完全なる祈り

久慈川栞

完全なる祈り

 その老婆はきまって真っ黒いワンピースと、柔らかな皮が鈍く光る黒い靴、そしておなじく黒色のハンドバッグを持って来館する。かならず休館日の翌日にあたる火曜の、開館から一時間後の十一時頃。この決まりを破ることなく老婆はやってきて、わたしのいる展示室をきっかり三十分かけて見て、そうして出ていく。


 今日もそうしてやってきた老婆の背中を、わたしはその皺だらけの手が貴重な絵やその額縁に触れやしないか、それとも足元に張られている小さなロープを越えて必要以上に近づきやしないか、じっと監視している。彼女がこれまでそのような行いをしたことは一度もなかったし、そんなことは今後おそらくないのだろうけれど、それでもその可能性を考えて来館者に視線を送り続けるのがわたしの仕事なのだ。見るからにかなり高齢な彼女がいきなり体調を崩し、壁のほうへと倒れ込んでしまうことも考えられる。その時にわたしが咄嗟に駆け寄って支えられるかどうかは別として、監視員として特定の来館者に対する仕事の甘さが出るのは許せないのだ。毎週やってきて、ゆっくりとした足取りで絵画を眺めている老婆の背中を、わたしは毎週眺めている。


「見たことないわ」


 ロッカールームで、なんの恥じらいもなく下着姿を晒しながら着替えをする同僚は、わたしに目を向けることもせずに言った。老婆を見るようになって、というより、わたしがその老婆を認識するようになって二ヶ月が経っていた。別の場所で監視員をしている同僚は彼女についてどう思っているのだろうかと尋ねた時のこと。同僚は少しも考えるそぶりも見せない。わたしの沈黙をどう思ったのか、少し取り繕うように続けた。


「ただ、気づいてないだけかもしれないけど。ほら、私の持ち場は、その……人が多いから」

「そうね」


 同僚が主に担当しているのは、特別展やイベントが開催されている棟だ。そして、わたしは常設展が展示されている棟にいる。わたしの勤務する美術館はこれといってコレクションに集客力がない。つまるところ、一般の人たちから見ると「ぱっとしない」と言われる部類に入る。コレクションが悪いわけではなく、ピカソとかゴッホとかモネとか、そういう「美術に詳しくない人たちも知っている」画家の絵がないために常設展の方へはあまり人がやってこない。どこの美術館もそうなのかもしれないけれど、賑わっているのはコレクション展ばかりになっている。

 だから、同僚があの老婆を認識していないのも無理はない。


「黒い服のおばあさんなんて、結構見かけるじゃない? ほら、黒いワンピースなんてお年寄りの制服みたいなもので。……あら、失礼」


 同僚曰く「ぱっとしない」制服はあっという間にロッカーの中におさまってしまう。本来ここが私のいるべき場所だったのですといった具合に。展示されている絵よりも目立たないようひときわ無口に造られたその制服たちは、明るい照明の下で人に着られることよりも、隙間から光が差し込むだけの暗いロッカーの中でハンガーにかけられ、誰にも見られない展示品になるのを好んでいるのかもしれない。


「まあ、探してみるわ。火曜だっけ? 次の火曜は来館も少なそうだし」

「うん」


 別にその老婆が特別展のほうへも足を伸ばしていたとして、それで何があるのかと問われれば何もないと答えるほかない。同僚も特定して声をかけるようなことはするまい。仕事おわりに「いたよ」と言う程度だろう。


 彼女の言うとおり、黒い服を着た老婆という存在はそれほど珍しくない。仕事を終えて帰路につくと必ずどこかで目にする。黒いワンピース、てかてかしたエナメルのハンドバッグ、それから歩きやすさにこだわった黒い靴。まさしく制服といってもいいほどに揃って同じような出で立ちをして、少し背中を曲げて数歩先を見ながら歩いている。美術館の老婆と街で見かける老婆のどこが違うのかと言われるとなかなか判別がしづらいのだけれど、それでも明確な違いがどこかにあって、狭い街とはいえいくら探しても美術館の老婆はそこでしか見かけることがなかった。少し曲がったなだらかな背の角度も、何度も着ているのだろう柔らかく肌に馴染んでいる服も、細かい傷のついたエナメルバッグも、履き古されたそれでも手入れの行き届いている靴も、どれもほとんど違いがないというのに。



 翌週も、やはり老婆はやってきた。いつもと変わらない服装と髪型。他の人に比べてひどくゆっくりとした足取りで歩ので、列をなして鑑賞し、前の人を抜いていくことに抵抗のある来館者にはあまり歓迎されていないようだった。老婆を先頭にぽつりぽつりと人が並び始める。黒で統一された服装の老婆のうしろに並ぶその姿は、葬式の参列にも似ている。そうしてどこか、わたしには分からないなにかを切っ掛けにその列が少しずつ瓦解して老婆の向こう側に人々が流れ始める。どうにか堰き止めていたのに瞳からこぼれ落ちてしまった涙のように、ぽつり、ぽつりと人々が老婆を追い越して展示室の外へ流れ出てしまう。


 朝いちばんの来館者が立ち去ったあとも、老婆は普段とかわらない速さで足を進める。絵の前で立ち止まっては、先週から変わらないキャプションに目を走らせ、また次の絵へ。途中、展示されている彫刻の前でも同じように立ち止まる。老婆の髪はその年齢を思わせる白さで、黒い服の上でよく目立つ。その白と黒の出立ちがいっそう葬送の場を連想させるのだ。彼女は展示品の葬式に参列している人の、ひとりだ。


 コラージュに使われた布や紙は本来の仕事を奪われ身体を引き裂かれて磔にされているし、油絵の具の重なりあって乾いたそれに生気はない。断末魔の叫びのようなエッチングの細い線、ぐちゃりと潰れたパステル。その全てはもう死んでいるものたちで、額縁という棺桶の中でただ半永久的に保存されながら人目にさらされている。それを死者の冒涜と呼ぶ以外に何と呼ぶべきだろう。老婆はそのひとつひとつに弔いの視線を送り、そして祈る。彼らが静かに眠れる日がいつか来ることを。わたしはそれをただ眺めている。死者へ祈りをささげる老婆の小さな背中を眺めている。



「来てないわ」


 ロッカールームで同僚は化粧を直しながらわたしに言った。ポーチの中から次々に化粧品を取り出しては、決まった順で顔に色をのせていく。勤務中は目立たないようにと薄化粧にしている彼女が、勤務後にこうして化粧をするのは「夜に向けての武装」だという。なにに対しての武装なのかわからないけれど、彼女の生活の本番は夕方以降になるらしい。


「よくやるわね」

「一度塗ったお化粧の引き算はできないけれど、足し算はいくらでもできるのよ」


 私が言っているのはそういうことではないのだけど、そう、と頷くと同僚は最後の仕上げにと唇に赤色を引いて手鏡を閉じた。彼女の白い肌のうえできらきらと光る色は鮮やかで、絵画と何が違うのだろうと思う。肌というキャンバスの上で重ねられる色。あまりにもそれは生きている芸術そのものだ。白い壁に等間隔で並べられている死んでしまって動かない絵画とちがって。


「常設展のほうが好きなのかしらね。他の展示室も見ていくの?」

「さあ……」

「聞いてみたら?」


 そこまでする必要があるのだろうか。知り合いというわけでも、声をかけたいわけでもない。ただ毎週やってくるだけの老婆が、他の展示室にも現れているかどうかを聞いてわたしはどうしたいのか。しばらく考えたけれど目的も理由も思いつかなくて、わたしはかぶりを振って答えた。


「いいわ。常連の来館者はほかにもいるけれど、毎週きまって同じ時間に来るからなんとなく気になるだけだと思う」

「そう? なら、いいけど。わたしもその人に会ってみたいわ。あなた、展示品みたいに動かないで座っているから、美術品どころか来ている人にも興味がないのかと思っていたのよ」


 相当おどろいた顔をしていたのだろう。わたしを見た同僚の赤い口元がニィと弧をえがいた。


「あら。ほんとよ。彫刻かと思ったなんていうお客さんもいるくらいだもの。……まあ、どう見ても無理あると思うけど。美術品にもあまり興味がないでしょう」

「聞かれた時のために、ある程度の知識は入れてあるわ」

「でも好きじゃないのは確かでしょう。変な人ね、美術館で働いているのに」


 彼女の言う「変な人」が蔑みの意味を含んでいないことくらいはわかる。持ち場も離れていて、あまり会話をすることがない同僚が意外とわたしのことをよく見ていることに感心しながら、頷いた。


「静かな場所がすきなの。静かだったら、どこでもよかったわ。図書館でも、葬儀場でも」

「やっぱり変な人ね」


 じゃ、お先にね、と言い残して同僚は何も入らないような小さな鞄を肩からかけて出ていった。頭から足先まですっかり整えられたその姿は、どの銅像や彫刻よりも芸術的だ。そうして、あっという間にロッカールームに静けさが満ちる。

 そう、静かであればどこでもよかった。そういった点では、あまり人のこない常設展の監視員はわたしにとって天職ともいえる。死んでしまった絵画たちと並んで、極限まで呼吸を浅くし壁と溶け合うように気配を消す。部屋で注目すべきは並べられた死者たちであり、生きているわたしではない。来館者による葬送を見届けるだけの立会人だ。毎日繰り返されるその儀式は、終わりが見えなくてただひたすらに祈りだけが部屋に積もり落ちていく。そのさまをただ絶望しながら、死者がこれ以上辱められることがないよう、監視するのがわたしの仕事だった。わたしはこの仕事が好きだ。

 


 老婆がぱたりと来なくなったのは夏が終わり秋の気配が色濃くなり始めた頃で、最初はわたしがただ気がつかなかっただけなのではないかと思った。けれど、そんなはずはない。彼女の弔いにわたしが気づかないわけがなく、つまり彼女はわたしが認識してはじめて火曜にやってこなかった。体調でも崩したのだろうか。そもそも毎週きまってやってきていたことの方が本来珍しいことだ。先週もふだんと同じ服でやってきて、ゆっくりとひとつひとつの展示品を眺め、そうして帰っていったのだ。一度来なかったからといって驚くようなことでもない。慣れとは怖いものだ、とわたしは乳白色の壁にふたたび同化しながら考えた。


 それなのに、老婆はその翌週もこなかった。二週連続で不在ということは考えられない。彼女になにかあったのだろうか。そもそも名前も、年齢もわからない。わかることといえば、毎週この美術館に足を運べることから、おそらくそれほど遠くない場所に住んでいるのだろうということくらいだ。午後になったら来るのかもしれない、と思いながら待っていたけれど、けっきょく閉館時間になってもあらわれなかった。壁にかけられた絵画や台に乗せられた彫刻はその亡骸に祈りを捧げられないまま夜を迎えてしまった。二週間も。彼らにとっては長い時間に違いない。それとも数百年前に描かれた絵にとってはたったそれだけの時間なのだろうか。わたしでは展示品に祈りを捧げることができない。黒いワンピースも、エナメルの鞄も、やわらかな皮でできた黒い靴も、白い髪も持ち合わせていないのだから。わたしでは弔うことができない。彼女はどうしてしまったのだろう。


 三度目に落胆した日、同僚よりも先にロッカールームを出ると薄闇が街を覆いはじめていた。木枯らしに背中を押されるように歩きながら、今日もやってこなかった老婆のことを考える。もうやってこないのだろうか。かなり高齢なのはわたしの目から見ても明らかだった。歩けなくなった、外に出られるような体調ではない、それとも——色々な憶測が頭の中に浮かんでは消える。それはどれも不確かなもので、水彩画のようにぼやけている。そういえばあの老婆の顔すらもよく覚えていないのだ。わたしが覚えているのは絵画のまえで立ち止まり、しばらくそのまま動かないあの背中ばかり。前方からやってくる老婆もやはり黒い服を着ている。ただそれがあの老婆じゃないことだけはわかる。正面から見たこともないのに? それでもわたしにはわかる。


 どこかで教会の鐘が鳴っている。夕暮れの雑踏に紛れて届くその音に祈りを捧げながらわたしは帰路を急ぐ。空腹感。生きているからお腹がすくのだ。絵画は空腹を感じない。聖母マリアもキリストも麗子も龍も虎も。弔いの祈りを捧げるには、わたしはまだ生に近すぎる。

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