悪党たちに捧げる挽歌(5)

 死体となってデッキに転がっていたはずの鳴瀬が飛び起きた。隠し持っていた手塚のキメラを小見山の心臓に深々と突き立てる。

「ぐおぉっ」

 小見山は驚愕して目を見開く。

「貴様ら、よくもたばかったな」

 恨みがましい目で手塚と鳴瀬を見比べる。小見山は激しく咳き込み、血を吐いてその場に膝をつく。


「敗者の気分はどうだ、小見山さん」

 手塚がニヤリと笑う。小見山はそれに答えることはできない。だんだんと目から光が失われてゆき、小見山は絶命した。


「何故、俺を、京平を命懸けで助けた」

 鳴瀬は力無くその場に座り込み、手塚に問う。手塚は鳴瀬の心臓に鉄針を突き立てる瞬間、ボタンを押して鉄針を収納したのだ。

「この子はあの時の俺なんだ。俺のようになっちゃいけない」

 手塚は君は強い子だ、と微笑みながら京平の頭を撫でる。

 目の前で大切な人間を失うのを防ぐことができた。見上げる夜空のように心は晴れやかだ。


「天狼は終わりだ」

「あんな男の下についていたなんて、とんだ恥晒しだ」

 一部始終を見ていた黒服たちは銃をしまい、立ち去っていく。


「仕事以外で殺しはしないって言ってたよな」

 手塚は隣に座る鳴瀬に問う。

「ああ」

 鳴瀬は震える指でパーラメントに火をつける。一口吸い込むと咳き込み、涙ぐむ。

「ルールを破った気分はどうだ」

 手塚はいたずらっぽい顔で鳴瀬を覗き込む。

「案外、悪くない」

 鳴瀬はタバコを咥えたまま、鼻を鳴らして笑った。


 展望デッキの階段を吾妻が駆け降りてくる。

「さあ、ここから早く逃げましょう」

 手塚はよろめきながら立ち上がる。鳴瀬は肩と腹を撃たれており、出血が多く意識が朦朧としている。

 手塚は京平の手を引く。吾妻は鳴瀬に肩を貸しながら階下へ向かい、タラップを下ろす。

 

 手塚は横付けされた小型クルーザーで待っていた男に京平を引き渡し、次に自分も飛び乗った。吾妻は鳴瀬をクルーザーに移乗させようと奮闘する。鳴瀬は手摺にもたれ、青ざめた顔で肩で息をしており、立っているのがやっとの状態だ。

「先に行ってくれ」

 言われて吾妻はクルーザーに飛び移る。

「鳴瀬さん、あんたも早く」

 手塚が鳴瀬に手を伸ばす。鳴瀬は手塚の手を取ろうとする。


 しかし、その手は重なる事はなかった。意識を消失し、バランスを崩した鳴瀬は暗い海の中へ飛沫をあげて落下した。

「鳴瀬さんっ」

 手塚が叫び、クルーザーの手摺を乗り越えようとする。

 鳴瀬の身体は深い海の底へ沈んでいく。

「嘘だろ、そんな、うわあああっ」

 鳴瀬を追って海に飛び込もうとする手塚を吾妻が押さえ込む。


「やめろ、その怪我じゃあんたも溺れ死ぬ」

 吾妻は我を忘れてなりふり構わず泣き叫ぶ手塚の腹に一撃を喰らわせた。手塚は膝をついてその場に倒れ込む。

「急ごう、まもなく海上警察がやってくる」

 クルーザーは白い波飛沫を上げて巨大な客船から離れていく。京平は涙を拭いながら父が沈んでいった暗い海をいつまでも見つめていた。


***


 翌日、東京湾に浮かぶ豪華客船から大量の武器が発見された事件は新聞やニュースを大いに賑わせた。

 武器製造、密輸の疑いで小見山のシリウストレーディング社に立ち入り調査が入るという。CEOの小見山は問題の客船で殺害されており、取引のトラブルが噂された。


 どれだけ調査が進んでも、天狼の名は世に出ることはなかった。そして、東京湾から鳴瀬の遺体は見つかっていない。

 京平には鳴瀬と諒子以外の身寄りがない。

 同じマンションに住む諒子のコーラスグループの仲間が保護者が決まるまで京平をしばらく預かってくれることになった。


 手塚は怪我を理由に、ひと月ほど仕事を休んだ。身体に受けた傷よりも命を燃やしてぶつかれた相手を失った喪失感の方が大きく、平常心を保つことができそうになかった。


 午後の微睡に夢を見た。

 足元には清らかな水が流れている。水は澄んでいて、眩い太陽の光を受けてキラキラと煌めいている。

 そこには恐ろしい顔をした死体は一体もない。果てしなく続く穢れない水は鏡のように青空と白い雲を映している。

 頬を撫でるように爽やかな風が吹き抜けていく。


 目が覚めると涙を流していた。もう人を殺さなくても良い気がした。


 職場に復帰すると、同僚たちは温かく迎えてくれた。手塚がいない間に溜まった彼にしかできない仕事が山積みだった。

「戻って早々、こき使われそうだ」

「やっぱり手塚さんがいないとね。みんな頼りにしているわ」

 喜久子は特に手塚の復帰を喜んでくれた。


 手塚と喜久子は書庫で顔を合わせた。

「助けようと思ったけど、僕にはできなかったよ」

「そう、でもきっと相手にその気持ちは伝わったと思う」

 喜久子の言葉に、手塚はそう信じている、と返事をした。


 春江が来月退職をするという。末期がんの夫の介護のために自宅で過ごす時間を作りたいという事だった。

 一つ空いた職員の枠に喜久子の登用を推薦すると館長に伝えていた。喜久子をそれを知ってひどく驚いた。スタッフの仕事ぶりをよく観察しての春江の決断だという。

 

 喜久子は春江の心遣いに感謝した。手塚も喜久子の職員登用を喜んだ。


 三ヶ月後、文芸雑誌で彼女が投稿した作品が特別賞を受賞することになる。喜久子が当初考えたのは、主人公と恋人がストレートに結ばれる結末だった。

 しかし、思い切って練り直し、主人公は夢を追って島に残り、十五年後に離婚した恋人が子供を連れて戻ってくるシナリオにしたところ、それが審査員の心を掴んだようだ。


 あの時、手塚に失恋したときの気持ちを作品に昇華させた結果ということは内緒にしておこう、と喜久子は思った。

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