鬼と人





鬼界きかい梅蕙ばいけい視虫しちゅう覗鬼しききょうを見ていると、その後ろに一角と千角が現れた。


「来たか、お前ら。」

「うん、おばあちゃんそれで見てたの?」


梅蕙が二人を見る。

千角はむっつりとしたまま返事をしなかった。


「ああ、前に送った虫がまだ生きているからな。」


梅蕙がちらと千角を見た。


「ユリって子は可哀想な事になったな。

でも……。」


梅蕙が鏡の縁を触って一寸法師の上空を映した。


「見てみ、千角。」


千角が鏡を見るとそこには何人もの天女が浮いていた。


「多分ユリの中にいた天女の姉妹だ。

ユリを迎えに来たみたいだぞ。」


千角は驚いた顔で梅蕙を見た。


「じゃあユリは死んでないのか?」

「現世の者としてはもう死んだが、

鬼の血は抜けて天女に戻ったようだ。

人の地にいた記憶があるかどうか分からんけどな。

おお冨鬼とみおにがうろうろしている時は近寄れんかったみたいだが、

今は封印されたから降りて来たみたいだ。」

「僕達もしばらく一寸法師の近くにいたから、

降りて来なかったんだろうな。」


千角はほっととした顔になりそこに座った。

一角が千角に話しかける。


「良かったな。」

「……良かったのかどうか分からんけど、

もう一人じゃないんだな。」


梅蕙は画面を動かした。

そこには泥船に沈んだ大冨鬼の姿がある。


『糞餓鬼の中のわしの命はほとんど消えていやがった。

くそっ、わしは死にたくねぇ、

死ぬもんか、もっと人を喰ってやる!

人はわしに喰われるためにいるんだ!

鬼の奴らもわしを見下しやがって。

わしは大冨鬼ぞ、全部喰って潰す鬼だ!爺だと馬鹿にしやがって!』


大冨鬼の周りには一寸法師の法術師が全員いた。

その中には豆太郎や美行、衣織もいた。


『…………、』

『言いたい事はそれだけか。』


金剛が大冨鬼に顔を寄せて言った。

息が切れてもう何も言えないのだろう。

血走った恨みのこもった眼で大冨鬼は金剛を見た。


『お前が言う鬼の双子だがな、

あいつらが言うにはお前は人も鬼も裏切り過ぎて

仲間がもういないと言っていたぞ。

鬼界でも一緒に動く仲間が見つからなかったんだろう。

歳をとるのは哀しいな。

だがな、俺も年寄りだが仲間がいる。

どうしてか分かるか?』


金剛は大冨鬼を見た。


『それは歳を取ったからじゃないぞ。

お前が全て壊して来たからだ。

周りが悪いんじゃない、お前自身が悪いんだよ。』


金剛が再び大冨鬼の顔を柊で撫でた。

悲鳴が上がる。


そして彼はカメラ目線になった。


『と言う事だ。

誰だか分からんが鬼界の方。大冨鬼はこちらで成敗する。

そちらにも不満があるかもしれんが、

同族殺しの名を得るより良いだろう。

もし要望があるなら豆太郎を通じて連絡してくれ。

翌朝まで待つ。

覗き見はこのままにしておく。だが全て終わったら潰すぞ。』


梅蕙があっけにとられた顔になった。


「こちらが泳がされていたって事か……。」


一角と千角も呆然とする。


「やっぱり金剛さん、怖いな。」

「ああ、俺、背筋が寒くなったよ。普通の顔して柊で撫でてたな。」


梅蕙が二人を見た。


「あの人は金剛と言うのか。」

「そう。豆ちゃんがいる一寸法師で多分一番偉い人。」


梅蕙は画面の金剛を見た。


「これはこれは……、」


梅蕙はははと笑った。


「参ったね。豆太郎と金剛か。さすがの鬼でも平伏だ。」


一角と千角は顔を合わせる。


「おばあちゃん、大丈夫?頭を打っておかしくなった?」

「大丈夫も何も感服だよ。」


いかにも楽し気に梅蕙は笑った。


虫が既に見つかっており、鬼としてはぬかった話かもしれない。

だが梅蕙は妙にご機嫌だった。

新しい楽しみを見つけたようなそんな感じだった。






真夜中の一寸法師だ。


中庭には二つかがり火が焚かれ、その間に泥船があった。


金剛がその前に椅子に座って泥船を見ていた。

そこに豆太郎が近寄って来た。


「じいちゃん。」


豆太郎が缶コーヒーを金剛に渡す。


「一晩中ここにいるのか?」

「ああ、見張らなきゃならんし、鬼とは言え命を取るんだ。

正義ではあるがむごい事だからな。

せめて一晩鬼を見守る。」


金剛はまっすぐ前を見た。

泥船はかがり火の明かりで影がゆらゆらと揺らめいていた。

大冨鬼は片耳しか外に出ていなかった。


それはどう言う事か分からない。

だが今の豆太郎と金剛の話も聞いているはずだ。


「そう言えば一角から電話があったよ。」

「何か言っていたか。」

「参りましたって。いつから気が付いてたかって。

何の話?」


金剛が少し笑って豆太郎を見た。


「ユリの調子がおかしくなった頃だ。

ユリの様子をいつも探っていたんだが

何だかどこかから見られて気がしたからな、

よく見ると小さな虫がいつも飛んでるんだ。

最初は飛蚊症かと思ったよ。」

「あっ!」


豆太郎が声を上げる。


「ハエぐらいの虫だろ。」

「そうだ、ちょっと前にお前が何かいたと言っただろう。

だから分かったんだよ。

あれは和紙だ。しかも羽の所に耳と書いてある。

多分大冨鬼が言っていた人香じんこうこうかな、

あれが塗ってあるからしばらく分からなかったと思うぞ。」

「俺も人香膏は見たけど白っぽい軟膏だったな。」

「作り方は聞きたくないが、

もし一角と千角が持っていたら取り上げろ。

危険だ。」

「うーん、出来るかなあ……。」


豆太郎が渋い顔をする。

金剛がコーヒーの缶を開けて一口飲んだ。


「なんだか俺もな、あいつらとは敵対したくない気持ちがするんだ。

同じ世界で生きる事は出来んが、

お互いに嫌な思いはしないように慎重に行動したい。」


豆太郎もコーヒーを飲む。


「そうだな。

でもあいつら結構ひどいけどな。」


と彼は笑う。


「でもコーヒーを上手に淹れるように努力したり

ミシンで何か作ったりで、

人とやっている事はあまり変わらない気がするんだよな。」


豆太郎はアパートの床に割れて散らばっていた

ウォータードリッパーを思い出した。


結構な値段のものだ。

買わされた時はかなり痛い出費だったが、

豆太郎が来ると分かっている時は必ずそれが出た。


時間がかかるものだ。

それを用意していると言う事が

豆太郎は少しくすぐったく嬉しかった。


「一角のサイフォンが割れちゃったんだよ。

大冨鬼が暴れたから。」

「水出しのものか。あれは高かったんだろう。」

「高かったよ。

でもあれで入れたコーヒーは美味しい。

また飲みたいな。」


この話を鬼界にいる鬼達が聞いているかどうかは分からなかった。

二人ともそれをすっかり忘れていた。


「ところでじいちゃん、明日は……。」


それは重い話だ。

誰が大冨鬼を討つかと言う話だ。

さすがにその鬼の前でははっきり聞くのは

豆太郎でも躊躇われた。


「中で話しているよ。」


金剛がコーヒーを飲み干した。


「ちょっとトイレに行く間代わってくれ。」


金剛が席を立つ。


「良いよ。中の様子も見て来いよ。」


豆太郎が少し笑って言った。

そして泥船のそばに豆太郎が行く。

そこには大冨鬼の耳だけがあった。

彼はそれを見た。


小柄な鬼だからだろう、小さな耳だ。


耳の縁は傷などで欠けている。

どれほどの時代を過ごして来たのだろうか。


大冨鬼の記録は400年ほど前からある。

彼は何度も悲惨な出来事を引き起こした。


生き物は必ず何かの命の上に生きている。

それは生命を保つためには仕方がない事だ。


だが大冨鬼は違った。


人の命を取る時に余計な苦しみを与えて、

それも喰ったのだ。


そしてその苦しみは亡くなった人だけではない。

その周りの人にも深い痛みと悲しみをもたらしたのだ。


「大冨鬼よ。」


豆太郎が静かに言った。


「ユリの話をしてやるよ。お前がどう思うか知らん。

俺が話したいだけだ。」


ぱちぱちとかがり火が音を立てる。


「ユリはな、とても素直で可愛い子どもだった。

少しばかり幼い所があったが、

それはあの子の中でお前と天女の血がせめぎ合っていたから

成長が邪魔されたと思っている。」


真夜中に車の走る音が聞こえて来た。

その音は近づき、そして遠くなる。


「あいつはあの千角が街で見つけたんだ。

最初は裸足だったらしい。

だからピンク色の靴を買ってやったら喜んでたぞ。

ここのじいちゃん達がお金を出してくれた。

それと俺の友達がいちごのアイスを買ってやったら

美味しいと言っていたそうだ。ピンクだと言ってな。

ピンクが好きだったんだろうな。」


豆太郎は優しい顔で話していた。


「その男の母親はお前が喰った一人だ。

だがその男はユリの事を可愛がっていた。

それにユリを一番心配していた男も、

お前に奥さんと娘さんが喰われた。

その男はな、ユリに父ちゃんと呼ばれていた。」


しばらく豆太郎は沈黙する。


「お前にとってはどうでもいい話だろうが、

それが人なんだよ。」


豆太郎が泥船に手を触れた。


冷たく硬い感触だ。

一角からくさびを入れるとすぐに割れると聞いていた。


明日の夜明け前、泥船にはそれを入れられる予定だ。

既に中庭には強力な結界が張られている。

このかがり火もこの場を清める炎だ。


大冨鬼が逃げられる方法は何もない。






大冨鬼が捕まってすぐだ。

一角から電話があった。


『一寸法師の中には入りたくないし、

おばあちゃんもそちらでやって欲しいと言ってるよ。』

「良いのか。」

『うん、良いよ。千角もそれでいいって言っているから。』

「それで千角は大丈夫か?」

『ああ、心配ないよ。』

「それでな……、」


電話口で豆太郎が口ごもる。


「ウォータードリッパー、割れたな。」


一角が一瞬黙り込んだ。


『……あれは仕方ないよ。』

「美味かったからな、俺も残念だ。」

『まあ普通のサイフォンはあるからまた飲みに来てくれよ。』

「ああ、行くよ、千角にな元気出せと言ってくれ。」


しばらく間が開いて一角がぼそりと言った。


『ありがとう、豆太郎君。』


そして電話が切れた。






「大冨鬼よ。」


しばらく黙り込んでいた豆太郎が再び鬼に話しかけた。


「お前にとっては甘すぎる話だな。」


泥船を手で少し叩いて豆太郎は椅子に座った。


そしてそれを食堂の隅で衣織が聞いていた。


「衣織。」


戻ってきた金剛が静かに彼女に話しかけた。

降り向いた衣織が頬を拭う。


「すまんな、驚かせたか。」

「いえ、その……。」


彼女が口を一文字に結ぶ。


「豆太郎さんが大冨鬼に話していて……。」


金剛は豆太郎の後ろ姿を見た。


「ああ、俺も聞こえた。夜中だからな。

普通にしゃべっていても響く。」


彼は衣織を見た。


「なあ、衣織、豆太郎をどう思う。」


突然の問いだ。

一瞬衣織は顔を伏せた。

だがすぐに顔を上げて金剛を見た。


「素敵な方です。」


金剛がふっと笑う。

衣織らしい言い方だと彼は思った。


「豆をよろしく頼む。

あいつはああ見えても寂しがり屋だ。

衣織もそれは分かるだろ?」


彼女は頷いた。


「それでな、あいつに回りくどい言い方をしても通じんぞ。」


衣織の顔がえっと言う顔になった。


「はっきり言うと良い。」


金剛はにやりと笑って豆太郎の方に歩いて行った。

衣織はそのまま棒立ちになっている。


金剛は呟いた。


「若いなあ……。」


彼は豆太郎の肩を叩き交代した。

豆太郎はそのまま食堂の方に行くだろう。


どうなるか、深刻な役割を果たしている最中だが、

それでもその行方は気になった。








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