第3話
先がわからないほど怖いものはない。
実際はあと数分で終わった出来事であってもいつ終わるかわからなかったら不安になる。
「すぐ帰ってくるから待っててね」
もう随分と昔のことなのに鮮明に思い出される。あの人の声色、表情。健気に待っていた小さな自分すらも。思い出すだけで胸のおくがキュッと締め付けられる。痛い。
待つことが嫌いになったのはあの出来事からだ。
学校を出たときは7時近くということは今はもう7時30分は過ぎているはず。もしかしたら8時になっているかもしれない。
雨はいつ止むだろうか。俺も四条さんもそれを確認するすべはない。
沈黙がはしる。
四条さんは俺の隣であしをプラプラと縦に揺らしている。顔はうつむいたままだ。初対面の俺と過ごすのは気まずいのだろう。と思うとさっきの行動は腑に落ちない。
手持ち無沙汰は俺はカバンの整理をすべくカバンの中でグチャグチャに散乱している教科書類を一旦外に出した。ベンチは少し濡れ気味だが後で拭けばいいだろう。そんなことよりこの絶妙な静寂にいると生きた心地がしない。
数学の教科書は折り目が付いている。一年生の時から使っている英単語帳はくの字を描いている。日本史の図表に取り付けてある付箋は所々切れている。家に帰ったら付け直しだなこれは。
「あっこれ落ちたよ」
四条さんが雨の打ち付ける音を遮り口を開いた。
俺は声の出どころの左を向いた。すると四条さんは一枚の薄い方眼紙を持っている。ルーズリーフではなくノートを一枚破ったその紙には鉛筆で絵が描いてある。俺はその絵に見覚えがある。教科書たちを外に出していた時に一緒に放り出されたのだ。
「それ、俺のだ。教科書に挟まってたのかな気づかなかった」
そう言って俺は四条さんから受け取った。
「急いで拾ったつもりだけど濡れっちゃった。ごめん」
四条さんは申し訳なさそうに謝った。顔は曇っている。
「謝ることないよ。ただの落書きだし。むしろ拾ってくれてありがとう」
きっと彼女は心から優しい人なのだ。仁の権化なのかもしれない。
「それ本当に落書き?落書きにしては上手すぎるというか……」
「あー…実はこれ下書きなんだ。絵の。俺、美術部でさ授業の暇なときにこうやってノート引きちぎって構想を書いてるんだ」
「へーそうなんだ。てかうちの学校美術部なんてあったっけ?」
興味はなさそうな返事だが元の明るさに戻っている。
「一応ね。部員俺だけだけど。顧問はジョー先生」
「あのジョー先生?」
どのジョー先生かわからないがきっと合ってるだろう。
「あの先生ねー。おもしろいけど少し変わってるよね」
「あれは少しどころじゃない。だいぶだよ。あの人はきっと病気だ。おすすめの病院ない?」
「あはは、言い過ぎだって。変わってるしセクハラするしクラスのみんなは色々言ってるけどいい先生だよ」
聞く限りいい先生要素ゼロだけど!?それにあいつセクハラもしてるのかよ。校長に言いつけるぞ。
でも、ジョー先生をいい先生だっていう人に初めて会った。ほとんどの人は先生の外見と内面のギャップに幻滅する。誰だって第一印象の外見だけで勝手にその人の内面を決めつける。そしてその理想と現実の差分が大きければ大きいほどその人の印象が悪くなる。理不尽だ。
もしかしたら四条さんもそういった経験があるのかもしれない。だからジョー先生の内面を身勝手な虚像なしに見てくれたのだろう。自分が褒められているわけではないが自然と口角が上がってしまう。
四条さんは微笑んでいる。
俺はバッと手で口を隠した。
そのまま横目で彼女を見ると四条さんは虚ろな目をしている。どこか遠くを見ているような焦点がどこにあるかわからない。口は笑っているが目が笑っていないことは確かである。
だが俺はその正体を聞けずにいた。
「……ねえねえ、今度さ見せてくれない?」
さっきと同じトーンで四条さんは言う。
「え、なにを?」
「え……」
「え?」
うまく聞き取れない。声が雨にかき消されている。
「絵だよ絵!堀河君の絵がみたいの!」
四条さんはやけくそに言う。
そしてそのまま声のボリュームを落して言った。
「下書きであんなにも上手に描けるなんて本番のはすごいに決まってるじゃん」
それにさと四条さんは続けた。
「思い出したんだけど、コンクールで賞とってたよね。西側の階段の踊り場…たしか一階と二階の間に飾ってあったかな。だから名前を聞いたことがあったんだ……」
たしかにコンクールで賞をとったことはあるがそんなとこに飾ってあったとは。別に学校で表彰されたことはないしどうせあの人の仕業だろう。
「全然絵を見せる分にはいいんだけどあんまり部室には来ない方がいいかも……」
「なんで?もしかしてやましいものでも……?」
「いや、そういうわけじゃないんだけど」
四条さんは怪しいそうにジト目でこっちを見ている。
「見られて嫌なものないんでしょ?ならいいよね?」
「あーいやでも……」
「明日行くから!いいね?」
「あ、はい」
押し切られてしまった。部室に来られて俺に不利益はない。むしろ四条さんの体が心配だ。
「それじゃあ決まりね。堀河君の絵楽しみだなー」
四条さんは楽しそうに足を揺らした。
今度は目も笑っている。
何度見てもかわいらしい笑顔である。今置かれている状況を忘れてしまうくらいだ。
「そういえば門限とか大丈夫?」
「門限はないけど、あんまり遅くなったら親が心配するかも。てかもうそんな時間?」
「どうだろう。わかんないな」
そう言って俺は画面のつかないスマホを四条さんのほうに向けてひらひらとふった。それを見て四条さんも苦笑している。
「堀河君は遅い時間までなにしてたの?学校に居たら最終下校時間は6時だし。それまでに帰ってたなら雨にも降られなくてすんだのに」
「部室で絵描いてたんだ。さっき見た下書きのやつ。ジョー先生に早く帰れって言われてたけどちょうどきりのいいところまでやりたくて気がついたら7時前だってってわけ」
今思えばジョー先生の言う通りにしていればよかったのかもしれない。
「四条さんこそどうしてこんな時間まで?」
「私はちょっとした野暮用…かな」
こんなに遅くなる野暮用とは一体なんだろう。考えても仕方ないことだ。きっと先生に呼ばれてたとか。掃除が長引いたとかそんなとこだろう。
だが四条さんはどこか神妙な顔つきをしている。ここはどうしたのか聞くべきだろうか。ネットで見たことがる。黒髪のマッシュルームみたいな髪型をした男の人がそのようなことを言っていた。でもあれって揶揄されてたような。
聞いていいのかどうか女性経験が豊富ではない。少し盛った。全くない童貞の俺にはわからない。
俺の中のジョー先生が鼻で笑っている。相変わらずむかつく顔だ。
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