山田が眠たげな目のままこちらを見上げていた。
「寝ろよ」
「寝えへん」
「……寝首掻いたりしねえから」
「……それとは関係あれへん」
瓜生静は、隣に他人がいると眠ることができない。
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