第3話 瓜生
谷家は許勢組で瓜生静の補佐を務めていた。最近では、瓜生よりも頻繁に東條組本部に出入りして仕事を片付けていた。その彼の死を、東條組本部に隠しておくことはできなかった。
「新地でぶっ倒れて……」
東條組本部ビルに赴いた瓜生は、集まった手隙の幹部たちに言葉少なに情報を共有した。本部ビルには、新地の件を許勢組に丸投げしてきた鉱山会の幹部もいた。幹部だ。会長ではない。許勢組は、鉱山会が対処しない案件のために組長の瓜生が自ら動いているというのに。
「会長は?」
幹部のネクタイを引っ掴み、低く尋ねた。丸眼鏡をかけた長身の男は細めた目で瓜生を見下ろすと、
「多忙なため、私が」
「多忙? そっちが丸投げしてきた案件やないけ。俺は谷家まで持ってかれとるんじゃ。責任持って本人が顔出さんかい」
「まあまあ」
割って入ったのは
「
「……」
野村と呼ばれた鉱山会の幹部は不服げに口の端を歪めたものの、現在本部ビルに集っている幹部衆の中に黒松よりも立場が上の人間はいない。瓜生とて黒松よりは格下だ。小さく息を吐いた男は、投げやりな所作で瓜生に頭を下げた。
「失礼を」
「ほんまにめちゃくちゃ失礼や。土下座せえ土下座」
「瓜生!」
黒松に強く背中を打たれ渋々口を噤んだ瓜生に、野村が苦々しげな口調で続けた。
「実はうちの会長──今入院しとるんだす」
「は?」
初耳だ。思わず黒松を振り返ると、彼も目をまん丸にしている。他の幹部たちも皆呆気に取られた様子で、
「どういう意味や」
「聞いとらんぞ」
「そのままの意味ですわ。体調不良で……」
「まさかとは思うけど、なんかやらかしたんけ」
黒松が重ねて尋ねる。何か。例えばご禁制のおくすり、だとか。であれば東條組の主要幹部たちが事情を知らないのも無理はない。おくすりは売り物だ。売り物で愉しんだ者も、それを知って隠した者も、下手をすれば全員まとめて破門になる。
野村が慌てた様子で大きく首を横に振った。
「その、せやなくて、
「『しおまねき』? あの店は鉱山会の店やないやろ」
「はあ……」
問いかけは黒松が担当することになった。鉱山会がケツモチを務めている店の名は『くさり』。殺人事件が起きたり、盗撮されたり、谷家が昏倒したりした店・『しおまねき』より二軒前、駅に近い場所にある。
「うちの……その、会長なんですが……」
「おう」
「黒松さんもご存じでっしゃろ。その、色好み、いいますか」
「ドスケベ」
吐き捨てた瓜生の脇腹を、黒松がぎゅっと抓る。スーツの上からなのになかなかに痛い。
「瓜生、おまえは俺が許可するまで喋んな。……でもまあ、こいつの言うこともあながち間違いではないわな。アレはとんでもないドスケベや。そのドスケベに何が起きたんや」
言い淀む野村に部屋中の男たちの視線が突き刺さる。そういえばここには男しかいない。ヤクザという組織そのものがそういう場所なので別におかしくはないのだが。黒松に抓られた脇腹を撫でる瓜生の前で、野村は大きく溜息を吐いた。
「──会長は、『しおまねき』に行かれました。客として」
「いつ?」
「許勢組に話を持ってく直前です。『くさり』の様子を見るついでに……あの動画に映っとった子ぉの顔が見たい、と……」
「そんで? 目当ての女の顔は見れたんか?」
野村が力なく項垂れる。
「なにも分からんのです。瓜生さんの……谷家と同じように、会長も店で昏倒して」
「はあ!?」
思わず大声が出た。なぜその情報を事前に寄越さなかったのか。それを知っていれば、谷家を『しおまねき』に置いて行ったりしなかった。こめかみが痙攣するのを感じる。谷家が死んでもいいなんて、少しも思っていない。アレは大事な駒だった。優秀な。とても優秀な。
瓜生が手を出すより先に、黒松が野村を張り倒した。
会議室の椅子を巻き込んで吹き飛んだ野村が、窓ガラスがある方の壁にぶつかって倒れる。見れば、黒松もまた目を吊り上げ頬を引き攣らせた恐ろしい形相をしていた。
「『しおまねき』自体が危険やってことを伏せたまんまで許勢に投げたんか!? ええ加減にせえよ、野村……
瓜生は慌てて彼の太い腕にしがみ付き、待ってください、少し時間を、と喚き立てた。瓜生よりも少し小柄な黒松が、訝しげな目でこちらを見ている。「谷家を殺されたのに」と言いたいのだろう。分かる。気持ちは分かる。数秒前までは瓜生も同じ気持ちだった。だが、今は違う。
全面的に、鉱山会の不手際でこんなことになっているのだ。死ななくて良い谷家が死んだのも、鉱山会が失態を犯したからだ。
ならば、谷家の命の分、鉱山会には仕事をしてもらわなければ割に合わない。
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