2.5 依鳥緑は世の中そんなもんだと言う
夏の炎天下。
茹だるような暑さに、耳をつんざく蝉時雨。
いつもよりも多めに塗った日焼け止めと帽子、水筒という持ち運べるオアシスで私は夏と戦っていた。
期末テストも終わり、夏休みが目と鼻の先にある今日は、学校行事の一環で近くにある大きな公園の掃除に来ている。
公園といっても遊び場もあれば、散歩する庭園もあるこの〝すこやか公園〟は。
まぁとにかく広かった。
『依鳥緑は世の中そんなもんだと言う』
「……ぅあつい〜」
園内にある施設の影に座り込む緑が、今日何度目かの言葉を吐いた。
「……」
私もその隣で同じことを思っていたが、もう口に出す気にもならなかった。
うちの高校に、いわゆる〝遠足〟はない。
高校生にもなって、歩いていける近場を遊びに行くのをやりたいかと言われればそうでも無い。
しかし、イベントで授業がない日があるのは正直いって嬉しい。
だから私は、この学校に遠足は無いと知った時、少し残念に思った。
そして代わりにあると分かったのが、この地域貢献のイベントだ。
せめて夏以外に行わないのかと疑問に思うが、3年生は海の清掃に行くらしいから仕方がない。
私も海に行くなら夏がいい。
「ねぇ津々浦ぁ、なんで夏は暑いの?」
午後の休憩時間が過ぎた後も、こうして物陰で涼んでいると。……涼しくはないが。緑がそんな漠然とした質問を投げかけてきた。
緑の思考には〝分からないことは津々浦に聞いてみよう〟という節がある。
私だって全能な神様じゃないのだ、知っていることしか教えられないと言うのに。
――と言うか、神様はあなたでしょうに。
「……地球と太陽の位置関係を説明すれば、納得してくれる?それに理解したからって涼しくはならないわよ」
「それはそうだけどさ」
「「は〜あぁ……」」
二人して壁にもたれかかり、大きくため息をついた。
遠くに見えるの芝生が陽炎で揺らめいている。
「そだ、津々浦。津々浦は暑いのと寒いのどっちがマシ?」
「……いまそれ聞くの」
こんな状況だと答えなんて決まってしまう。
「いやいや、しゃべって気を紛らわせようと思ってさ。――今が、とかじゃなくて単純に暑い寒い、どっちが辛いのかなって」
緑は取ってつけたように問いかけてきたが、この問いは私が生きてきた中で何度も考えたことがある。そして、私の答えはいつも決まっていた。
「――私は暑い方が嫌。寒い方がマシよ」
「どうして?」
その答えには私なりのキチンとした理由がある。
「だって寒さは厚着すればまだ対策できるでしょ?でも薄着には限界があるじゃない」
そんなシンプルな理由だが。
「あ〜言われてみれば。津々浦頭良い……」
「……」
もう話題が途切れてしまった。
別に沈黙が耐えられないわけじゃない。だが今はこの暑さを忘れられるなら、何か話題が欲しかった。
とは言ったものの私は、何を話題に出そうかと困る。
神様を名乗るこの不思議な女の子、依鳥緑と過ごした3ヶ月は新鮮な話題ばかりで〝人が当たり前に思っていること〟や〝疑問に思わなかったところ〟に踏み込んだ話を切り出してくれている。
そんな日々の中、いつのまにか私の中で緑との雑談が〝雑な談笑〟ではなくなりつつあったのだ。
「……」
――いや、待てよ。
緑が変わった話題を振ってくるからと言って、私も変わった話題を振り返さなければならない――のではないのだろうか。
アレらは〝緑が神様だから〟出てくる疑問なわけであって、狙って話題にしているわけではない。
そして緑は私のと会話を面倒くさそうにしている様子もない。
「……あー」
どうやら私は一人で勝手に意地をはっていたようだ。
緑の話題に劣らない、斬新でありふれない話題を提供しようとしていたようだ。
我ながらくだらない――。
緑は友達なのだ。何もはばかることなく、なにも誇示するわけでもなく、普通に話せば良いじゃないか。
なにか、なにか普通の話題……。
「緑ってさ……」
暑さで茹った私の頭が導き出した問いは。
「食べ物は何が好きなの?」
どうしようもないほど雑なものだった。
「…………――好きな、食べ物?」
なんの脈絡もない質問に、流石の緑もキョトンとしたようで間を置いて聞き返してきた。
が、暑さに茹だるのは緑も同じ。呆気に取られはしたが、どこか遠くを見つめながら答えてくれた。
「好きな、好きな……梅干しとかかな」
「え……カレーとか、パスタとかそういうのじゃなくて?」
てっきり料理名で答えられると思っていた私は素直に困惑した。
それも梅干しと来たか――。
なんか、外国の人たちが梅干しや納豆を苦手とするように、神様である緑もそういったものは避けているものだと思っていた。
……いやでも、緑は人の神様だから体質や思考は人なのか。
そもそも――。
「ねぇ、緑って日本人なの?」
「えー……考えたことなかった。私何人なのかな?」
「日本由来の神様なら日本人じゃないの?」
日本人の私たちに紛れてるんだし。
「わかんないや、私は日本の神様じゃなくて〝人の神様〟だから」
そう呟いてしばらく黙った後、思い出したように緑が続けた。
「そういえば私、日本語以外読めないし喋れないや……多分、日本人なんだと思うよ」
確かに、言われてみれば。
緑に勉強で英語を教えている私は納得した。
「それなら味覚が日本人ベースでもおかしいことではないわね……」
味覚といえば――。
「ねぇ緑。人間の味覚、好き嫌いって2か3歳までに決まるらしいわよ」
「ん?どゆこと」
「なんかね、3歳までに何を食べてきたかで、その人の好みが決まるんだってさ」
「へぇー、幼いうちの印象は一生モノなんだ……津々浦は何が好きなの?」
「私?私は卵料理とか好きだよ。親子丼とか、オムレツとか」
「タマゴ?!えーなんかかわいい」
「……梅干しよりはかわいいかもね」
「いやいや、梅干しを甘く見てはいけないよ……梅干しだけに」
「……」
「……梅干し一つで白米がどれだけ進むか、津々浦は分からないの」
「分かるよ、私だって梅干し好きだし」
「白米、味噌汁、魚の煮付けにそして梅干し。和食最高だよ〜」
「――魚は同意できないなぁ」
「え!津々浦魚嫌いなの?」
「魚っていうか魚介類。ダメなんだよねぇ、イガいというか、生臭いの」
「……煮魚の美味しさを知らないの」
「まさにその煮魚が一番ダメ。しかも小学校の給食では牛乳で食べさせられてたから。――アレが私の中じゃ最悪の食べ合わせで」
魚の味を理解できない私を理解できない、といった顔の緑がふと気づいたそぶりを見せる。
「――ちょっと待って。津々浦、この前一緒に回転寿司いったよね……?」
「あー……」
私は緑が言いたいことを察した。というか私でもツッコむところだ。
「その……えっとね」
私はこの手の話題になると、いつも答えていた馴染みのセリフを口にする。
「生魚。というか、お刺身は食べれるの」
「はー!贅沢な子だね」
「私にも分かんないよ。食べれる刺身っていっても大体赤身で、白身やタコとかは苦手だし」
「ますます贅沢じゃん……」
「お母さんが言うには昔は食べてたらしいよ。焼き魚とかも。なんでも離乳食が魚だったとか」
「へぇー」
そうしてまた話題がひと段落着きそうな時に、緑はあることに気が付いた。
「……あれ、津々浦。矛盾してない。人の味覚って3歳までに決まるんじゃないの?」
その指摘に私は僅かに黙り込んだ。
「――ほんとだ。今の私食べれないじゃん、焼き魚」
言われてみれば考えたこともなかった。
「あれだね。きっとちっちゃい時に食べ飽きたんだよ」
だが緑はその矛盾を追求することなく、適当な理由をつけてくれた。
「それだ。アリだね」
私はパチンと指を鳴らしてその案を頂いた。
「え、何?今のどうやったの?」
「あぁ、これ?」
そう言ってまた指を鳴らす。
「これはね、指の形をこうして――」
イマイチコツの掴めない緑としばらく指を振っていると、前の通路を他のグループのクラスメイト達が通って行った。
「ねぇ津々浦、いつまでも休んでていいの?」
「この日差しの中ボランティアに励むほど、私はおりこうさんじゃないよ」
そう言いながら、それなりのゴミや落ち葉の入った袋に目をやる。
緑は不思議そうな視線をこっちに向けていた。
「意外。津々浦は学校行事に真面目な委員長気質のおりこうさんだと思ってたから」
「力抜けるところは抜くわよ、私だって。まぁある意味それも〝お利口〟だけどね」
二人してどこか遠くを見つめたまま、会話は続く。
「そいえばさ。神様的にはどうなの?人間の食べ物って」
意図の分からない質問に、緑が首を傾げる。
「どうとは?」
「御伽話とかであるのよ。人が神様や妖怪、妖精の世界のものを食べると、元の世界には戻れなくなるって。――あなたは人の神様のなんだから、人の食べ物を食べるのも役目のうちなんでしょうけど。よその神様的には、人の世界の食べ物って魅力的に見えるのかなって」
緑は少しだけ考えているのか、考えていないのか分からない顔をして。
「そだねぇ。今度機会があったら聞いてみよ」
そう答えた。
「お供物とかってどう?あれ食べてるの?」
「いやぁ、どうなんだろう。私そういう系じゃないしね。――多分だけど食べてないんじゃないかな。ああいうのは〝お供物をした〟っていう人の気持?信仰心?とかを栄養というか糧にしてるぽいからさ」
「なぁるほどねぇ」
確かに、備えたモノが消えるわけではない。
「――ただ、私は人であるうちに美味しいものいっぱい食べとこうとは思ったよ。庶民的なものから高級なもの、自然の食材から化学調味料。味わえるだけ味わわなきゃね」
緑がそう言って表情を緩める。
「やっぱ神様でも食べなきゃだめなんだ」
「そうそう、今は人の身だからねぇ。厳密には限りなく人に近いってところなんだろうけどさ。――流石は三代欲求、七つの大罪って感じだね。バイトのしがいがあるよ」
食べたいものを食べるために働く。
そんな当然のような、それで良いのかと言ったような。複雑で、なんだか世知辛い気分になる。
「――苦労してるのね」
「〝人並みには〟だけどね」
「……人だけに?」
「ん?どゆこと」
「ううん、何にも」
物陰でサボり始めて十数分がたった。
流石にそろそろ戻ろうかと思い、私は緑に声をかけた。
だが――。
「……もうちょっと休んでからにしよう」
緑は文字通り溶けたように壁に背を預けていた。
「うぇ……あつぅ」
緑がそう言いながら体操服の襟を掴み、頬の汗を拭う。
捲り上げたせいで裾が上がり、肌が見えてしまっている。
「緑、お腹見えちゃってるよ。女の子がはしたない、ちゃんとタオル使いなさい――」
そう言って緑の行動を咎めた時、私の脳にある疑問がほとばしる。
「……緑、って……女の子、よね?」
私はずっと、女子制服で通学する緑を、何の気無しに女の子だと思い込んでいた。
多様性に踏み込んだ話をしたいわけじゃないが。単純にこの神様が女の子で合っているのかどうか、確認したくなった。
……身体つきも、正直何とも言えないし。
「え、そんな今更。女の子だよ」
私はほっと一安心した。
日本人かどうかの時のように「私ってどっち?」と言われたらどうしようかと。
「少なくとも身体構造は女の子だね」
緑は続けた。
「まぁ女の子らしくできてるかの自信はそんなに無いんだけどねぇ。ほら人間って〝女の子なら〟とか〝男は〟とか言う固定概念や。保護者からの性別に沿った教育で物心つく頃には〝そうあれかし〟と思って生きるわけじゃん?私神様だからそういうのなくて――」
「――緑」
踏み込んだ話題を広げそうな緑を、私はそっと止めた。
「緑が女の子なのにはかにか理由があるの?」
「うぇ、えーっと。ないと思うよ。少なくとも私は何も指示されてないよ。多数決とかコイントスで決めたんじゃないかな」
「……あなたと喋っていると神様ってモノに疑いを感じるは」
私がそう言うと緑は座り直し、姿勢を正してこう返してきた。
「ハハ。でもさ、世の中そんなもんじゃない」
特別強いわけではないが、涼しい風が吹き、私の髪を揺らす。
「頑張らなきゃいけない時に頑張って。やらなきゃいけない時にやれれば良いんだよ。――真面目で成績優秀な津々浦だってボランティアをサボることもある。ずーっと張り詰めてちゃ疲れちゃうし楽しくないでしょ?神様だっておんなじだよ。何事も知ることは大事だけど、知り尽くした方が良いとは限らない〝知らぬが仏〟ってやつだよ」
「……神様だけに?」
「そう、神様だけに!」
そう言って緑は立ち上がった。
「さ、流石に戻ろうよ。適当にゴミ袋満タンにしとかないとね」
そう言う緑につられ、私も立ち上がる。
「そうね、落ちてる木の枝でも入れてかさ増ししましょ」
「そそ、楽して適当に、かつ良いように見せよう」
そう言って緑は歩き出した。
歩き出して急に、何もないところでフラついた。
「……緑?」
「あれ……?なんか、身体動かない」
足元のおぼつかない緑がヨロヨロと、這いつくばる。
「あ、鼻血が……」
その言葉を最後に緑は倒れ込んでしまった。
「え、嘘、緑!?熱中症?」
その時私は今日一日緑が手ぶらだった事を思い出した。
「あなた水筒は?!水分とってなかったの?――あ、先生!緑が倒れました」
そうして緑のボランティア行事は終了した。
彼女を除く生徒達はみなゴミ袋にしっかりゴミや落ち葉を持って帰り。最後に並べられたゴミ袋の山の中、一つの萎びたゴミ袋が目立っていた。
それを私は、暑さで溶けてた緑にそっくりだと思いケータイで写真を撮って緑に送った。
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