第5話 瓜生

 瓜生静が鉱山会の野村に命じた内容は至って簡単で、「組員を毎日しおまねきで遊ばせろ」というものだった。野村はもちろん顔色を変えて抵抗したし、黒松もあまり良い顔はしなかった。

「せやけど」

 と瓜生は柳眉を寄せて不服げに唸った。

「うちは谷家を殺されとるんで」

 鉱山会に『』という選択肢は残されていなかった。


 もちろん雨ヶ埼秋彦にも話を通した。彼を介して、店のやり手婆にも。なぜヤクザを客として受け入れねばならないのかと不快げな婆を「事件解決のためだ」とかなんとか秋彦は言葉巧みに説得したらしい。詳しいことは瓜生も知らない。


 1週間が過ぎた。

 鉱山会の組員たちは面白いほどにバタバタと倒れ、病院送りになった。幸か不幸か死者は出ていないが、全員意識不明の重体。本部ビルに顔を出した際もう勘弁してくれ、と鉱山会幹部の野村に縋り付くようにして懇願されたが、瓜生はそれを無視した。こちらは、殺されているのだ、大切な右腕を。

 谷家の命に較べれば、鉱山会の下っ端の命など空気より軽い。


 鉱山会の人間が倒れても、『しおまねき』は決して警察を呼ばなかった。店で待機する秋彦が、秘密裏に病院に運び込んだ。あの店で倒れた、と説明すれば受け入れる側の病院も詳しく事情を問いはしなかった。最早触れてはいけない場所と化しているのだ、『しおまねき』自体が。

 秋彦は倒れた鉱山会の人間の病院搬送以外に、店を辞めたい女がいないかどうかを繰り返し確認していた。不思議なことに、誰ひとり「辞めたい」と口にしなかった。それほどまでに待遇が良いのだろうか、『しおまねき』は。

「シュウさんが婿入りしてからだいぶ変わりましたんでね、雨ヶ埼は」

 客室で落雁をサクサクと食べながら、雨ヶ埼令が言った。秋彦は出かけている。客室には、瓜生と山田が詰めていた。

 山田の逞しい体に痩せぎすの肉体をゆったりと預け、令は歌うように続ける。

「シュウさんはお金儲けの天才〜ということはつまり、お金使う天才でもあるんですわ! 分かりますトールさん?」

「わっかんねぇなぁ。カネってぇのは使ったらなくなるもんじゃねえのかい」

 墨色の着流しに雨ヶ埼の紋が染め抜かれた藍色の羽織を肩から引っ掛けた令の腰に腕を回しながら、山田は見るからに上機嫌に応じる。


 ──本当になんでも食うのだ。山田は。


 咥え煙草の瓜生は半ば呆れてつい数日前に知り合ったばかりとは思えないほどの距離感で言葉を交わすふたりの姿を眺める。

「分かっとらんなぁトールさんは〜。お金はね、使わなあかんのです。使つこうて回して色んな人間の手ぇを介して、最終的にシュウさんのところに戻ってくる、それがお金の正しいあり方なのです」

「うーん分からん。令ちゃん、その心は?」

「シュウさんは後々カネになる相手には投資トーシを怠らんってこと」

 俺のお姉ちゃんもそうやった。と令は小さく続けた。山田が聞こえないふりをしているのが、見えた。

 実際、秋彦はこの事件に多額のカネを叩き込んでいる。各方面への口止め料、鉱山会の組員らの診察を担当するドクターたちへの袖の下、更には「反社は客やない」と喚き散らすやり手婆へのお小遣いに至るまで、すべて蔵に入っている秋彦個人の財産からの持ち出しなのだ。瓜生は秋彦と令以外の雨ヶ埼の人間とは直接接触をしていないが、ふたりを除く一族が全員死滅したわけではないだろう。秋彦のめちゃくちゃな行動について、雨ヶ埼家内部からの反発はないのだろうか。

「反発だらけや。ただでさえシュウさん嫌われとんのに」

 青みがかった黒髪を山田の長い指に弄ばれながら、令がくちびるを尖らせる。

「シュウさんを破門せえ、っていう人間も腐るほどおるで。破門って。ヤクザやあるまいし。それにシュウさんがおらんくなったら雨ヶ埼うちは終わるのにな〜」

 そういえばそんな話もあった。雨ヶ埼カズキとかいう男は東條組の本部ビルに現金を手に現れて、それで、今の当主である旧姓薊、鬼薊の名で知られた元高利貸し、雨ヶ埼秋彦を排除したいから手を貸してくれと──

 あまりにも色々なことが起きるので、すっかり忘れていた。

「なあ令」

「なあに?」

「雨ヶ埼の他の人間もこの屋敷に住んどるんか? 秋彦さんが足洗わせた女たちは、どこにおるんや?」

 山田と今にも雪崩こみそうになりながら、畳の上に仰向けに寝転んだ令がくるりと瞳を回す。しどけなく肌蹴た着物の合わせから、透き通るように白い肌が覗いていた。

「母屋に住んどるんは俺とシュウさんだけ。女のひとたちはそれぞれおうち借りたりとか……俺はよう知らんけど、この家にはおらんと思うよ。女のひとが暮らすのには向いてへん建物やし」

は?」

「離れにおるんと違うかな? 俺はあっち行かんからよう知らんけど」

「なるほど──」

 令のくびれた腰に巻き付く帯をさも当然のような顔で解こうとしている山田の尻を蹴り飛ばし、

「離れに行くぞ!」

 と瓜生は怒鳴った。

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