羽衣





千角がアパートに戻るとそこには豆太郎がいた。


「なんだよ、豆ちゃんがいるなら言ってくれよ。」

「いやいや、急に一角に呼ばれたんだよ。」


一角が千角から渡された袋の中を見た。


「あれ、なんだよ、足らないじゃん。」

「ごめん、ちょっと食べた。」

「えー。」

「まあ良いだろ、俺がゆかり豆を持って来たし。」

「ゆかり豆は好きだけど、僕はたまには違う物が食べたいよ。」

「そうわがまま言うなよ。」


と豆太郎が笑った。


「ところで俺を呼び出したのはなんだ?」


豆太郎が二人を見た。


「僕らは見ていたけど大冨鬼の事をもっと聞きたかったし、

ちょっとお願いがあって。」

「ええ、またお願いかよ。」

「今度はそんなに大したことじゃないよ。

泥船を持って来ただろ?頼まれてくれよ。それと、」


そして一角が小さな膏薬こうやくかんを出す。


人香じんこうこうだ。蔵にあったのはこれで最後だ。」


豆太郎が驚いた顔で二人を見た。


「金剛さんが持って来いと言っていただろ。」

「そ、そうだけど良いのか?」


一角がふんぞり返った。


「良いよ、はっきり言って一寸法師の人達はみんな怖い。

豆太郎君以外は。

僕はよーく分かった。逆らわないよ。」

「なんだよ、それ……。」


豆太郎は笑いながらそれを受け取った。


「ありがとうな、頼まなきゃとは思っていたけど。」

「で、お願いなんだけど、」


一角が千角を見る。

千角は部屋の奥から細長い桐の箱を持って来た。


「羽衣じゃないか。」

「そうだよ、ユリにかけてやったあの布だ。」


千角が羽衣を出した。

薄く清らかな輝きを持つ布だ。


「これをさ、天女に返して欲しいんだ。」

「別に構わんがお前が返せば良いだろ。ユリの事を気にしていたし。」


豆太郎が千角に言った。


「そうしたいんだけど天女はやっぱり鬼が怖いみたいでさ、

俺達の近くには来ないんだよ。

だから豆ちゃんなら返せるかなと思って。」

「そうか……。」


豆太郎が箱を受け取った。


「でも天女の中にユリがいたら受け取るんじゃないか?」


千角がふっと笑った。


「ばあちゃんが現世の記憶は残っているかどうか分からんだって。

でもそれで良いんだよ。」

「……分かった。責任をもって天女に返すよ。

でもどこで返そうかな。やっぱり一寸法師かな。」


一角がにやりと笑った。


「衣織さんと相談すればいいんじゃないか。」


豆太郎の顔が赤くなり、腕組みをして考え込むふりをした。


「あ、まあ、そうした方が良いかもしれんが。」


二人の鬼はにやにやしながら彼を見た。


「なんだよ、お前ら。」

「研修っていつまでだっけ。」


豆太郎の顔がさっと真顔になった。


「あと少し。」

「まーめーちゃーん。」


千角が豆太郎の顔に顔を寄せて言った。


「衣織ちゃん、帰っちゃうよ。

どうする?どうする?」


ふざけた感じだ。

だが豆太郎は無言で難しい顔をして返事をしなかった。

それを一角と千角が見る。


「……マジだな。」


一角が呟く。


「マジだよな。」


千角も呟いた。






明日にも美行と衣織が元の職場に帰る事になり、

今夜は送迎会が行われる予定だった。


昼食の前に豆太郎が衣織に近寄り声をかけた。


「今日の午後、3時間ぐらい外出しよう。届けも出してあるから。」

「はい。」


衣織が返事をする。

どこに行くのか分からない。

だがもしかするとこれはチャンスなのかもしれないと衣織は思った。

明日には帰ってしまうのだ。




おお冨鬼とみおにの成敗の前日の夜中に、

衣織と豆太郎は二人きりで会っていた。


食堂に入って来た豆太郎に衣織は声をかけた。


「ああ、びっくりした、まだ起きてたの?」


彼はにっこりと笑った。

素直な微笑だ。


先程の豆太郎が大冨鬼に語った言葉を彼女は思い出す。

今はいないユリの姿を静かに話していた。


それが大冨鬼の心に届くかどうかは分からない。

だが彼は伝えた。


人とはどう言うものかと。


衣織は豆太郎を見た。

この優しく心の大きな男を。


「うん、まだ話し合いもしてるし。」

「そうか、難しい話だからな。」

「成敗をするのは美行に決まったわ。」

「そうか、徳阪さんか美行かと思っていたけど。」

「徳阪さんがお母さんのかたきを取れと。」


豆太郎が真剣な顔になった。


「美行なら正義を持って鬼を処罰出来るだろう。」

「ええ、そう思う。」


中庭の火が風でゆらゆらと揺れた。


二人の影も動く。


「豆太郎さん。」


衣織が静かに言った。


「美行の正念場です。

明日のお勤め、よろしくご助力お願いいたします。」


彼女はすっと豆太郎に向かって頭を下げた。

豆太郎もすぐに頭を下げる。


「微力ながらお手伝いさせていただきます。」


二人の心の中には他に何か伝えたいものはあるはずだった。


だが、朝には重大な一件が待っているのだ。

そのような時に自らの心の内を口にするのは違うと二人は思った。


それがお互いに分かるのだ。


「じゃあ、衣織、少しは眠れよ。」

「そうする。豆太郎さんも休んでね。」

「ありがとうな。」


そうして二人は部屋に戻った。




昼食を早めに終えて二人は一寸法師を出て車に乗った。

その時ちらりと美行の姿を衣織は見た。

彼は目が合うと衣織に手を上げた。


しばらく二人は車の中で無言だった。

前のドライブの時はずっとおしゃべりをしていたのだ。

だが今日は……。


しばらく沈黙が続いた後、豆太郎が言った。


「あの、一角と千角から頼まれた事があって。」

「そうなんですか。」


豆太郎がちらと後ろを見た。

そこには桐の箱があった。


「羽衣、ですか。」

「うん、これを天女に返して欲しいって。

一緒に返してくれるか?」


衣織が豆太郎を見た。


「私で良いんですか?」


前を見たまま豆太郎が返事をする。


「衣織と返したい。」


豆太郎の顔は赤かった。

そして衣織の頬も熱くなり、彼女は俯いた。


彼らが着いた場所は豆太郎の両親の墓があるところだった。

良く晴れた日で遠くまで綺麗に見えた。


二人は柊家の墓の前に来て手を合わせる。

そして豆太郎が箱を開けると衣織が布を取り出した。


「本当に綺麗な清らかな羽衣……。」


衣織が思わず呟く。

彼女の手にはその布がかかる。豆太郎はその手を見た。


剣を使う強い手だ。

普通の女性よりは力強いかもしれない。

だが彼にはとても美しい手に見えた。

働き者のとても気高い手だ。


羽衣はしばらく風に揺られて漂っていた。

だがふっと彼女の手から離れると、

絹雲の様に虹色に輝きながら少しずつ浮いて行く。


水色の柔らかな空に羽衣はゆっくりと飛んで行き、

微かな光がそれを包むとふうと消えた。


しばらく二人は空を見ていた。


「受け取ったのはユリかな。」


豆太郎が言った。


「そうね、多分ユリよ。」


衣織が微笑みながら豆太郎を見た。


二人はしばらく見つめ合う。

そして衣織が口を開きかけた時だ。


「あの、」


豆太郎が言った。


「電話していい?」


一瞬彼が何を言ったのか衣織は理解出来なかった。

ぽかんとした彼女の顔を見て豆太郎が焦ったように言った。


「いや、あの、帰っちゃうからその、

もっと話がしたいなと思って、だ、だめかな。」


衣織は彼の顔を見ていたがしばらくすると

くすくすと笑いだした。


「ダメじゃないです。私ももっと話がしたい。」


豆太郎が恥ずかし気ににっこりと笑った。


「じゃあ、まだ時間があるからとりあえずパフェを食べに行こう。

今はバラフェアだ。」

「バラ?いい香りがするのかな。急いで食べないとだめだけど。」

「でも食べたいだろ?」

「うん。」


豆太郎が衣織を見て手を差し出す。

衣織も手を伸ばした。


そして二人の手がしっかりとお互いを握った。








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