第4話 瓜生

 女、の文字が入った石碑は、鬼薊こと薊秋彦が雨ヶ埼家に婿入りし、妻の烏子が亡くなってから建てたものだという。

「今まで酷い目にうてのうなった女の人全部のお墓の代わり、てシュウさん言うてはりました」

 瓜生を正門まで送りながら、令が柔らかく微笑んで言った。秋彦とは玄関で別れた。何やら仕事があるという話だった。

「秋彦さんが? 意外やな。奥さんの遺言かなんかで建てたんかと思った」

「意外でしょ。俺もびっくりして。でもシュウさん、そういうとこわりとちゃんとしとるっていうか」

 擽ったそうに続ける令にはやはり拳銃なりナイフなりを持たせておいた方がいいのではないかと瓜生は考える。無防備にもほどがある。目の前にいる瓜生は、今、彼を簡単に殺すことができるというのに、こんな風に無邪気な笑みを見せながら言葉を並べるだなんて。

「ほんなら、俺はこれで」

「瓜生さん、また遊びに来てくださいよ」

「え?」

 もう雨ヶ埼邸に足を運ぶことはないだろう。そんな風に思いながら雨上がりの曇天を見上げる瓜生のスーツの袖を掴んで、令がふにゃりと微笑む。良く見れば瓜生よりも令の方が幾らか背が高い。ひどく痩せているので、あまり圧迫感を感じないだけだ。

「俺、友達おれへんから」

「……ヤクザと友達になったら、秋彦さんに怒られるんとちゃいまっか」

「えー。せやけど瓜生さん、俺と同じぐらい顔ええやないですか。顔がええってことはエロいこと考えへんでしょ、俺見ても」

「……」

 変な男だと思った。理屈もおかしい。だから「何かあったら名刺の番号使うてええんで」とだけ言い残して雨ヶ埼邸を去った。令は門の前でピョンピョンと飛び跳ねながら、瓜生に手を振っていた。


 に幽霊が出るという話が転がり込んだのは、それから数日後のことだった。

 東條組は新地に店を持っている。女を売って金銭を得ている。

「二軒先の店あるやないですか、あの……」

「妖怪の店か」

 その日、瓜生は東條組本部ではなく許勢こせ組の会議室にいた。たまにはこちらにも顔を出さなければ、自身の組織の金の流れが掴めない。雨ヶ埼家ほどではないが、瓜生とて金は好きだ。金儲けは楽しい。数を数えるだけで結果が分かるというのはシンプルで良い。しかし、新地にある店の管理は許勢組の管轄ではない。別の──なんという組だったか。雨ヶ埼令の言葉を借りれば「ドスケベ」な顔をした五十絡みの組長が率いる組が面倒を見ていたはずだ。もちろん面倒を見るという言葉に隠れて平気で商品に手を付ける。これだから老害は嫌いだ。早く引退するなり、くたばるなりしてほしい。瓜生自ら手をくだすと大問題になってしまうので、死ね死ねと密かに祈ることしかできないのが大層歯痒い。

 妖怪がおる店、とは単なる通称で、新地でも有名な古くからある店である。長く店先に座っているやり手婆がとんでもなく妖怪染みた見目をしており、だが店の女のレベルは非常に高いため常に客が途切れない。あの婆も以前は麗しい見た目をしていたのかもしれないと思うこともまあなくはないが、客としても管理者としても新地に足を運ぶことがほとんどない瓜生には関係のない話だった。

「女の幽霊か?」

 新地に出るなら、十中八九そうだろう。酷い客を取らされたか、管理役のヤクザに弄ばれたか、そもそも新地に流れ着いたのが不本意だったか、理由がどれだとしても自死した女が化けて出た可能性が高い。殺しは──

「まあ、ないやろな」

「いや、それがあるんですわ」

「あ?」

 許勢組幹部補佐、瓜生が不在のあいだは実質組長役を勤めている谷家たにやが口を挟んだ。

「2年前、妖怪の店で。覚えてません?」

「……あー。ああ。あったな。そういえば」

 あまりにも胸糞の悪い事件だったので記憶から抹消してた。2年前。新地に現れた客に、店の女が殺されるという事件があった。男は関東から流れてきたいわゆる半グレで、東條組にはもちろん無関係だし、玄國会にも縁のない、本当に碌でもない男だった。所属していたチームだか組織だかの金を持ち逃げしており、最後はいい女を抱いて死にたいと言って新地に乗り込み、不運にも彼の接客をした女性のサービス内容が気に食わないと暴れた挙句の殺人事件だった。

「2年……いやもう3年近く前の話やろ。今更化けて出る理由がないやんか」

「せやけど、──妖怪の店っちゅうのが気になりませんか」

「それは、まあな」

 正直な気持ちを述べるなら、新地の事件は新地の担当者に任せておきたい。だが現在、許勢組に話が回ってきているのはいったいどういう事情なのだろう。

「なんでもこの、が新地で撮影した映像に映り込んどったとかで」

「は?」

 動画配信者。そんな言葉が谷家の口から飛び出してくるとは思ってもみなかった。谷家は動画とかそういうものを見るのか。瓜生は見ない。テレビも見ないし動画配信サイトも覗かない。映画館でたまに映画を見る、映像作品と瓜生の関係はそれぐらいだ。

 両目を大きく瞬かせる瓜生の目の前で、谷家が持参したノートパソコンを開く。

「動画配信?」

「はい」

「そんなもんが新地に?」

「はい」

「うちの店には来とらんやろな!?」

「おそらく……」

 正確には許勢組の店ではないのだが、この際もう関係ない。動画配信者。その言葉に、誠に勝手ながらあまり良い印象がない。特に新地のように目的がある客以外は歓迎されない場所に乗り込んでくる人間には、悪意や悪意に近い好奇心があるとしか思えない。

 谷家がキーボードをパチパチと叩き、動画サイト直結のアプリがディスプレイに浮かび上がってくる。『潜入☆秘密の色町』というものすごく悪趣味でセンスのないタイトルが表示された時点で、早くも何もかもすべてが嫌になってしまった。

「重要なとこだけ見してくれ」

「はい……」

 10分ほどの比較的短い動画だった。それでも瓜生にとっては永遠に近いほど長く感じられたのだが。鞄の中にカメラを隠した動画配信者──おそらく男性──が古びた木製の階段を和装の女性と共に上がっていく。谷家が早回しをしてくれたお陰で、動画の残り時間は1分半程度。

『ぅわっ……!』

 男の声が響く。性器を出すためにカメラ入りの鞄を床に置いたのだろう。カメラは部屋の隅を映しており、配信者が脱いだ服と、部屋に入った女性が身につけている着物の袖が映り込んでいる。

『いいです! もういいっ! やめてくれっ、やべえっ!』

 実に下品な声だった。残り30秒。うんざり以外のすべての感情を喪失して事務所のソファに腰を下ろし天井を見上げる瓜生に「ここです!」と谷家が叫んだ。

 やべえ、という声とともに女性の手を振り払う男、女性は戸惑ったように男を見上げている──ようだ。袖しか映り込んでいないので分からないが。谷家が画面上の停止ボタンを押した時点で残り時間は約1秒。


 女の袖の上に、薄っすらと青い何かが映り込んでいる。


 ヒトだろうか。いや、この部屋には男と女がひとりずついるだけだ。


 では、あの青いモノは何なのだ。


「顔、か……?」

 性別は分からない。でも、目がある。鼻も口も。笑っている。女性が身に纏う桃色の和装の袖の上に、顔が浮かび上がっている。

 谷家が動画の再生ボタンを押す。瞬間、眼球がぎょろりと動いた。


 男ではない。カメラを見ている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る