第6話

 時刻は午後3時、自室のベッドで横になっている。


 昨日服も体も全てが濡れていたのにも関わらず倒れるようにリビングのソファで寝た俺は案の定風邪をひいた。


「ゴホッゴホッ・・・・・・」


 咳をする瞬間に喉が乾いた小石で擦られているような痛みが走る。かといって自然にしてしまうものなので咳を我慢することはできない。


 額に汗をかいているが体はひんやりとしているので俺は羽毛布団を頭の上からかぶった。


 今日起きたのは正午ぴったし、目が覚めてソファから立ちあがろうとした俺は足を挫きそのまま倒れた。単に寝ぼけてた訳ではなく悪寒が襲ってきていたので風邪をひいたのだとすぐに理解した。


 俺は何とか生臭い制服を脱いで二階にある自室へと入りベッドで寝直した。


 頭が痛く何も考えられない。今は学校への連絡も制作途中の絵も全てがどうでもいい。ただ、次々と襲ってくる風邪の波が苦しい。



 あぁ体が熱い、でも冷たい・・・


 頭が中から叩かれてるように痛い。


「四度寝するか・・・」


 そう言って俺は目を閉じた。


 口から出た小さな声が布団の中に篭り行き場を失っている。





「——すぐ帰ってくるから待っててね」





 あぁまたこの夢だ。真っ暗な夢の中に泣きじゃくっている男の子が独り佇んでいる。


 あの言葉、表情、温もり、その全てがツタとなって足に絡んでくる。足が前に進まず俺はこの夢から逃げられない。


 ひとりぼっちの泣き声が暗闇の中に響き渡る。俺はそれをただ見ていることしかできない—



 *



 俺は今、沈みかけている太陽を背に帰路についている。手にぶら下げているビニール袋には絵の具や筆、雑巾に画用紙が入っておりガサガサと音をたてて揺れている。これは全て美術部で使うものだ。ちなみに美術部には部費というものが存在せず、道具は自腹で買うことになっている。お小遣いで買える範疇ではあるが少し痛手だ。


 前方から冷たい風が吹く。ひんやりとした空気かわ布越しに撫でてくる。火照っている体が冷却されていくみたいで気持ちいい。


 やっばり秋が1番好きだ。ちょうど過ごしやすい涼しさをしている。太陽が出ている時間も長くなく短くない。それに紅葉も綺麗だ。銀杏や楓、夏は緑色だったものが黄金色や紅色に移り変わる。紅葉と真っ赤な太陽がシナジーを起こして秋の美しさを増幅させる。この素晴らしい景色をシャッターを押して切り取りたい。俺はポケットに手を突っ込むが目当てのスマホは壊れているので家に置いてきた。せっかくの景色なのに残念だ。早いとこスマホを修理に出さないとすぐに冬に入り色が黄金色から白色に変わってしまう。


 でも、もしかしたらこれでいいのかもしれない。二度と同じようには見れないこの景気を直接目で見て脳に焼き付けることこそが風景の楽しみ方ではないだろうか。


 そんな感傷に浸りながら歩いていると露わになっていた夕日が薄雲に隠れだした。同時に心の内を全て曝け出されてしまうほど煌々としていた光が抑えられ夜の訪れをつげる。


「もーどこ触ってんのよーー」


「いいだろ別に減るもんじゃないし。それにこんなエロい体触るなっていうほうが無理だって」


「そうだけどここ外だからー」


「室内ならいいってこと?なら早く俺ん家いこうよ」


 前方からキャッキャと仲睦まじく喋りながら肩と腰を密着させている男女が歩いてくる。男の右手は女の後ろを回りモゾモゾと動いている。どこを触っているのかは上下左右に動くスカートを見れば一目瞭然だった。


 沈みかけの太陽の光によって彼らは暗くなりシルエットしか認識できない。


 俺が少し右にずれ歩こうとした時だった。


「あれ、あっちゃんじゃん。こんなとこ歩いてどうしたの?」


 男の方から声が発せられる。それは聞き馴染みのある楽天的で浮ついた声だった。


「もしかして・・・宏人?」


 男が女の人の手を握りこちらに向かって歩いてきた。段々と色を取り戻していく顔はやはり見覚えのあるものだった。


 ワックスで固められた光を透き通す金髪に小さな右耳たぶのスタットピアスは橙赤の光を反射している。身長は俺よりも拳一つ分高く、制服は着崩されておりネクタイの結び目は第二ボタンよりも下の位置にある。カッターシャツが捲られ女の人を引っ張っているほうの腕にはぷっくりと血管が浮かび上がり小さな影をつくっていた。


 こいつの名前は雨宮あまみや宏人ひろと。宏人は同級生で一年生の頃からクラスも同じで俺の数少ない友人の一人だ。


「それでこんなところで何してたの?」


 宏人が尋ねる。その横にいる女の人は顔を顰めている。彼女も楼惺の制服を着ている。宏人までとはいかないがうちの学校の女子と比べたら派手な方だろう。明るい茶髪がうんわりとカールがかっている。


「これ、買いに行ってたんだ」


 彼女の邪魔をすまいと俺は右手にぶら下げているビニール袋を宏人に見せ端的に答えた。宏人は覗き込むように袋をみるとふーんと言った。


 俺はそれじゃあとだけ言って別れようかと思ったが宏人はそうさせてはくれなかった。


「そういえばあっちゃん今日休んでたでしょ。ハルちゃん先生が連絡もないって言ってたから心配したんだぞ」


 宏人は見た目こそやさぐれているが口調は柔らかだ。まんまるな目が俺を見つめる。子供みたいな顔だ。


 ハルちゃん先生とは俺たちの担任の木之下きのしたはる先生だ。ちなみにハルちゃん先生と呼んでいるのは宏人だけである。ちなみにあっちゃんは俺のあゆむの頭文字をとってあっちゃんだ。ちなみにこれも宏人しか呼んでいない。宏人は無駄に目立つので最初のほうは教室で大きな声であっちゃんと呼ばれるのに恥ずかしさを覚えていた。今となっては日常となり何とも思わない。慣れは怖いものだ。


「まぁ、ちょっとした風邪だよ。それに起きた時12時過ぎてたしまあいいかなって。先生には明日謝っとくよ」


「よかった。てかもう外に出てるってことはもう治ったってことだよね?一日中心配で心配で家まで行こうかと思ってたよ」


 宏人は安心したのかニカッと笑った。相変わらず友達思いのいいやつだ。だが正直こいつは俺に対して重い。まるでメンヘラ彼女かのように引っ付いてこようとする。実際はこいつがメンヘラ製造機なんだけどな。今まで何度かトラブルもあったが当の本人はなにも気にしていない。もしかしたら忘れているかもしれない。


「はっ、その子連れてか?お前はもっと女の子大事にしてあげろよ」


「あははーそうだね。ごめんねー」


 宏人はそう言って隣の女の子に声をかけた。女の子はバツの悪そうな顔をした後俯いた。宏人は去年の夏からよく女の子をたぶらかしている。宏人曰く彼女ではなく遊び相手らしい。この子でもう10人は超えたと思う。大体2週間交代、一ヶ月もったら長い方だ。宏人は遊んでそうな女の子しか選ばないらしい。純粋無垢な子と遊ぶのは気が向かなくお互い楽な関係がいいと言っていた。まあ人間関係はそんな簡単にいかないんだけどな。それでも宏人はこうやって女の子と関係を持つことはやめない。本人が気にしてないのなら俺も止めようとは思わない。だけどここまで遊んでいるのはあまり気乗りしない。


 それも去年の夏まで宏人は部活にめり込んでおり坊主で顔はこんがりと日焼けをしていた一端の野球少年だった。あの頃の宏人が懐かしい。


 左肩にはスクールバックがかけ中にたくさんのものが入っているのだろうかはちきれんばかりに膨らんでいる。去年はエナメルバックをでかでかと担いでいた。あの頃は俺が放課後部活が終わって帰るとき宏人は一人で居残り練習をしてて俺がネットの外から声をかけても気づかないほど集中して素振りやらピッチング練習やらをしていた。


 あの頃の泥まみれで汗臭かった宏人は彗星のように消えていった。


「この後、あっちゃんの家行ってもいい?俺、お腹空いたから久しぶりにあっちゃんのご飯食べたい!」


「えー、帰れよ」


 ほら、横の女の子が困惑してるぞ。本当だったらもう宏人の家についてておっぱじめてるはずなのにな。俺も心の中で頷いた。


「いいじゃんかよ!!最近あっちゃんと遊べてなかったし、俺寂しいんだよお」


 お前がいっつも女と遊んでいるからだろというツッコミはやめておいた。しかしどうしたものかメンヘラ宏人君はこうなったら引かない。風邪はだいぶ良くなったものの気怠さがまだある。悩ましいがここは俺が折れよう。宏人としゃべってればそんな気怠さを一ミリも感じなくなるだろう。


「仕方ないな、今日だけだぞ」


「やったーーーー!!」


「………」


 となりの女の子が茫然と立ち尽くしている。宏人が俺の家に来るのはいいがこの子をどうするつもりなのだろうか。


「ごめんね、今日は帰ってくれる?また今度埋め合わせするからさ」


 うん。こいつは鬼だ。人として終わってる。さっき女の子を大事にしろっていったばっかだろうが。


 女の子は何も言わず振り向きうつむきながら歩き出した。


 はぁと内心ため息をついた。


「良かったら君も来る?」


 俺はスカートが異様に短いその女の子に声をかけた。


「え、いいの?」


 こっちを向いて答えた彼女の顔はミルクキャンディーを食べたときのような甘い顔をしていた。


「ああ、宏人もいいだろ?」


「あっちゃんがいいならそのほうがありがたいけど」


 初め俺が声をかけたとき「ちょっ?何言ってるの?」と慌てていた宏人も了承した。


「よかったねー。てかごめんね、帰そうとしちゃって」


「ううん!全然気にしてないよ!!」


 さっきの表情が嘘だったかのように女の子は元気になっていた。やっぱり俺は宏人が怖い。飴と鞭が絶妙の塩梅だ。女の子からハートが漏れ出してる。なにがお互い楽な関係だなにもかもお前がその関係を壊してるじゃねえか。


 二人がイチャイチャしているのを横目にそう思う。


「もう日も暮れちまうからさっさと行くぞ」


「おーー!!」


 そうして俺たちは三人で歩き出した。

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