第2話 瓜生
秋彦が、一枚の写真を座卓の上に滑らせる。写る人物を一瞥した令は「ああ」と呟いてつまらなさそうな顔で席を立った。揃って写真を覗き込んだ瓜生にはカメラ目線でこちらを見詰める人物には覚えがなく、山田も不思議そうに首を傾げている。
「誰です?」
瓜生の問いに「拝み屋」と秋彦はそっけなく応じた。
「巫女さん的な?」
今度は山田が尋ね、秋彦は首を横に振る。
「フリーランスだ」
「フリーランスの拝み屋って……」
「ちょっと意味が」
口々に言うヤクザたちの前に、
「しのみやや!」
と木製のトレイの上に4人分のコーヒーカップを乗せて戻ってきた令が声を張り上げた。両手の薬指がない令の手からさっとトレイを受け取りながら「しのみや」と山田が平坦な声で復唱した。
「知らんの? 女しかおらん拝み屋の一族。東京で発生したんやなかったっけ?」
後半の台詞は秋彦に向けたものだ。山田が座卓の上にカップを置き、それを瓜生がそれぞれの手元に配るのを目を細めて眺めながら、秋彦は曖昧に首を縦に振る。
発生した、だって?
人間に向ける表現ではない、と感じた。写真の中でこちらを見詰めているのは確かに人間で、おそらく女性で、そして美しいというのに。
これもまた化け物だとでもいうのだろうか。
「
「知りませんね、俺は」
山田が即答し、瓜生も首を縦に振る。秋彦の傍らに侍った令がいかにも信じ難いといった様子で眉を顰めるのが分かった。
到底、一般常識の範囲内の話をしているとは思えないのだが。
昔むかし関東の中心がまだ江戸と呼ばれていた頃、ある売春宿にひとりの女が売られてきたという。おそらく口減らしか何かで二束三文で叩き売られたその女には、今でいうところの予知能力があった。客の商売が今後どうなるか、女房が孕んでいるのでもうこんな場所で遊ばない方がいい、それに──おまえの家は祟られているから一刻も早く陰陽師を探せ。女の予知は恐ろしいほどに当たった。女を抱くためではなく予知を聞くために客が殺到し、売春宿は結果的に大層儲かった。はじめは女を薄気味悪く思っていた店主の男も女のお陰で大儲けし、良い気分になったので「褒美をやる」と言った。すると女は「わたしは間もなく死にますので、お店の近くにお墓をください」と申し出た。しばらく後に女は死に、店主は約束通り店からそう遠くない場所に墓を作った。
異変が起きたのはその数年後のことだ。店主が女の墓参りに行くと、墓石の前にぼうっとひとりの女が立っている。見知らぬ女だ。売られてきたわけでもない。それなのに女は店主の顔を見るなり「はたらかせてくれ」と懇願する。そんなことが立て続けに起き、店主はふとある可能性に気付く。女の墓の前で拾ってきた女たちにある試験を行った。その結果、数名にひとり、精度もまちまちではあったが、予知能力を持つ女が出現した。
あの女が呼び寄せたのだ、と店主の男は思い、墓の前に立つ女を皆売春宿に迎え入れ、予知の力を持つものにはそれなりの仕事を、能力がないものには体を売らせた。
墓の前に女は湧き続けた。予知能力もなく、体を売るには遅すぎる、また幼すぎる女もいた。あの墓の前に女を捨てればどうにかなるという良くない噂が立ったのだろう。使えない女を抱え込んだ店主は考えた。どうするべきか。捨ててしまうか?
──それだけは良くない、と店主は思った。なぜだかそう思った。
そこで店主は、死んだ女の遺した着物や櫛を御神体として神社を作った。予知の力がある女と売春宿では使えない女を神社に放り込み、売る体を持つ女にはその仕事をさせた。
やがて時代は流れ、売春宿は役割を終える。店主の男がいつまで生きていたかは記録にないが、店がなくなり、神社だけが残り、その一角に店主の名を刻んだ石碑が存在していると囁かれて──
いや、いた、というべきか。
再開発の波に押され、やがて神社そのものも消失し、女の墓も、男の石碑も失われた。だが、その場に集った女たち、その子孫たちは今もこの世のどこかにいるという。彼女らは男を必要としない。能力を持つ女の存在を嗅ぎ分けて、仲間に引き入れ、そうして女だけの拝み屋集団として継続する。
名を
「──で、これがその四宮の」
「ああ。拝み屋だ」
眉の上で綺麗に切り揃えられた前髪、艶のある黒髪が肩口で揺れている。奥二重の目を細めて微笑む女は黒いワンピースにデニムジャケットを羽織っていて、とてもじゃないが拝み屋などという胡散臭い職業の人間には見えない。
「令ちゃんは、なんでこの人が四宮だって知ってんの?」
「四宮と雨ヶ埼は業務提携しとるから」
山田の質問に、令はつまらなさそうに応じた。
「業務……?」
「山田さんも知っとるやろ? 雨ヶ埼は女を売ってデカなったおうちです。せやから酷い死に方した女とか、まだ生きとるけど苦しんでおかしくなった女とかが結構頻繁に呪いにくるんですわ、
「待て待て」
割って入ったのは瓜生だ。朗々と喋る令の口を塞ぐように片手を突き出し、
「四宮は女の味方なんやろ? せやのになんで女売り飛ばして無茶苦茶しとる雨ヶ埼と組むんや、おかしいやんか」
「そこはそれ」
令の前に突き出された瓜生の手をゆっくりと下ろしながら、秋彦が言った。
「四宮だって雨ヶ埼が狂ってるってことは理解してる。雨ヶ埼の狂気を矯正するのは不可能だってことも。だからせめて、
「俺のお姉ちゃんのお葬式も四宮の人がやってくれた。変な葬式やったけどな。なんやお祭りみたいで、あっかるい……橙色の灯りがキラキラして……」
秋彦の肩に寄りかかりながら、令がぽつりと呟いた。
「売春宿のそばに神社を作ったってことは、神道の……」
「それもどうも、違うんだよなぁ」
令の左手を取り、そこだけ空虚な薬指の跡地を弄いながら秋彦が唸った。
「四宮は四宮なんだよ。神も仏もない。でも、だからこそ、女を売る店からの信頼は厚い。2年前の殺人事件の際も、その写真の女──四宮
秋彦が語り終えるのを待っていたかのようなタイミングで、座卓の上に放り出していた瓜生のスマートフォンが激しく震えた。知らない番号からの着信だ。何も考えず、ほとんど反射的に通話ボタンを押していた。相手は、『しおまねき』で昏倒した部下の谷家が搬送された病院だった。
谷家が死んだ。
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