腐臭  2





ユリが来た次の日だ。


「なあ、一角、一度蔵に行って何か探そうぜ。」


すっかり元気を戻した千角が言った。


「なんか現金だな。この前は全然反応なかったのに。」

「そりゃユリが心配だったからな、

でも豆ちゃんに頼んで良かったよ。」

「そうだな、金剛さんも怖いけど信用出来るからな。

ただ、一寸法師だと簡単に行けないけどな。」

「まあその時はまた豆ちゃんに連れて来てもらえばいいよ。」


千角が一瞬黙り込む。


「ユリの靴とか一寸法師の人達が買ってくれたんだな。」

「そうだな。」


二人にとって一寸法師はとても怖い場所だ。

そしてそこにいる法術師も。


だが彼らは鬼であるユリを受け入れて、

生活出来るように力を貸している。


「まだ人ってどんなものか僕もよく分からないな。」

「まあ、ユリに優しくしてくれるならそれでいいけどな。」


彼らはアパートを出た。

しばらく街を歩いてから鬼界に行くつもりだった。


「おばあちゃんのお土産は琥珀糖で良いよな。」

「明太せんべいも買ったし、甘いのと辛いのがあるから良いんじゃね。

ばあちゃん、案外と菓子にはうるさいもんな。」


二人はぶらぶらと店を見ながら梅蕙ばいけいの土産を選んでいた。

人混みだ。


その中に一角や千角でも気配が悟れないほどのものがいた。

それは極めて狡猾で誰も見ることが出来ない。

ただ敏感な人なら異様な気配に気が付く者がいるかもしれない。


漂う腐臭だ。


今はそれをまき散らさないよう押さえているのだろう。

嫌な臭いがすると感じる程度だ。

だが一角と千角は気が付いていなかった。


やがて街中の人気がない場所ですっと一角と千角は姿を消した。

もし見ていた人がいても目の錯覚と思うだろう。

二人は鬼界に行ったのだ。


そして二人をずっと見ていた気配も静かに消えた。




「おお、お前らいつ来たんだ。」


梅蕙が居間に入ると一角と千角が座っていた。


「さっきだよ、ばあちゃん。」

「これお土産。」


一角がお菓子の入った袋を渡す。


「おお、琥珀糖か、これは綺麗だな。

それと明太せんべいか。」


梅蕙がにんまりと笑う。


「お前ら、なかなか洒落たものを買って来るようになったじゃないか。」

「そりゃ、おばあちゃんの好みがうるさいからね。」

「なあ、ばあちゃん、食べたいから開けて良い?」

「ああ、良いよ、開けな。」


ごく普通の彼らの会話だ。


外には永遠の獄色の空と荒涼とした景色が広がっている。

人が見れば漠々とした寂しい空間だ。

だが彼らにとってはそれが鬼界だ。


そして今、その遠い向こうに何かの気配があった。


それは現世で一角と千角を見ていたものだ。

梅蕙でも探ることが出来ない程気配を消していた。


それは一角と千角が家から出て来て蔵に入るのを見ていた。

身動きもせずじっとそれを凝視している。

一角と千角が蔵にいた時間は短くはない。

だがそれは石の様にそこにいた。

まるで物陰に隠れて獲物を狙う獣の様だった。


やがて一角と千角が蔵から出て来て梅蕙に何かを話すと姿を消した。

多分現世に向かったのだろう。

そしてあの気配も消える。


彼らを追ったのだ。




現世に戻り持って来たものを一角と千角が部屋で広げていた。


「千角は何を持って来たんだ?」


千角が細長い桐の箱を開けると中には光を放つ薄い布が入っていた。

一角が箱の内側に書いてある書付を呼んだ。


天乃あまの羽衣はごろも、天女の布か。」

「ああ、これで何か作れるかなと思ってさ。綺麗だろ。」

「宝だろ?ザクザク切ってミシンで縫うのか?」

「宝と言ってもずっと放置されていたんだ。

俺が有効利用してやるよ。」


と千角は裁ちばさみを持って来た。

そしていきなり切ろうとしたが、


「えっ、切れない。」


布にはさみを入れても切れる事無くするりと刃を避けた。

それを見て一角が笑った。


「そりゃそうだよ、はさみで切れないだろ、

神性のものだからな。」

「ちぇっ、これで服を作ったらハデハデで良いと思ったのにな。」

「こんなものを着てうろうろしたらすぐに天女が来て

身ぐるみ剝がされるぞ。」


千角が惜しい顔をしながら羽衣を箱にしまった。

その時だ。

二人が外の同じ方向を見る。

そしてすぐに一角はネクタイを掴み、千角は簪を掴んだ。


扉を何かが軽く叩く。


二人は身動きをしない。

外にあるのは禍々しいものだ。


鬼にとっては忌まわしい気配は心地良いものだ。

だが今そこにあるそれは鬼ですら本能的に警戒する程のものだ。

一角と千角は目配せをする。


「お二人さんよ、開けておくれよ。」


掠れた小さな声が外から聞こえた。


「お前さん達も鬼だろ?俺も鬼だよ。助けておくれよ。」


一角がそろそろと扉に近づきドアスコープから外を見た。

だが姿は無い。

一角が部屋の中にいる千角を見る。

千角が頷くと一角がそっと扉を開けた。


「そんなに怖がることなかろうて、お邪魔するよ。」


と入って来たのは腰の曲がった赤鬼だった。


小鬼だ。

だがその姿に合わず巨大な不吉な影がまとわりついていた。

そして鬼は濃密な腐臭を纏っていた。


「一体どれだけの人を喰ったんだ……。」


部屋の奥で千角が呟いた。


鬼は古い着物を着ていた。

ぎょろぎょろと周りを見渡して口元は薄ら笑いを浮かべている。


「お邪魔するよ。」


本当なら一角と千角は関わりたくなかった。

だが断ればどうなるだろうか、

そんな殺気がこの鬼にはあった。


鬼は裸足だった。

そのまま家の中に入って来る。


「なんだい、そんなに緊張する事なかろうて。」


鬼は部屋に入るとちょこんと座った。


「わしはおお冨鬼とみおにと言うんだ、お前たちに話があってな。」

「大冨鬼さん、一体僕達に何の用があるの?」


ネクタイから手を離さず一角が聞いた。


「まあまあ、お前らも座れ、獲物から手を離せ。」


いつの間にかこの部屋の主の様に言葉が強くなる。

仕方なく一角と千角は武器から手を離して彼の前に座った。


「話と言うのはな、わしと組まねえかと言う事だ。」

「組む?」

「お前ら宝探しの鬼だろ。梅蕙んとこの。」


一角と千角は顔には出さないが背筋がひやりとした。

こちらの身元は得体のしれない大冨鬼にはもう知られているのだ。


「まあそうだよ、まだ僕達は新米だけどね。」


それを表に出さず一角が言う。

大冨鬼はひひと笑った。


「正直でいいでないか、気に入ったよ、

わしと組めば宝はいくらでも手に入るぜ。

色々と教えてやるよ。」


千角がにやりと笑う。


「それは良い話だなあ。」

「だろう?その代わりわしは人を喰う。

喰っている隙に宝を盗み出せよ。」


大冨鬼はにやにやと笑った。


「ところで大冨鬼さん、どうしてここに来たの?」


話を変えるように一角が聞いた。


「なんだかよう、この辺りにわしみたいな匂いがするんだよ。

だからぶらついていたらお前らを見つけたんだ。

あれは鬼の匂いだったんだな。

だからお前らもわしと一緒だろと思って声をかけたんだ。

まさかこんな若造とは思わなかったがな。」


大冨鬼はそこまで言うと急に口元をゆがめた。


「ところでよう、いい話を持って来たんだ、

茶の一つも出ねえのか、ああ?」


少しばかりすごみながら彼は言った。


「あの、大冨鬼さん。」


おずおずと一角が話し出した。


「あの大変申し訳ないのですが、

多分僕達は大冨鬼さんの足を引っ張るだけだと思います。

何しろまだ駆け出しで何も分かりません。

ご迷惑をかけてはいけないので、

もっと何年か修行してからお願い出来ないでしょうか?」


大冨鬼の顔があっけにとられた。


「何言ってんだ、

わしが良いと言ってるんだ、断る馬鹿がいるか。」

「いやその、本当に俺達右も左も分からなくて……。」

「また何年か仕事をこなしたらこちらからお願いします。

それまでご勘弁いただけませんでしょうか。」

「糞餓鬼ども、わしの言葉に逆らうと言うのか!!」


大冨鬼は怒声を浴びせた。

顔に血管が浮き上がり恐ろしい顔になった。


「申し訳ありません。」


ただひたすらに一角と千角は土下座を続けた。

そしてしばらくすると埒が明かないと感じたのか、


「お前ら只で済むと思うなよ!!」


と一言怒鳴り大冨鬼は姿を消した。

そして二人は顔をあげると大きくため息をついた。


「なんだよ、あいつ。」


千角が怒ったように呟いた。

その時、再びドアが激しくノックされる。


二人はぎくりとする。


「ちょっと一角と千角!!」


鬼頭だ。

ほっとした顔で一角が扉を開けた。


「ちょっとあんた達この臭いは何なの、

また何かやらかしたのか!!」

「匂いって鬼頭さん、分かるんですか?」


鬼頭が驚いた顔をする。


「分かるよ、ものが腐ったみたいな臭いだ。

何かやったのか。」


その時千角が鬼頭に言った。


「おばちゃん、ごめん、

俺達シューなんとかと言う缶詰を貰ったんだよ。

それ開けちゃったんだ。」


鬼頭が呆れた顔になった。


「あの有名なやつか。室内で開けちゃダメだろ。」

「ごめんなさい、気を付けます。」

「何日も臭いが抜けなかったらあんた達、

壁紙とかの修繕費用は出してもらうよ!!」


鬼頭がぷんぷん怒りながら階段を下りて行った。


「驚いたな、鬼頭さん、分かるんだ。」


一角が言った。


「だな、最初から鬼頭さん、何かある気はしていたけど

普通のおばさんじゃないな。」

「本人は気が付いていないみたいだけどな。

しかし……、」


一角が椅子に座り眉をひそめた。


「一体何だったんだ、かなり年寄りの鬼だったけど。」

「すげえ偉そうだったな。」

「ああ、僕達が言う事を聞いて当たり前みたいな感じだった。」

「そうだな、かなりヤバい雰囲気だったな。

同じ鬼でも関わりたくないな。」


二人はしんとなる。


「おばあちゃんの名前を言ってたな。」

「だな……。」


そして二人は瞬時に姿を消した。








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