2.依鳥緑は夢の値段を知ったと言う
高校に入り一学期がそろそろ終わろうとしていた。
生徒達は後に控える夏休みに心躍らせながらも、避けては通れない期末テストにまた心苦しめられていた。
私、津々浦麗もそんな一人である。
前回行われた中間テスト。進学校ならではの学力、勉強力といったところか、それを測られるの時のようなピリついた雰囲気は今回は感じない。だが、やはり落ち着かない日々に生徒たちはソワソワしていた。
そんな中でも変わらない生徒が一人。
「ねぇ津々浦、私は分かってしまったのです」
フフンと得意げな顔で下校前の私の席へと現れたのは依鳥緑。私の友達で、神様だ。
「……そう」
私は訝しんだ。
緑のことをまだよく知っているわけではない。だが、この短い間柄でも分かってしまえるものがある。
この自信に満ち溢れた緑が言う〝分かったコト〟は、待ち受ける期末テストには何の関係もないであろうということだ。
だが緑も私のことを少しは理解してきているようで、高揚した気分を少し抑えて尋ねてきた。
「津々浦今日も図書室で勉強?」
このところ緑の誘いを断ることが多かった。私に限った話ではないが、テスト前は勉強に時間を割きたいのだ。
緑もまた遊び呆けているわけではなく、何度かともに勉強会をしている。だが最近は勉強会くらいしか付き合いがないのも事実だ。
緑はテスト前の私に無理強いをしない。だが、まるで構ってもらいたい仔犬のようにしょげてこちらを伺うその表情に、そろそろ罪悪感が募っていたところではあった。
「まぁ、今日くらい息抜きしてもいいかもね」
私がそう言うと緑の表情がパッと花ひらいた。
「いいの?!ありがと津々浦」
そう言うと、まるで高級なリムジンのドアを開くような仕草をしてみせ。
「では、あなたを夢の売場までご案内いたしましょう」
そう呟いた。
『依鳥緑は夢の値段を知ったと言う』
夢。それは人が眠っている間に見るとされているモノ。
それが記憶の整理整頓だったり、未来のお告げだったりと、人によって解釈はいろいろある。
けれど今回緑が言う〝夢〟はそれとは違うようで、将来とか目標などを言い表す〝夢〟なようだ。
しかも、その売り場を見つけたと言うのだ。
愛はお金で買えるかどうか。そんな話題をテレビやフィクションで耳にしたことはある。
緑が今回見つけたのはそんな答えの一つなのだろう。
「津々浦はさ、宝くじって買ったことある?」
初夏の陽射しはまだまだ強い夕方、町を歩きながら、緑がそんなことを聞いてきた。
「私はないかなぁ。でも一度お父さんが買ったのを見たことはあるよ」
だが、それ以降父が宝くじを買ったのは見たことがない。きっとその一度で痛い目を見たか、夢破れたのだろう。
……ん?
私はここで気づいた。どうやら緑の今言う〝夢〟は将来や目標ではなくて、宝くじや懸賞に求めるような〝夢〟だったようだ。
「じゃあパチンコとか競馬は?やってみたことある?」
「……未成年だよ、あるわけないでしょ」
思ってもいないその質問に呆れながら答えた。
「緑はどうなの?もしかしてやったことあるの?」
「ううん、ないよ。神様の身でも、私は一応未成年だから、決まりごとは守らないとねぇ〜。不良生徒になることは、人の可能性の一つとして神様の判断材料になるけれど。前科や経歴にキズが付くような行動は神様的にもアウトだもん」
当然でしょ?と言わんばかりの表情でそう語る緑。
つまり先程の質問は、私がそんな経歴キズが付くような行動をしている。そう緑は思っていたと言うことなのか。年齢を偽ってパチンコや競馬で遊ぶような人間だと。
「……」
……そう思ったがここで、ゲームセンターにもパチンコやゲームの競馬があることを思い出し、私は怒りを沈めた。
「ねぇ緑、もしかして夢の売り場って宝くじ売り場のこと?」
そんなオチだったらどうしようかと思い、そう尋ねる。
「確かに、宝くじ売り場も分かり易い夢の売り場の一つだよね。でもね津々浦、私が見つけたのはもっと凄いのだよ。あそこは多分、この世で一番安く夢を売っているところだよ」
「――へぇ」
一転し、私はとても興味が湧いた。
宝くじは一枚300円。いや、番号を当てるタイプのなら200円だったか?
それよりも安いとなると100円、もしかすると1円なんてことも……。
ここまで考えて私の頭に再びヤツがよぎった。
「……ねぇ緑、ホントにパチンコじゃないのよね?実は1円パチンコでした。なんてことはないのよね?」
不安げにそう聞いた私が面白かったのか、緑はケラケラと笑った。
「違うってば、パチンコじゃないない〜。あれぇ津々浦ちゃん、君ってば真面目な子に見えてそう言うのに興味あるの?」
一瞬、沈めた怒りを掘り起こそうかと考えた。
「ないわ、そんなオチだったらどうしてやろうかと思っただけよ」
冷ややかな目を緑に向ける。
「えぇ……津々浦ってお笑いとかにキビしいタイプだったの……」
緑が半身を引いて私を警戒した。
「ですが、ご安心を。そんなもんじゃぁございません。もっと身近で安心で、庶民にも手が出る夢でございます。……まぁ、アタシもパチンコに詳しいわけじゃないから、1円で買った銀玉一つで何十万稼げました、ってのには敵わないと思うけど……」
先程冷ややかな視線を向けたせいか。徐々に弱まる語気で緑が私を伺う。
「……つまらなかったからって怒るほど鬼じゃないわよ、私は」
緑に連れられて、私は町を歩く。
道のりを見れば、今は学校から最寄りの駅に向かって歩いている。だが、その最寄り駅は、私の使う駅とは反対方向にあるものだった。
そのためここは、知らない道ではないが、慣れない道だった。
安く売っていると言う夢への道のりの中、緑は己が見つけた夢について語り始めた。
「私はね津々浦、ヒトの言う夢ってなんなのかなーって考えてたの。――〝夢を買う〟とか〝夢を賭ける〟とか。そんないわゆる人が夢って呼ぶ、フワッとしたそれは何なのかなって」
確かに、言われてみれば夢と呼ぶソレの明確な定義は、私の中でもフワッとしていた。
「だからいろいろ見て回ったの。私散歩が趣味なんだぁ。あちこち歩いてみて、知ってる道に辿り着いたり、見えない景色が見れて案外楽しいんだよ。――外に限った話じゃないよ。ショッピングモールの中とかも、歩くだけってのも悪くない」
そう言えば前に散歩が趣味だと言っていたな、と私は思い出した。
そんな散歩の中で緑は様々な人を見て、色々な夢の持ち方を見知ったようだ。
「パチンコ筐体の中で釘に弾かれる銀玉を眺めるおじさんの目。賭けた馬が走る様子に熱狂する人々。誕生日まで我慢と言われたおもちゃを横目に歩く子供。金曜の午後を過ごす学生。そういった人達をたくさん見て来たある日。私はそんな皆んなは、同じモノを心に持っているのだと気づいたの」
「同じモノ?」
「そう!」
そう言って、一歩大きく踏み出した緑が、そのままくるりと振り返る。
「ワクワクだよ。津々浦」
その顔は笑顔とはまた違う、朗らかで晴れやかな表情だった。そうまさに――。
「……ワクワク?」
「うん!ドキドキでもいいかな。みんな持ってるんだよ」
大当たり。一攫千金。楽しみ。週末。
先に緑があげたそれらは、こういったモノの前にあるものだった。
「たとえハズレるかも知れないものでも。人が先に待つ結果に対してドキドキしたり、ワクワクする。そんなビジョンに胸を膨らませることを夢想、『夢』って人は呼ぶんだよ」
「夢……」
なるほど。
私は素直に感心した。
別にそれは大きな発見ではない、だけど案外気づけないものだと。少なくとも私はそう感じた。
「そんなドキドキ、ワクワクが売っているところ……」
だから私は緑に連れられる先にあるものを、文字通り夢に見た。
「どう?津々浦も楽しくなってきたでしょ」
見透かすようなその表情に少しの恥ずかしさを覚えたが、私は素直に答えた。
「うん……ワクワクしてきた」
「よーし、じゃあもう少しだから着いてきてね」
そこからの私の足取りは、とても軽やかで心躍るものだった。
だから――。
「ジャジャーン!こちらが夢の売り場になります!」
だからなんだか釈然としなかった。
今の私の顔を絵で描くなら、口は×印になるだろう。そんな気持ちだ。
駅の方に向かっているなぁ。とは思っていたが、まさか駅そのものに向かうとは思ってもいなかったから。
まさかその夢の売り場が。
「……自動販売機」
駅前の自販機だとは、まさに夢にも思わなかったから。
拍子抜け、受け入れ難い現実。まるで翼を溶かされたイカロス。
ドキドキ、ワクワクしていた気分をごっそり削ぎ落とされたような脱力感が私を襲う。
そんな私に気づかず、興奮した緑は商品のプレゼンを始める。
「なんとこちらに並びます二つの自販機、ただの自販機ではございません」
そう言うがどう見たってただの自販機だ。
珍しいジュースがあるわけでもない。
緑が私から見て右側の自販機へと歩み寄る。
「実は右の赤い自販機さんには、缶コーヒーが110円で売られています」
有名なメーカーの缶コーヒーだ。
そして今度は左の自販機の前へと歩いて行く。
「そしてそして、左の青の自販機さんには……なんと!100円で缶コーヒーが売られているのです」
そっちのはあまり見ないメーカーの缶コーヒーだった。
「同じ缶コーヒー……なのに右の方が10円高い」
メーカーが違うんだよ、緑……。
緑は考え込むような仕草をして見せるが、私の頭は冷静というか、冷ややかにツッコミを入れてゆく。
「ならばこの差10円は一体何の値段なのか?!なぜ10円高いのか?!その答えは……」
右へ左と動いていた緑がスッと私の前に立つ。
そしてコソコソ話をするように口元に左手を添えて囁いた。
「なんと右の自販機さん、買うと数字が回って4桁揃えば一本タダになるんです……」
「……へぇ」
もう、なんというか。もう、ばかばかしかった。
虚空を見つめる私をよそに、緑のプレゼンは止まらない。
「つまりこの差額10円は、4桁くじへの挑戦料。そう夢の価格!当たるか当たらないか、ドキドキワクワクの値段だったのです!」
私は無意識のうちに拍手をしていた。
緑の話に心打たれたからではない。こうしておけば、なんの面倒ごともなくこの話題が終わるだろうから……。
「すごいよ緑、だいはっけんだね」
心にもない言葉まで漏れ出した。
誇らしげに胸を張る緑の横で、私は謎の頭痛に襲われる。
なんでもいい。何か刺激を。
このなんとも言い表せない感情を壊してくれる刺激が欲しい。
私は刺激を求めてフラフラと右の自販機へと歩く。まるで亡霊のような私は、小銭を110円取り出し普段飲まないブラックコーヒーを買った。
ピリリリッ!
電子表示の数字がランダムに動き回り、最後の1桁を焦らす。
隣では息を呑んだ顔の緑が覗き込んでいた。
ピッ!
そして電子表示板に7777の数字が揃った。
「やったー津々浦!当たりだよ!」
緑のそんな声を遠くに聞きながら、私は適当なボタンを押して、緑にジュースをあげた。
「いいの?ありがとう」
プシュ!っと缶コーヒーを開けると、そのまま勢いよく私は飲み干した。
慣れないブラックはとても美味しいとは言えないが、口に広がる苦味は頭をスッキリとさせてくれた。
「……緑、私は今日という日を忘れないよ」
この先、私の人生がどんな人生になるかは分からない。分からないが、今日ほどのドキドキワクワクはある意味二度とないだろう。
「――♪」
缶ジュースを飲みながらご機嫌に何かを言った緑は、空いてる片手でグーサインをして見せていた。
私の心中など知る由もなく。
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