魔法少女ザキ、最後の冒険。

「気をつけろザキ!そっちにいったぞ」

空を突き刺すような白いビルの麓で、オレンジ色のミミズクRBブッコローは戦闘型アンドロイドからの攻撃をかわした。

戦闘型アンドロイドが向かった先に、身の丈より大きなガラスペンを持った魔法少女ザキこと岡崎弘子が見える。

「ラルティザン・パストリエ・パフュームインクローズ!」

弘子がガラスペンを振ると、棘のある薔薇の茎が戦闘型アンドロイドに巻きつき、辺りは華やかな香りで包まれる。

「…こんなことしてる場合じゃないのに」

弘子はガラスペンを抱え直し、胸元のブローチに手を当てた。

「お願い、そらのインク」

ブローチが光を放ち、弘子の手に小さなインク瓶が現れた。

青い瓶に雲のマークが付いた「空のインク」は、弘子の声に応えるかのように瓶から飛び出し、ガラスペンの先を鮮やかな青に染める。

「どうにかして止めなくちゃ」

インクを纏ったガラスペンに弘子が座ると、ペンは空に向かって飛び上がった。

「おい待てよザキ!」

ブッコローは飛び上がった弘子に短い羽を伸ばす。

「お前が行ったところでもう王国は止められない!文具王国は落ちるんだって」

伸ばした羽の先、白いビルに沿うように空へ昇っていく弘子と、白いビルに向かって落ちてきている巨大な大地が見える。


人の文房具愛によって空高く浮かんでいた【文具王国】は、その愛を失って地上へと迫り落ちていた。




なにが一番初めだったのかは、今となってはもうわからない。


利便性を求めたこと、愉快で楽しい世界を求めたこと、愛の形が増えたこと。

誰の目に映しても素晴らしいと思えることばかりのはずだった。


だが思えば、必然だったのかもしれない。


愛する人に長く生きていてほしいとの願いから医療が発達し、世界に高齢者が増えた。

健康長寿なお年寄りもいれば、思うように体が動かなくなったり、右も左もわからなくなっているのに命を繋がれている人もいた。


そうして人類は一つの「夢」を作った。


命を繋がれるだけの人類に「夢」を。

生命維持装置に体を繋ぎ、脳が産み出す仮想空間の中で生きること。

それが、人類の作り出した夢。


もちろん最初はさまざまな議論を呼んだ。

だが現実世界では体の自由がきかなくても、仮想空間の中なら空も飛べる。

食事制限だって気にしなくていい。脳が美味しいものを想像すれば、想像は信号になって脳に返る。「美味しい」をいくらでも感じることができる。

友達だって自由自在だ。思い出の中の人に逢うことだってできるし、想像したキャラクターにだって出逢える。夢の中ならどんな大冒険だって出来るんだ。


その昔、世界で一番広い世界は「頭の中」だと誰かが言った。

想像の世界が一番広く、自由であると。

人類は見事その夢を叶えたのだ。


その夢は次第に「体の不自由な人が見る最期の夢」から「心に不自由を感じる人なら誰でも見ていい夢」へと変わっていった。


もちろん夢を見るのはタダじゃない。

生命を維持する料金も含め、夢の世界はなかなかのいい値段がする。

けれども人の価値観は「いかに早く、夢の世界へと行けるか」に変わっていった。

家も車も貴金属も、この世のものには価値を感じなくなっていった。

夢の世界へといけたなら、想像するだけでなんでも手に入るのだから。


モノはどんどん売れなくなり、世界のあらゆる会社が滅んでいった。

夢を売る企業だけが残り、より良い夢をより良い値段で売る。


そうして世界に一つのビルが出来上がった。


世界で一番いい夢を売る企業が作ったそのビルは、空まで届くほどに高く、夢を求める人々の夢のビルとなった。




「その塔のてっぺんは、どんな景色だい?」

空を突き刺すような白いビルに沿って飛びながら、ブッコローはビルの天辺を見上げた。

「願えばなんでも手に入る、どんな願いも叶う世界は、それはそれは楽しいかい?」

「ブッコロー!」

上空からの弘子の声に、ブッコローは身を逸らした。

戦闘型アンドロイドが鋭いナイフを向けていた。

「アンドロイドとはいえ、傷つけるのは嫌なんだよなぁ」

空中でくるりと身を翻し、ブッコローは弘子の元へと飛ぶ。

「逃げようぜザキ、どうせもうあいつらの命も長くは無いんだからさ」

ブッコローの言葉に弘子は空を見上げた。落ちてくる大地に唇を噛む。

「このままじゃ世界は滅んでしまうのに、どうしてみんなそれがわからないんでしょうか」

「…さてね。世界なんてみんな自分の中にしか持ってないからじゃないかな」

白いビルの中には夢を見ている人間と、夢を守る為に作られた様々なアンドロイドが存在する。

「…私は、最後まで戦いますから」

「え?おいっザキ!」

弘子はガラスペンに座って飛び続ける。

「待てよザキ!わかるだろ?!世界はもう終わりなんだって!」

「嫌です!」

「はぁ?」

「だってこんな終わり方なんて!世界がこんなふうに壊れていくなんて、私絶対嫌なんですもの!」

ブッコローの声を振り切り、弘子は高く飛んでいく。

ビルの天辺を目指す弘子に、数多の戦闘型アンドロイドが襲いかかる。

ビルの頂上に近づけば近づくほど、アンドロイドの数は増えていく。

高層マンションと同じように、高くなれば高くなるほど生命維持装置の値段も高く、警備アンドロイドの数も多い。

ナイフを持つもの、銃火器を持つもの、ビルの中からレーザーを打ってくるアンドロイドたちの攻撃をなんとかかわして、弘子は空高く昇っていく。

「邪魔しないでください!もうすぐここに文具王国が落ちてくるんですよ!」

迫りくる大地を見上げる弘子の叫びは、戦闘型アンドロイドには届かない。

「人がっ、たくさんの人が夢の世界に旅立ってしまったから、空に浮かんでいた国は支えを失って落ちてきます!このままじゃ誰も助からないんですよ!」

放たれた銃弾が弘子の肩を掠めた。

「ぐっ…」

弘子は鮮血の溢れる肩を掴み、空を見つめる。

「…文具王国に住む人も、夢を見ている人も、夢を守るためのあなたたちアンドロイドだって、誰も誰も助からないんですよ?どうしてそれがわからないんですか!?」

「夢を望んだ人たちには、もう何も届かないさ」

短い羽で飛んできたブッコローは、弘子の肩に羽をあてた。

「夢を見ることが夢になった時点で、この世界は終わったんだよ」

「ブッコロー…」

「ザキだってわかってるだろ?人が夢の世界にいる限り、この世界に新しい命は産まれないって」

ぎゅっと唇を噛んだ弘子に、ブッコローは深く息を吐きだした。

「この世界はもう【終わった世界】なんだ。だから文具王国が落ちてこようが、地上が壊滅して世界が滅ぼうが、自分の命が終わろうが構わないんだよ。夢の始まりが自分の終わり。自分終わりが世界の終わり。もう誰も助からないよ」

「そんなことありません!」

弘子は強く首を振り、ブッコローを見つめた。

「この世界を守りたいって、そう思ってる人は必ずいるはずです!」

「言ったろ?世界なんて所詮自分の中にしか存在しないんだ。みんな自分さえ良ければ世界なんかどうだっていいんだよ」

「そんなこと絶対に無い!」

声を荒げた弘子の胸を、一発の銃弾が貫いた。

「ザキっ!」

緋色に染まった胸をグッと抑え、弘子はガラスペンを強く握る。

弘子の思いに応えるように、ガラスペンは光を放ち高く高く昇っていく。

「私が必ず、世界を守ってみせます」

「どうして…どうしてそんなになってまで世界を守ろうとすんだよ!」

短い羽を羽ばたかせ、ブッコローは弘子の後を追った。

「言ったろ!?文具王国が落ちてこようがこまいがもう関係ないんだよ。この世界は終わってるんだ。もう誰も助からない死んだ世界なんだよ!」

弘子を追いかけるブッコローの瞳に雫が浮かんだ。

「こんな世界もう、守ったって仕方ないんだよ!」

「私にも…よくわかりません」

「え?」

「でも、呼んでる気がするから…」

弘子は緋色が滲む口の端を引き上げて、ふと笑った。

「高い高いビルの上で、助けを呼んでる気がするんですよ。だから私、行かなくちゃ」

溢れる鮮血を拭い、弘子は空高く昇っていく。

「呼んでるのは⋯助けを求めてるのは…古い古い友達のように思うから」

目を丸くするブッコローを残し、ガラスペンは弘子の体をビルの天辺へと運んだ。

一面真っ白なビルの屋上に、空から大地が迫りくる。

「…こんなふうに使ってごめんね」

弘子は手のひらを開き、両手を天へと突き上げた。

「ガラスペン・コレクション!」

その声に呼応して、無数の巨大なガラスペンが空の大地に突き刺さる。

ビルの屋上から大地に向かって突き刺さったガラスペンは、ミシミシと音を立てながらも、大地の降下を受け止めていた。

手のひらを空に向けて大地を支える弘子のもとに、戦闘型アンドロイドが迫る。

「嫉妬、混沌、成り上がり!姿を描いて」

弘子の声に呼応して、胸元のブローチから小さなインク瓶が転がり出る。瓶から飛び出したインクは人の姿を描き、襲いくるアンドロイドへと立ち向かった。

そのとき、バキィという大きな音が響き、大地を支えるガラスペンに亀裂が入った。

「…ごめんね」

弘子は涙を溢しながらも、天に向かって両手を広げ続ける。

「澄み渡れ!空海海洋そらうみかいよう!」

その声に応じて、ブローチから小さなインク瓶が転がり出る。

「王国を押し返して!」

瓶から飛び出した青いインクは大波となり、大地を空へと押し上げる。

青い波がぶつかった空の大地は、ぼろぼろと崩れ始めた。

「コーヒー、牛乳、カフェオレ!」

弘子の声に胸のブローチからインク瓶が転がり出る。

「コーヒーとカフェオレは大地を描いて!牛乳は雲を描いて空海海洋のサポートを!」

インク達は空に大地を描き、雲を描き、大波をうねらせて大地をなんとか空へと返そうとする。


だが、王国は落ちるのをやめなかった。


次第にインク瓶は底をつき、ガラスペンに数多の亀裂が入り、弘子の眼前に大地が迫る。

「もういいよザキぃっ!」

ビルの天辺へと昇ってきたブッコローが叫んだ。

その瞬間、無数のガラスペンは砕け散り、白いビルへと降り注いだ。

「…どこで、間違えてしまったんでしょうかね」

砕けたガラスペンの欠片が辺り一面に降り注ぐ中、弘子はそう呟いた。

天を仰ぎ背中から倒れゆく弘子を、オレンジ色の柔らかな羽が包んだ。

「何にも、間違いなんてなかったよ」

弘子を抱えたブッコローは、瞳から幾粒もの雫を落とした。

「間違いなんかなかった。そのときそのとき必要な方へ、正しいと思う方へ、歩いて行った結果なだけなんだから」

「そう、ですか…」

弘子は泣いているブッコローの先を見つめた。

空いっぱいに大地が迫り落ちてくる。

「認めなくちゃ⋯いけないんですかね…」

「もう喋るなよザキ。もういいから⋯」

弘子を抱えるブッコローの羽は、溢れる緋色で染まっていく。

「ザキは本当に良くやってくれた。だからもういい、もういいんだよ⋯」

「ねぇブッコロー⋯私たちこれまでたくさん頑張って来たのに⋯本当に認めなくちゃいけないんでしょうか⋯」

「だからもう喋るなって」

「文具王国が落ちることも、人が人らしく生きられないこの世界も、全部⋯全部認めなくちゃいけないんでしょうか」

空を見つめる弘子の頬に、雫が伝った。

「この世界が、滅びることも⋯」

弘子は緋色に染まった手を空に向かって伸ばし、手のひらをぎゅっと握った。

「…そんなの嫌」

弘子の拳は仄かに光り、開いた手のひらから小さな小さなガラスペンが産まれ出た。

「私はこの世界を愛しているんです」

産まれたばかりの小さなガラスペンを握り、弘子は上半身を起こす。

「…ザキ?」

弘子が手のひらの中のガラスペンを見つめると、その願いに応じるようにガラスペンは弘子の身の丈ほどに大きくなった。

大きくなったガラスペンを支えにして、弘子はブッコローの羽の中から立ち上がった。

「世界が滅びるなんてダメです…ここは大事な人が作った、大事な人が生きる、大事な大事な世界なんだからっ!」

落ちてくる大地に、弘子は手のひらを向ける。

「私が絶対に、守ってみせますっ!」

「…変な奴」

傷だらけの体をガラスペンで支えながら落ちてくる大地に向かう弘子に、ブッコローはそっと言葉を溢した。

「まったく。どんな時間でも⋯俺、ザキには絶対かなわないんだよな」

短い羽を頭の上で合わせる。

ビリビリという画用紙が破れるような音に、弘子はふと振り返った。

「ブッコロー…?」

そこにいたのはオレンジ色のミミズクではなく、彫刻のように美しい顔をした黒い目の青年だった。

「…魔法少女ザキ、君に最後のプレゼントがあるんだ」

青年は煤けた黄色の鞄から長方形の箱を取り出し、弘子に向かって箱の蓋を開けてみせた。

箱には幾度も使われ小さくなった、色とりどりのクレヨンが入っていた。

「俺はね、世界は滅んでもいいと⋯いや、愛の無くなったこの世界はもう滅ぶべきなんだと思ってた。でも君はこんな姿になった世界でも守りたいと、愛していると言ってくれた。その言葉が俺は心底嬉しかったんだ」

青年は瞳に涙を浮かべて笑っていた。

「君はまたそうやって、俺の心の奥底の「本当の願い」を見つけるんだ」

弘子はその青年の笑顔をどこかで見たことがあるような気がしたが、いつ、どこでだったかは、まったく思い出せなかった。

「君はもう忘れてしまったって、幾度何度も世界を巡ってきた君は、俺のことなんて知らないってわかってた。でも君はいつだって俺の友達になってくれた。どんな時間に産まれても俺の隣で大笑いしてくれた。それが…俺にとってどれだけの幸せだったかを、君は知らない」

青年は弘子の手のひらにクレヨンの入った箱を置いた。

「これは世界を創るクレヨン。もうほとんど残っちゃいないけど、あと一回くらいはきっと世界を描けるから」

青年は空に手を翳した。

「君が望む世界を描いて」

青年が手を翳した空は、霧のように一瞬で溶け消えた。

空の中に落ちていた大地も消え、白いビルはたちまち無数の白い鳥になり、世界を真っ白に埋め尽くした。

「俺の願いを叶えてよ、ザキ」

ほほ笑む青年に、弘子は手のひらの中のクレヨンをぎゅっと握った。

「私が世界を描くことが、貴方の願いなんですか?」

「そうだよ。君が創る世界ならきっとめちゃくちゃ楽しいだろうからさ、その世界で俺はまた、君を探すんだ」

数多の鳥が飛び立ち、青年の姿は霞む。

「ねぇザキ」

「⋯はい」

「新たな世界でも、また友達になってよ」

白い鳥の姿も消え、真っ白になった世界に青年の声だけが響く。

「馬鹿みたいなことを言ってゲラゲラ笑ってさ、旨いもの食って、綺麗なもの見て、温泉行ったあと腹出して寝るんだ。それで風邪引いて、馬鹿みたいだって言ってまた笑うんだ」

「いいですね、それ」

「だろ?だから新しい世界でもザキは文具を好きでいてよ。何度産まれ変わっても、どんな世界に産まれても、相も変わらず馬鹿みたいに文具を好きなザキでいて」

真っ白な世界に青年の声が溶けていく。


「そしたらまた、会えるからさ」


青年が残したその声に、弘子はふと笑った。


「優しいから傷ついて、臆病になりながらも意外と我儘で面倒くさくて、その上泣き虫な友達を、私はいつまでも待ってますよ」


弘子はそっとクレヨン箱を開き、新たな世界を描き始めた。

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