お父ちゃん

  





ユリかもしれない子どもが見つかった記録を知ってから、

徳坂は色々と考えた。


ユリには確かに鬼の血が流れている。

だが邪悪さは全くない。

むしろ無邪気で純粋だ。


最初の頃は憎々しい感情があり

毎日彼女を見張っているつもりだったが、

いつの間にか見守るような気持ちになっていた。


ある日の午後、庭でユリと桃介とピーチが遊んでいた。

彼女達は毎日のように遊んでいる。


「ももすけ、なげるよ。」


ユリがボールを投げた。

だがその動きが妙に引っかかり、投げた拍子に彼女は顔から倒れてしまった。

驚いた桃介とピーチが走り寄る。


そして物陰からユリを見ていた徳阪がはっとする。

ユリは倒れたまま動かなかったからだ。


一瞬彼は躊躇する。


だが何かが起きたのだ。

徳阪は倒れているユリのそばに来て抱き起した。

桃介とピーチもユリを伺う。


徳阪はユリの身の軽さに少しばかり驚いた。

元々十分に食べ物を摂っていない様子だったので小柄なのだろう。

だがそれ以上に体が軽い。


そしてユリは気を失っていた。


「大丈夫か?」


徳阪は恐る恐る声をかけた。

ユリは呼吸はしていた。

しばらくするとうっすらと目を開けた。


「……どうした。」

「あたまいたい。」

「打ったのか?」


しばらくぼんやりとした様子でユリは徳阪を見ていた。


「お父ちゃん?」


そして目をぱっちりと開け、

そばかすのある顔が花の様ににっこりと笑った。

徳阪と目が合う。


ユリの瞳は黒々と綺麗に澄んでいた。


徳阪はその透明感に一瞬吸い込まれる気がした。

その瞳には鬼の気配はなかった。


「お、お父ちゃん?」


ユリの思わぬ言葉に徳阪は戸惑った。

そして彼は思い出した。

自分の娘が徳阪を呼んだ時の事を。


『お父ちゃん。』


記憶の中で娘の黒々とした瞳が自分を見ていた。

その顔を思い出す。

少しばかりそばかすのある色の白い子どもだった。

中学生になったばかりだ。


居間ではいつも娘は漫画雑誌を読み、

妻も何か言いながら一緒にそれを読んだ。

二人はいつもくだらない話をして笑っていた。


中学生になった時に大きめの新しい制服を着て娘は入学式に出た。

そこには妻と一緒に出掛けた。

その後に桜の下で写真を撮ったのだ。


あれはもう30年ぐらい前の話だ。

そしてそのすぐ後に二人は死んだ。


徳阪は気が付くと頬に涙が流れていた。


今まで二人を忘れた事は無かった。

だが思い出してもいなかった気もした。

今心に浮かんだような日常の景色は。


娘は桃色の服が好きだった。

女の子はいつもこういう色だなとからかうと

怒ったようにいつも少しふくれた。


ユリも桃色の靴を買ってもらって喜んでいた。


今まで思い出していたのは家族の最期の悲惨な姿だけだ。

普通の生活の様子が浮かぶことは無かったのだ。


頬の涙をユリが手で拭う。


「お父ちゃん。」


再びユリが優しい声で呼んだ。


徳阪はどうしたらいいのか分からなくなった。

鬼は憎い。

このユリは間違いなく鬼の血が流れている。


だが、この純粋さは何故なのだろうか。

幼いからなのだろうか。


このようなあどけないものを憎み続けて良いのだろうか。


彼の頬に触れている小さな手は温かかった。

自分にこのように誰かが触れたのはいつだったか。


大事な二人がいなくなってからは一度もなかったと

徳阪は思った。


徳阪はユリの頭をそっと撫でた。


「気を付けるんだぞ。」


徳阪はやっとそう言うと彼女の体を降ろした。


「うん、わかった、お父ちゃん。」


ユリはそう言うとにっこりと笑った。

桃介とピーチが徳阪を見た。


「徳阪さんも大丈夫?」


ピーチが控えめに彼に聞いた。


「あ、ああ、その……。」


彼は顔を少し背けて言った。


「今の事はみんなに黙っていてくれ。」


桃介とピーチは顔を合わせた。


「……うん。」




だが、その後ユリは徳阪から離れなくなった。


「お父ちゃん。」


それを見たハウスの入所者は最初はからかいがちに

徳阪に何かを言ったが、

彼が睨みつけると何も言わなくなった。


それにユリがずっと彼の後をついて回るのだ。

徳阪がどこに隠れてもユリは探し出して

にこにこと笑いながら近寄って来た。


「徳阪さん、えらくユリに好かれたな。」


金剛が徳阪に話しかけた。

徳阪の横にはユリが立っていて手を繋いでいた。


「参ったよ、どこにいても絶対に見つけるからな。」


苦笑いをしながら徳阪はユリを見下ろした。


「お父ちゃんと呼ばれているんだろ。」

「ああ、どうしてなのか分からんがな。」

「徳阪さんもおじさんだな。」


金剛が笑う。


「俺は違うと言ったからユリはそう思ったんだろうが、

徳阪さんは否定しなかったんじゃないか?」


徳阪がはっとする。


「しなかったな。」

「それにユリが倒れた時に抱き起したんだろ?

ならユリは徳阪さんをお父ちゃんと思い込んでいるかもしれんな。」


先日みなと話していた事だ、

ユリはお父ちゃんは自分を助けてくれる人だと思っているかもと。

そのお父ちゃんをユリは自分だと思っているのだ。

徳阪の心の中に不思議な感情が湧いて来た。


「徳阪さん、娘さんはいつ亡くなったんだ。」

「中学に入ってすぐ……。」


ユリがにこにこ笑いながら徳阪の手を握る。


「俺は子どもを持った事がないからよく分からんが、

こんな子からお父ちゃんと言われたら……。」

「金剛さん。」


話を変えるように徳阪が顔を上げた。


「そのユリなんだが、ここのところ体の動きが変だと思わんか。」


金剛がユリを見た。


「特に変だとは思わんが……。」

「よく転ぶんだ。膝を見てみろ。」


金剛がユリの膝を見ると色が変わり傷がいくつもある。


「……気が付かなかったな、体の調子が悪いのかもしれんな。」

「病院と思ったが鬼の血が入っている。

おいそれとは連れて行けんと思うんだ。」

「……そうだな。

とりあえず俺も気を付けるよ、それと徳阪さん。」


徳坂が金剛を見る。


「近々ユリを本部に移動させたいという通知があった。

まだ日にちははっきりしないが分かったら知らせるよ。」

「……ああ。」


その日がいつかは来るのは分かっていた。

だが何故かユリが遠くに行ってしまう事が

徳坂にはひどく悲しく感じられた。


「お父ちゃん、か……。」


ユリがいなくなれば

もう二度とそのように誰かから呼んでもらう事は無いだろう。

ごくありふれた言葉だが、

それは彼にとっては魔法の言葉に思えた。


すぐそばにいるユリが徳坂を見上げて笑った。

徳坂はユリの頭を撫でる。

柔らかな赤い髪の感触は優しかった。








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