悪党たちに捧げる挽歌(2)

 海は穏やかな凪だ。潮と重油のない混ぜになった匂いが鼻をつく。暗い海面に対岸のネオンが反射して色鮮やかに輝いている。

 鳴瀬は潮の染みついた柵にもたれ、パーラメントに火をつける。最近タバコの本数が増えた。健康に悪いな、と自嘲する。


 腕時計を見れば午後八時四十二分、約束の時間は九時だ。もう少し余裕がある。鳴瀬はタバコの煙を肺に吸い込む。

 大桟橋に停泊する豪華客船はまるで海に浮かぶマンションのようだ。あのどこかに京平が囚われているのだろう。


 忍び込んで奪還することも考えたが、おそらく船内は天狼の私兵が厳重に警備している。

 約束通りの場所、時間を守るしか方法は無かった。

 夜空に向かって白い煙を吐き出し、コンクリートの床にタバコを投げ捨て靴先で揉み消す。


 鳴瀬はポケットに手を突っ込んで大桟橋に向かう。タラップ付近に立つ黒服が鳴瀬の姿を認めてインカムで通信している。

「鳴瀬史郎だな」

「そうだ」

 黒服の一人が鳴瀬の背後に周り、両手首に手錠をかけた。鳴瀬は抵抗する素振りは見せず、ただ無表情のまま落ち着いた様子で佇んでいる。


「歩け」

 来賓に混じって黒服と共にタラップを上がっていく。乗客はドレスやタキシードを着飾っているものから軍服の者、宗教的な白い布を纏うものまでドレスコードも国籍も幅広い。

 彼らは天狼のVIP顧客だ。噂では武器売買に乗り出すと聞いたことがある。ここは人脈作りの場なのだろう。


 鳴瀬が案内されたのは贅を極めた瀟洒な応接室だった。天井にはクリスタルを連ねたシャンデリアが煌めき、踏み心地の良い絨毯、西洋アンティークの調度品。壁に掛かる絵画や彫刻も一流品と見た。

 鳴瀬はクッションの効いたソファに座るよう指示を受ける。

 正面に立つ男は背筋を伸ばして後ろ手に腕を組み、窓の外を眺めている。


「君が鳴瀬史郎か」

 男はゆっくりと振り向いた。歳の頃は五十手前、豊かな前髪を後ろにセットして整えている。口元に上品な笑みを浮かべているが、目に宿る輝きは氷のように冷たい。

「そうだ」

「会えて嬉しいよ」

 グレーのオーダーメイドのスーツを着こなした男は大理石のテーブルを挟んで鳴瀬の正面に座り、足を組む。


「私は小見山誠司。天狼日本支部の支部長だ」

 鳴瀬は微かに目を細める。組織のボスが一介の暗殺者の前に姿を現すことはない。

「確かに良い面構えをしている。君の記録は完璧だった。私は君を非常に高く評価していた」

 しかし、と小見山は小さなため息をつく。

「君は私の信頼を裏切った」

 小見山は足を崩し、テーブルに両手を置いて前のめりに鳴瀬を睨みつける。


「俺もようやく目が覚めた。組織に恩義を感じていたが、ただの駒に過ぎなかった。用済みになれば捨てられる」

 これまで何の疑問も持たず、忠実に与えられた任務を果たしてきた。見捨てられて気がついたことだ。

「君は他所ごとに気を取られ、与えられた任務を疎かにした。プロとしてあるまじきことだ」

 小見山の瞳には暗い憎悪が燃えていた。目の前の敗者に怒りを感じている。


「それについては言い訳をする気はない」

 鳴瀬は手塚の顔を思い出し、唇をへの字に曲げる。それまで完璧にこなしてきた仕事を邪魔されプライドを傷つけられ、湧き上がる怒りを抑えられなかった。

 奴はまっすぐに感情をぶつけてきた。普段感情を露わにすることのない自分が、燃え上がる激情に支配されるという体験に戸惑いを覚えた。


 小見山は鳴瀬の首を片手で掴み、締め上げる。気道を潰され呼吸に喘ぎながらも鳴瀬は小見山を鋭い視線で睨み返す。

「君は私の立場を危うくした。君には最高の舞台を用意してある。屈辱を噛み締めて死ぬが良い」

 小見山が手を離すと、鳴瀬は激しく混ぜ込んだ。


「小見山さん、時間です」

 長髪を一括りにまとめた黒服に促され、小見山は立ち上がる。パーティー主催者の挨拶に呼ばれ、小見山は足早に部屋を出て行った。


「京平はどこだ」

 鳴瀬は残った長身の黒服に尋ねる。

「お前の息子か、所詮あいつは他人だろう」

 天狼の偽装家族システムを知る黒服は不思議そうに首を傾げる。

「自分の心配をしてろ、お前は今夜までの命だ」

 鳴瀬は唇を噛む。悲痛な表情を見かねた黒服はチッと舌打ちをする。


「ガキは生きてる。お前がおとなしく言うことを聞いてりゃ次の家族の元へ送られる」

 その言葉に鳴瀬は目を閉じて安堵する。


***


 JR関内駅を下車して公園脇を通り過ぎる頃には強い潮の香りが漂ってきた。横浜港の大桟橋に着くと、目的の船はすぐに分かった。

 定員300名クラスの豪華客船が停泊している。タラップの周辺には黒服が待機しており、物々しい雰囲気だ。


「関係者以外は近づくな」

 黒服が手塚を制する。ダークレッドの長袖シャツに白のカットソー、ストライプの黒のパンツにショートブーツというカジュアルな姿はこのパーティーの客には見えなかったらしい。

「主催者から招待されてね」

 手塚が黒い封筒を差し出すと、黒服は慌てて手塚を船内に案内する。


 手塚はメインデッキへの階段を登る。乗客は金持ちばかりのようだ。ジャケットにジーンズのカジュアルな服装でも腕時計やネックレスはハイブランドで統一している。

 グラマラスな赤いスパンコールのカクテルドラスの金髪美女や深いスリットの入った艶やかなチャイナドレスのアジア美人が闊歩していた。


 要人の周りにはサスペンダーに銃を仕込んだスーツ姿のボディーガードが目を光らせている。

 こんな映画のような世界が現実にあるのかと手塚は感心する。

 きっと彼らのような金持ちが鳴瀬のような労働者をこき使うのだ。どこの世界も同じだ、と無常感を鼻で笑い飛ばす。


 船は汽笛を鳴らし、桟橋を離れていく。ライトアップされたベイブリッジの下を通り抜け、パーティーは盛り上がりを見せる。

 小見山がワイングラス片手に挨拶周りをしている。

 鳴瀬はこの船にいる。手塚はメインデッキを見下ろしながら目を凝らす。

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