第4話 秋彦
瓜生静が東條組本部ビルにて鉱山会幹部と揉めている頃、雨ヶ埼秋彦は『しおまねき』に勤務する女と面談をしていた。出勤前の正午過ぎ、女が指定した小さなイタリア料理店で秋彦はエスプレッソを啜っていた。
女の源氏名は、
「この店、うちの友だちの実家なんです」
「そうか。いい店だな」
「……」
「……」
会話が続かない。友だちの実家だからどうだというのだろう。ここで交わした会話は外には漏れない、とかそういうことを伝えたいのだろうか。
小さなカップに盛られた色鮮やかなピンク色のジェラートにスプーンを刺しながら、
「お店では、でけへん話で……」
だからここで、ということか。秋彦は小さく首肯し、
「なんでも言え」
「あの……のうなったんですよね、谷家さんって方」
「ああ」
瓜生静の部下の名だ。相手をした──する予定だったのは目の前にいる美鈴という娘だ。丸顔を艶のある黒髪で丸く覆った美鈴は、たとえるならば黒猫の仔猫のように愛らしい顔をしていた。なぜ新地に流れてきたのかは知らない。秋彦が雨ヶ埼に婿入りし、『しおまねき』──以前は『ごくらく』という店名だった──で働いていた女全員と面談し、望む者には別の仕事を斡旋した。生活のためにそれなりのカネも握らせた。本来の目的は雨ヶ埼に売られた雨ヶ埼の女たち全員を店から救い上げることだったのだが、仕事を続けたいという人間とのあいだに不公平が発生するのは好ましくない。だから、「辞めたい」と述べた女だけに退職金を渡して店から出てもらったのだ。
美鈴は、あの頃は、店にいなかった。
「うち、2年前から勤めとるんです」
「2年前」
殺人事件のあった年だ。
「殺されたあゆみちゃんとは、
「そうか」
あの事件を機に、『ごくらく』は『しおまねき』に屋号を変えた。あゆみは秋彦が婿入りをする以前から店にいたのだろうか。薄情な話だが、良く覚えていない。面談もしたはずなのに。
「お祓いの人、覚えてはりますか?」
「
「はい」
薄水色のマスクを手元に置いた美鈴が、上目遣いに秋彦を見る。茶褐色の瞳が、今にも泣き出しそうに潤んでいた。
「あの部屋、あゆみちゃんがおるんです」
「……幽霊、ということか?」
「そこまでは分からんけど、おるんです、いつも、あゆみちゃんが」
店頭に座っているやり手婆の証言を思い出す。2年前、あの店で女が──あゆみという源氏名だか本名だかを名乗っていた女が殺されて、部屋は血だらけで大変なことになった。リフォームにもものすごいカネをかけたし、お祓いも──そうだ、四宮の女を呼び付けてお祓いを行った。あまりにも凄惨な殺され方をしたあの娘が、この世に思いを残さないように。リフォームには秋彦も立ち会った。お祓いそのものは目にしていない。四宮なら間違いがないだろうと思って任せたのだ。
「あゆみは、どこに出るんだ」
「どこにでも……お手洗い……で、あそこ洗っとる時とか、あと、その、お客さんとお布団に……の時にも、見とるんです、あゆみちゃんが」
とにかく、あの部屋で客を取る──自由恋愛をすると、必ずあゆみの視線を感じるのだという。秋彦は無精髭の浮いた顎をひと撫でし、
「顔は?」
「顔?」
「顔じゃなくてもいいんだが、あゆみの姿を見かけることは?」
美鈴の顔色がさっと変わる。見るからに何かに怯えている。
「隣の部屋を使ってる時には現れないのか? あゆみは自分が殺されたあの部屋に執着してる、とあんたの証言を聞いて俺は判断したが──どうだ?」
誰にも、と美鈴が震える声で呟いた。
「誰にも言わんといてくれますか。秘密に……」
「あの店の店主は今は俺だ。従業員の秘密は守る」
美鈴の手元でジェラートが溶けていく。
項垂れる女の首筋を、汗が伝って落ちた。
「顔は……見えません。隣の部屋
「動画?」
東京で死んだ配信者が残した盗撮動画のことだ。それぐらいはすぐに分かる。
「あの配信の人……隠し撮りが目的やって知らんかったから。うちが一緒に部屋に入ったんです」
「桃色の着物の袖」
頭に浮かんだ映像をそのまま口にすると、美鈴は真っ青な顔のままで首を横に振る。
「あれ、違うんです! うちやない、うち、あんな色の着物持ってへん……!」
「──と、いうこと、は」
ドロドロに溶けていくジェラートをまとめて口に放り込み、自暴自棄になった様子で飲み下した美鈴がケホケホと咳き込みながら言った。
「あゆみちゃんが映っとるんです。殺された日、あゆみちゃん、お気に入りの桃色のお着物着とったんです」
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