交錯する想い(5)
逃げ出せばおそらく背中から撃たれるだろう。
「後ろに乗れ」
スーツの男はそれだけ言うと窓を閉めた。断る選択はないということだ。
手塚は後部座席のドアを開け、ベンツに乗り込む。滑らかな革張りのシートに身体が沈み込む。いけすかないメンズものの香水と独特のタバコの臭いが鼻についた。
「手塚彰宏くんだったね、講演会では世話になった」
後部座席に座っていたのはダーググレーのピンストライプのスーツに身を包んだ小見山誠司だった。
ゆったりと足を組み、上品な笑みを向ける。
「小見山さん、こんなところで奇遇ですね」
手塚はおどけてみせる。この店まで小見山に尾行されていたのは確かだ。一体何故だ。
ベンツは静かに発進する。
「君の家まで送ろう」
「それは助かります」
お前の自宅を知っている、という脅しだ。気に入らない。手塚は不快感を押し殺し、小見山に会釈する。
「何故私が君に会いにきたのか、疑問に思っているだろう」
小見山は手塚を真正面から見据える。尊大で威圧感のある男だ。車内に緊張が漲る。
「ええ、わかりません」
「率直に言おう。君をスカウトに来た」
「どういうことですか、僕はしがない図書館司書ですよ」
手塚は肩を竦めてみせる。
「君はランク外のごろつきとはいえ、うちの暗殺者を二人も倒した。非常に有能だ」
空き地で鳴瀬を襲った処刑人を殺したのを知られている。小見山が天狼に関係しているのか。鳴瀬に近づく情報が手に入るかもしれない、手塚は興奮に胸躍らせるが、涼しい顔を崩さない。
「あれは単に成り行きですよ」
「二人を殺すのに至って冷静、恐怖も躊躇いも感じられなかった」
小見山はタブレットの画面をタッチすると、狼の横顔をモチーフにしたエンブレムが表示された。小見山と天狼が繋がった。
画面をスクロールすると、長文のレポートで空き地での一部始終が具に報告されているようだ。
「君はどこの組織にも所属していないね」
「僕はフリーですよ。誰のためでもない、自分のためにしか殺しはやらない」
全てを知られている。隠し立てしても仕方がない。手塚は開き直り、シートに体重を預けて足を組む。
「実に面白い。君はこれまで一体どれほど殺してきたんだ」
「覚えていない。殺しはライフワークだ。あんたは人生で何度ゴルフに行ったかいちいち覚えているのか」
手塚のぶっきらぼうな態度にも小見山は気分を害する様子はなく、逆に面白がっている。
「気に入った。そのライフワークを仕事にしろ。金に困らない暮らしができる」
「図書館司書は安月給だけど、今の倹しい暮らしに満足していますよ」
なかなか手強い。小見山は次のカードを切る。
「鳴瀬をくれてやる」
「なんだと」
手塚の顔色が変わる。小見山は口元を歪めて笑う。
「鳴瀬は信頼できる一流の暗殺者だった。しかし、命令に背き、勝手な行動に出た。彼には然るべき措置を取る」
つまり、この世から存在を消すということだ。
「彼も君にご執心だったよ。だから早川の始末が遅れた」
鳴瀬がファーストコンタクトで早川を殺しておけばマカオのカジノ王への臓器提供は中止となり、敵対組織の信用は失われたはずだった。
この件で小見山の怒りは鳴瀬に向けられた。幹部会での暗殺者のランク判定見直しをすっ飛ばし、独断で排除命令を下した。
「君が鳴瀬を殺すと良い。お膳立ては整えてやる」
まだ鳴瀬は生きている。手塚は安堵した。
「天狼の専属暗殺者になる。それが条件だ」
「気に入らないね」
手塚はふいとそっぽを向く。窓の外には見慣れた景色が流れていく。
ベンツがマンションの前に停車した。手塚の個人情報を調べるなど、天狼の情報網には他愛ないことなのだろう。
「明日、ささやかなパーティーを開催する。君も招待しよう」
助手席の男が手塚に黒い封筒を手渡す。赤い封蝋は狼の紋章が押されている。
手塚はドアを開け、車を降りる。ドアを閉めようとして、車内を覗き込む。
「ひとつ聞いていいかな、大谷さんを殺したのはあんたなのか」
「いちいち覚えていない」
小見山はつまらなそうに答える。
憐れな清掃員を殺したのは間違いなく小見山だ。手塚は静かにドアを閉めた。
走り去るベンツを見送りながら手塚は目を細める。小見山はとんでもない悪党だ。
マンションの部屋に戻り、熱いシャワーを浴びる。今日は情報過多でさすがに疲れを感じていた。
ジャージのズボンを履き、タオルで髪を拭きながらソファに腰掛ける。テーブルに投げっぱなしの黒い封筒を手にした。
開封してみると、船上パーティーの招待状だ。日時は明日、出港は九時、場所は横浜港。
手塚はジャケットのポケットから吾妻の名刺を掴み出す。吾妻が鳴瀬の手がかりに書いたメモと同じ時間と場所だ。
鳴瀬はこの船にいるということか。小見山は捕らえた鳴瀬を手塚に引き渡すつもりなのだろう。
正直興醒めだ。そんな無粋な真似をされて嬉しいはずはない。
しかし、行こうと行くまいと鳴瀬は殺される。
ー大切な人を助けなきゃ
喜久子の言葉が脳裏に蘇る。
「大切な人、か」
手塚は黒い封筒を見つめて呟く。鳴瀬は大切な獲物だ。組織の命ずるまま何人もの人間を殺めた悪党だ。他の誰にも渡さない。鳴瀬を殺すのは自分だ。
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