第6話 瓜生

 見たいテレビがある、という令を母屋に残し、瓜生と山田は連れ立って雨ヶ埼本家の敷地内にある離れに向かった。瓜生もそれなりに長身ではあるが、山田は更に大きく、腰の位置も高い。先を行く形の良い尻に再び力を込めて蹴りを放てば「何すんだよ」とよろめきもせずに男が肩越しに振り返る。

「ええか。おまえは絶対令に手ぇ出すな」

「え? 嫉妬?」

「頭ん中に藁屑詰まっとんか!? アレは鬼薊のイロや。見れば分かるやろ」

「俺あんまりそういうの分かんないからなぁ……へえ、令ちゃんと秋彦さんってそうなんだ〜」

「おっまえ……」

 飄然と笑う山田は空気を読む。読んだ上ですべてを掻き回す。そういう人間だ。そういう人間ではあるが、瓜生は山田を嫌っていない。対立している東の組織に所属してはいるが、比較的話が通じるタイプなのだ、これでも。だから例の配信者についての調査を任せた。だからこっち側、関西圏に呼び寄せた。

 山田は一応、瓜生が手配したそれなりに値の張るホテルに滞在している。だがどうやら折角の宿には寝るためだけに戻っているようで、日の高いあいだは終始雨ヶ埼邸に入り浸っているらしい。好き勝手にもほどがある。

「好みか、令が」

「おまえには何回か言ったはずだけどね瓜生。俺ぁ西の訛りがある男が好きなの。そんだけ」

 瓜生の鋭い舌打ちを、山田は笑顔で無視した。

 長い渡り廊下を歩いて、ようやく離れに辿り着く。一応鍵付きの扉がある。合鍵は令から預かっていた。母屋に住む人間は離れに無断で足を踏み入れることができる。逆は許されていない。令は今も昔も母屋に住んでいるという。彼が少年の頃は、今はもうこの世にいない雨ヶ埼宗治そうじという男──の弟、叔父に当たる宗治とその妻、子どもたちが母屋のあるじだった。

 令の姉、関東で春を売っていた雨ヶ埼烏子からすこが親子以上に年の離れた高利貸し・薊秋彦を婿養子として迎える、という宣言とともに凱旋して以降すべてが反転した。


 鍵を開ける。扉を開く。小さな玄関がある。靴を脱ぐ。


「誰や」

 男の声がした。

「東條のモンだす。どうも、先日はお手紙までいただいたのにお相手せんで失礼しました」

 低く名乗りを上げる瓜生の傍らで、山田は天井を見ている。

 暗い廊下の奥から、黄ばんだシャツの上に袖のほつれたジャージを引っ掛けた男が顔を覗かせた。瓜生は彼を知っている。

 雨ヶ埼一樹カズキ。秋彦の放逐を、共闘を、東條組に依頼した男だ。

「東條の……今更何の用や。帰れ。その鍵どっから持ってきた」

「先にコンタクト取ろとしてきたんはそっちさんだしょ。鬼薊、叩き出さんでえんですか」

 歌うような口調で尋ねる瓜生に、一樹は大仰に顔を顰めて見せる。瓜生の物言いが気に食わない、というよりは、体のどこか感じる痛みに耐えているような表情だった。

 病院、と山田が呟いた。あいつ、病院にやった方がいいんじゃねえの。

 片手を軽く振って山田を黙らせ、

「上がらしてもらいますよ」

 瓜生はずかずかと廊下を進み、その最奥にあるベニヤ板で作られているかのような薄いドアを開けた。一樹は、ここから出てきた。

 一応は客間のようなものがあった。だが狭い。そして寒い。四畳半の小さな部屋、畳はすべて色褪せている。小窓は北向きで陽の光は入らない。部屋の真ん中にこたつが置かれている。


 生臭い匂いがする。


 抜いてたんじゃねえの、と山田がぼそりと言った。裏拳で山田の胸を叩いた瓜生は短く息を吐き、部屋に踏み入りまず窓を開けた。外は小雨らしい。小さな雨粒がぽつぽつと入り込んでくる。

「手紙もカネも、受け取らんかったやろ」

 廊下に立ち尽くしたままの一樹が呻いた。

「まあ。手紙は一応貰いましたけど、カネの話は聞いてませんね」

 冷たい風が室内の澱んだ空気を掻き回すのを確認しながら、瓜生は平坦な声で応じる。

「あんたらがあいつと昵懇やったとはな」

「あいつ? 秋彦さんのこと?」

「頭が痛い。名前呼ぶな」

 よろよろと部屋の中に戻ってきた一樹が、こたつの中に両足を突っ込み、背中を壁に預けて目を閉じる。本当に具合が悪そうだ。

「あんたら、秋彦さんの何が気に食わんのや」

「ぜんぶ」

 迷いのない応えに、山田がにやにやと笑みを浮かべているのが分かる。こちらは聞き取り中なのだ。楽しむな。


 それにしても、生臭い、匂いがする。


「全部て……あんたらの新地の店を整理したこと? 新地以外の店にもそこそこ手ぇ入れたって話は聞いとるけど」

「聞いとんなら分かるやろ。雨ヶ埼は女で儲けてきた。雨ヶ埼の女は金を産むんや。それを、あんクソ──」

 また頭痛がしたのだろう。顔を歪めた一樹がぐううと呻く。

 令の証言が確かなら、一樹とはふたつみっつほどしか年齢差がないはずで、しかし今瓜生の目の前にいる男はどう見てももっと老けて見える。具体的に幾つに見える、という話ではないのだが、それにしても。若さがない。今にもくたばりそうな老人と同じ、生命の炎の弱々しさを感じる。

「ところで雨ヶ埼一樹さんは」

 山田が、不意に口を開いた。

「令ちゃんとは何回寝たわけ? 合意ではないよね、全部」

 どす黒い顔色、白髪の目立つ薄い髪、瀕死の獣のように唸ってばかりいた一樹が山田の台詞にハッと両目を見開いた。ギラギラと血走った眼球。突然に生気を取り戻し、なにを、と呟く一樹を山田が薄い笑みを浮かべて見下ろしている。

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