最後の一押し

 その日を含めて四日間、準備期間という名の自由時間が与えられた。


 聖とリンメイは明日から学校に行くらしい。ヘンリーは教会で自分が留守の間の手続きやシスターへの指示をしてくるそうだ。


 俺は……。ナカタニ製薬の研究室に顔を出してくるか。

 あと、父さんにも連絡取らないと。多分俺がプロジェクトに参加することになったのはもう知ってるだろうけれど。


 簡単にメールだけ出しておいた。

 てっきりメールで返信してくると思ってたら、夜、突然、父さんが来た。


 お茶を出して、真正面に座る。


「大変だろうが、頑張るんだぞ」

「うん」


 ……会話が続かない。


 父さんとは別に仲が悪いとか、無茶ぶりされて虐げられてるとか、そういうのじゃない。

 けれど他の家族みたいなやりとりがない。なんていうか、事務連絡だけといってもいいくらいだ。


 孤児院から引き取ってくれた恩があるから父さんの言う通りの人生をと思ってる。考えてみたら、それだけだったな、今まで。


 それさえも、二十五歳まで研究させてほしいって俺の我儘で曲げちゃったんだけど。


「このプロジェクトに参加して、おまえもいろいろなことを学ぶだろう。それをこれからの糧にするといい」


 なんか含みのある言い方だなぁ。


「これからのって、諜報員になるためのってこと?」

「それもある。今の時点ではあまり多くを伝えられなくてすまない。おまえが知るべき時に俺の知っていることを伝えよう」


 つまり、単純なダンジョン探索じゃない、ってことを直接言いたくて来たってことか。

 父さん口下手だよな。俺も人の事は言えないが。


「判った。とにかくやってみる」

「俺もこれから忙しくなるからあまり頻繁に連絡は取れないがメールはみているから、何かあったらそちらで連絡をくれ」


 父さんはそれだけ言って、部屋を出ていった。


「あ、くろちゃきパパアル。ママの作ってくれたご飯あるけど食べてかないアルか?」

「いらん」

「くろちゃきパパも冷たいアル~」


 なんか廊下から聞こえたが聞かなかったことにしておこう。




 次の日、ナカタニ製薬研究所に行った。

 相変わらず嫌な雰囲気だ。研究室も埋まってるし。


「なんだ、突然来て」

「副社長直々の仕事でしばらく来ないはずだろう?」

「イクスペラーなんだったらもうそっちだけやってりゃいいものを」


 老害どもが聞えよがしにひそひそやってやがる。


 なんか馬鹿らしくなってきた。

 ……これを機に、ここを離れるのも、いいのかもしれないな。


 ちょっと前までは、こんな連中なんか気にせずに二十五歳まで与えられた時間を有効に使って研究をって思ってたけど、こんなふうに考えが変わってきたのは昨夜父さんと話したからかな。


「黒崎君、俺が確保してる時間に研究室使うか?」


 声をかけてくれたのは立浪さんだ。


 ありがたいと思ったけれど、それよりも申し訳ないと思った。

 だってなぁ、立浪さんが提案したら、連中の視線が突き刺さるように向かってきてるし。


 もう、いいよな。いい機会だ。


「いや、いいですよ。それよりも立浪さんにお渡ししたいものがあるんです」

「え? 俺に?」

「はい。今まで俺が研究して作ったポーションのレシピと、あぁそうだ、この前の探索で手に入れた素材もまだ残ってるんだった」


 奴らに聞こえるようにちょっと大きい声で言ってやる。

 事務室の中が、しん、となった。


「俺が直接こっちに持ってこなくなったらなかなか手に入らないでしょうから、貴重ですよ」

「黒崎君、……辞めるつもりなのか?」

「はい。立浪さんにはよくしていただきましたが、こんな環境で研究なんかできませんし。後で副社長にも話しておきます」


 老害どもが青ざめてる。

 そりゃそうだよな。イクスペラーである俺が直接素材を持ち込んでたからイクスペラー用のポーションとか作る事業がうまく行ってたようなものだ。


 連中にしたらちょっと嫌がらせしてやれ、ぐらいのノリだったかもしれないけど、俺にとってこの先を考え直すトリガーになった、ってことだ。


「あ、ご心配なく。別に誰かに嫌がらせをされたから辞めるとか、そんなことは言いませんので」


 最後にイヤミの一つぐらいかましてやっても罰は当たらないだろう。


 なんか、すっきりした。

 俺を買ってくれてた中谷副社長には申し訳ないけれど。

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