赫い恋衣
十余一
赫い恋衣
小鳥がさえずり柔らかな光がふりそそぐ春の日、
否、出会いというほどの縁は結ばれていない。
「お梅や、お梅」
連れ立つ母に肩を叩かれ、梅乃はハッと我に返る。青年が走り去ったあとも、ずっとその後ろ姿を目で追っていた。荒磯と菊の模様を染めた紫
「疲れたのかい。そろそろ帰ろうか」
「いいえ、もう少しだけ……」
母の気遣いを断り、梅乃は賑わいの中へ歩みを進めた。三味線の音と高らかな小唄、酔客の笑い声。そこかしこに敷かれた毛せんや花むしろには弁当が広げられ、皆、春を楽しんでいる。行き交う人々も口元に笑みを湛え、時おり足を止めては青空と薄桃に感嘆の溜息をつく。梅乃は桜を楽しむふりをして青年の姿を探すが、ついぞ彼を見つけることは叶わなかった。
口もきかず目も合わさず、袖すら触れ合わなかった縁。しかし青年が吹かせた一陣の風は鮮烈で、箱入り娘にとっては天のおぼし召しように感じられた。麗らかな陽気とは裏腹に、梅乃の心は
それからというもの寝ては夢、起きてはうつつまぼろしの、恋のわずらい
両親は愛しい一人娘のために手を尽くして青年を探したが、一向に見つかる様子はない。
せめてもの慰みにと仕立てた紫縮緬の振り袖をかき
「あのお方に一目だけでもお会いしとうございました。せめて最期に、一目だけでも……」
「そんなことを言わないでおくれ、お梅」
「きっと見つけだしてみせるからね。元気な姿で会いに行きましょう」
両親の励ましに耳を傾けながらも、梅乃は自身が死へ向かっていることを痛いほど理解していた。心はこんなにも熱く焦がれているというのに、
梅乃は、この世のどこかにいる青年が、その目で他の女を見つめているかもしれないことが許せなかった。添い遂げられずに私だけが先に逝ってしまうのならば、いっそこの世を
その後、紫縮緬の振り袖は数奇な運命を辿ることになる。
梅乃を不憫に思った両親は、振り袖で棺を
その古着を手に取ったのは、紙商大松屋の娘きの。奇しくも、きのも病床へ伏し、翌年の一月十八日に
若い娘の死と共に
ほどなくして炎は本堂の屋根へ燃え移り、瞬く間に市中へ広がっていった。江戸六十余町は
叶わぬ恋の炎は乙女の身だけに飽き足らず、多くの人の命と暮らしをも焼き尽くしてしまった。「執心、愛念、嫉妬の
赫い恋衣 十余一 @0hm1t0y01
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